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誰でもいいとか二度と言わねえ


 人生で一度だけ、好意を向けて頂いたことがありました。それに応えない選択をした事を、就活の人生設計で思い出しました。

 当時、その人にはあれやこれや優しくしてもらって、良い人だなぁ、もしや付き合うのかもなあと思いました。
 でも、女の子扱いされるほどに、相手を利用してる気がして怖くなりました。向けられた好意以上の何かを相手に返そうというやる気がでませんでした。長年片想いしていた人にふられてしまったばかりでタイミングが悪かったのもありました。とはいえ、なんだか会って優しくされるだけで怖くなったり相手を利用している気がしてきたりしました。
 自分への罪悪感に耐えきれず、ごめんねしてしまいました。LINEでもう会えない旨を説明したド長文を送りつけた件は今でも覚えてます。

 就活にあたり、人生設計図を書くことになりました。なんと私は、30代で結婚をしたい、と素知らぬ顔で書いているのです。なんなら子供も2人欲しい、と。

 いやいやいや、ねえ?脳内では、彼氏もできたことないのに結婚は無理だろうよ、と「お前のためを思って言ってやってるんだおじさん」が耳に鉛筆挟んで提言してきました。そして、先程の「LINEド長文ごめんね事件」に思いを馳せることになったのです。

  あの時もう少し我慢して時間をかけて好きになろうと頑張っておけば、長年のコンプレックスである「誰とも付き合ったことがない」を解消できたのかな…なんて自己中な事を考えて後悔します。これって、相手のことを意外と好きになっていたから未練を引きずっているのか、2度とないかもしれない"私を好きな人出現イベント"から逃げ出した悔恨を引きずっているのか、どっちなんだろう、と真剣に悩みました。分かりませんでした。やっぱり本気で恋愛する気がないのなあ…と結論づけました。
 でも、人を好きになったことはあって、付き合うことには興味がある。喪女を気にしてないといえば嘘になる。かつて好きになった人たちへは、私ができることならなんでもしたかった。重いですね。
 それにしたって、この違いはなんだろう、どうして好きになれたのだろう、と考えました。

 結果、望み薄だったから、という気がしました。女子扱いをしてこないし、きっと私を好きにはならない。そんな安心感が非常に高ポイントでした。そしてあわよくば、この人たちに好いてもらいたいとささやかな欲目を抱いていました。ギャンブラーじゃん。

 常々、酔っ払うと、私は最高の男友達と結婚したい!と言ってきました。今まで、その言葉について深く考えたことはありませんでした。でも、今回やっとわかりました。
 多分だけど、女子としての私を求められると、女子の必要条件満たしてないのに無理!とパニックになるのだと思います。私がしたいお付き合いっていうのは、親友みたいな、性別以前に個人としてのお互いに認めてる関係を作ることなのだろうな、と整理できました。
 いや、理想たっか!!とあまりの高望みに絶句しました。「私を好きになってくれれば誰でもいいわ〜」なんて言いながら、実は「私を女子として見ない相手」なんていう激狭フィルターをかけていたのです!無意識って怖いですね。
 そして追い討ちをかけたのは、私は相手を異性として見ていると言う事実。相手には個人として見て欲しいのに、私は相手を異性として見ている。こんな自己中な話があるか?先生に言っちゃうぞ?

 まあ、これをSNSで書けるくらいには吹っ切れているのかもしれません。一度でもお付き合いしたことのある人は、私のこの有様を見てもっとご自身に自信を持ってください。私がうだうだ苦しみながら結局できなかった交際ってやつを、何でもないことのように経験しているというのはある種努力の結晶だと思います。

 お付き合いって大変ですね。こんなんだから恋愛小説書けないんだよなあ。

恋愛ネタをください、誰でもいいので。


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