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短編小説
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#創作大賞2023

短編小説『ガラス、火、立体駐車場』

短編小説『ガラス、火、立体駐車場』

五年前まで湯島に住んでいた。その日も確か、このくらいの時季だったと思う。遅めの夕食を済ませ、上野方面へ向かい散歩をしていたところ、一文字だけしか発光していないネオンの看板があるのを見掛けた。遅いといはいえ深夜にはまだ至っておらず、それでも住宅地の中に営業している店があるのは珍しかった。入り口の戸はガラス製で中が見えたので、何となく立ち止まって様子を窺った。店内は暗くてよく見えないが、バーカウンター

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短編小説『永遠的でない愛』

短編小説『永遠的でない愛』

先週から、体調を崩し会社を休んでいる。二日間高熱に魘され、一昨日から微熱が続いているという状態。夏風邪というのは、これまで罹った事が無かった。病院に行き医者に何やら話をされたが、最近、自宅の近くでやたらに蠅の飛んでいる一帯があるのを思い出し、ほとんど聞いていなかった。
体が熱いのか、気温が高いのかがもはや分からない。吸ってから吐く。そんなんだ。退屈が終わったと思ったら、また次の退屈がやって来る。読

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短編小説『The Ghost Has No Home』

短編小説『The Ghost Has No Home』

肩を叩かれ目を覚ました。7月といってもまだ朝晩は冷える。思わず身震いする。外、アスファルトの地面に座りながら眠っていたようで、尻が冷たい。灰色っぽいスーツを着た男が、わたしを見下ろして何か言ったが、頭がぼんやりして聞き取れない。そのまま十秒、もしくはそれより長い時間見つめ合っていたが、男はわたしが何の反応も示さないからか、小さく舌打ちをして去って行った。
その後もしばらくその体勢で地面に座っていた

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短編小説『琺瑯』

短編小説『琺瑯』

会社を出て駅までの道を歩いていると、左の道から三十代半ばくらいの女が出て来て私の前を歩き始めた。長いスカートの裾から細い足首が見え、左右の脚が前後するたびに、周囲がちかちかと発光している。よく見ると、小さな蝶が一匹ずつ留まっていた。蝶は女の歩調とは無関係に、羽を閉じたり開いたりしている。自転車屋の前を通り過ぎる頃にはその光の強度は増し、時折黄色い眼鏡や緑色のカニ、水色の枝、赤いアルファベットのNと

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短編小説『セイレーン』

短編小説『セイレーン』

単純な会話。単純な構成の複雑な含みを持った音楽。頭がほとんど使い物にならなくなっているのが分かる。正午と、夕方の四時、夜の六時半の三回、「薬を飲む」というリマインドの通知がわたしのiPhoneに届く。届けられる。毎日。何故なら毎日飲まないといけない薬があるからだ。正しいことが分かる。正しい目で見ている。疑いの目で見られている。罪人を裁くような目で。わたしはとっくにキチガイであると断罪され、毎日仕事

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短編小説『ジウェセック』

短編小説『ジウェセック』

世界中に散らばる、いくつかの特定の条件を満たした空洞を一箇所に集め、圧縮したときに発せられる音が聞こえる。目を閉じて心の中を探索しようとするが、緑色の自警団に「これ以上深く潜ってはいけない」と止められる。わたしは、内側では無く外側を目指さなくてはならないようだ。しかし外側を目指すことはひどく困難を伴った。誰かが笑っているのが聞こえた。未知の不安よりも見知った不安のほうが良いとすら思えるほど、全身が

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短編小説『ソルシコスの夜』

短編小説『ソルシコスの夜』

仕事を終え、いつものように神保町で降り喫茶店Mに入る。ここはいつも適度に人が居て、適度に話し声が聞こえ、適度に暗い。焼酎をコーヒーで割った酒を飲みながら煙草に火を点け、本を開き、一番新しいセックスのことを思い出していた。文字の一つ一つが過去を刺激するように出来ていて、言いかけてはやめたいくつもの言葉が、浮かんでは弾けて消えていくのが見えた。もしかしたら有効かも知れなかった言葉も、その時の私は言いか

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短編小説『エル』

短編小説『エル』

確かその時スプーンを落としたんだったと思う。夏に父方の祖父母の家に行くと、決まって青い容器に入ったあまり甘くないバニラ味のアイスクリームが出て来た。偏食だったからなのか飽きたからなのかは定かで無いが、好んで食べた記憶が無い。
私の対面にはいつも祖父が座っていた。祖父の後ろに大きな窓があり、逆光のせいで記憶の中の彼の顔はいつも翳っている。祖父は若い時分、仕立て屋だったそうだが、きちんと働いていたよう

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短編小説『魂の蔓』

短編小説『魂の蔓』

彼女を駄目にしてしまったのは自分だ。
いつもの様に、幻覚剤の齎す多幸感に浸っていると、突然キッチンから叫び声が聞こえて来た。気持ちは急いても体が動かず、緩慢な歩みでキッチンに向かう。彼女──Mが包丁で自分の左腕を切り落とそうとしていた。私は慌てて彼女の右腕を引き離し、反動で二人とも後ろに大きく倒れた。包丁は床に転がり落ち、泣き叫び暴れるMを必死で押さえつけた。間も無くMは気を失った。床には血溜まり

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短編小説『黒い双生児』

短編小説『黒い双生児』

アメリカ中西部に位置する某州へ、高校生の頃からの友人であるユリと一ヶ月間ホームステイをする事になった。ユリは私以外に友達は居ないと言っていたが、ホームステイ先のアメリカ人夫婦とは知り合いなのだそうだ。インターネットで知り合ったのかと尋ねたところ「違う」と返答するだけだった。尋常の会話であれば続けて追及するのだろうが、そういう気にならなかった。私がそういう性格なのか、ユリが物事を詳細に説明したがらな

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