おむすび

おむすびは、お結び。不登校の子を育てているお母さんの繋がり、心の結びがあり、元気でいる…

おむすび

おむすびは、お結び。不登校の子を育てているお母さんの繋がり、心の結びがあり、元気でいることが子どもたちの元気になります。 ゆとりを持ったり、発想転換をしあえるようなあなたと、私のための場所。 経験から知ったこと気付いたことを、笑いも涙もありで。歌うように書いていたい。

マガジン

  • 学校にこだわらない学び方

    学校でもいいし、学校じゃなくてもいい。将来、自分らしく幸せだと思って生きていけるための教育。そんな生き方のために、どうやって学ぶのがいいのか、考えてみるマガジン

  • おむすびのこと。お母さんとしての体験から

    昔の私の気持ちを当時の気持ちのままに。

  • 無意識でしていること、本当にしたいことを見つけていく。

    心や身体は、実はまだ使ってないところがたくさんある。無意識でやっていることに気付いて、自分の本当の気持ち、本当にしたいことを見つめ直ししていく。

  • お母さんと子どもの関係と、その気持ち。

    家庭が基盤ですというけれど、お母さんの肩に責任乗りすぎてもしんどいよね。不登校の子どもと、お母さんの関係の中での迷いや関わり方についてのマガジン。

最近の記事

  • 固定された記事

あなたの不登校の子を育てるママとしての気持ち、記事をきっかけにお互いに繋がれたらいいな。

人の体験談は、誰かの励みになります。 あなたと似たような気持ちを持つ人は、 すぐ近くにではなくても、必ずどこかにいます。 そして、もしあなたが 「ああ、こんな思いをしているのって もしかしたら私だけなんじゃないかしら」 なんて、寂しい気持ちになった時に。 もし似たような体験を共感できる記事に 出会えたとしたら。 ああ、ここにもいた。 私1人じゃなかった。 あなたの気持ちが、わかるー、なんて 共感して。 思わず、スマホに向かって泣いてしまうわ! なんて経験。 あなたに

    • 【不登校】発想力を育てるためには、従来の型を一度疑う自由と、今ある感情とのお付き合いが大事じゃないかな。

      先日、小旅行に行ってきたのですが、 海沿いを車で走ってると空が広く感じます。 道も広いし。 海の青さと空の開放感が もうゆとりになりますね。 商店街に「オーロラ」みたいな 名前のスナックがあったりして。 昔っぽい字体で書かれている看板を見ると、 昭和なノスタルジー心がくすぐられ、 馴染みのない土地なのに 微笑ましい気持ちになります。 字体のように「型」で思い出すもの。 80年代っぽいとか、2000年代っぽいとか、 なぜかそこに時代との繋がりを感じます。 学校にもそん

      • 頑張るモードとリラックスモードの切り替えを身体からしてみる②

        前回の続きです。 不登校もそうですが、 頑張りたくても、もう動けないとか、 思い出すと、過呼吸になる。 などのように、 身体の反応と、頭で思っている心の反応が まるで逆のとき。 自分の身体と心に起きているその矛盾の 癖を少しずつ変えてあげた方が 生活しやすい時があります。 ポイントは身体の安心感と心を結びつけること。 そんな新しい回路を作る習慣をつけるのが 良さそうです。 たとえば、 自分の大好きなホッとするお茶。 リラックスできるアイマスク。 アロマの匂いとか。

        • 頑張るモードとリラックスモードの切り替えを、身体からしてみる①

          おむすびです。 1人で頑張るんじゃなくて、みんなで体験を語り合えたらいいなと思います。 不登校の時は、子どもの安心感を育むといいます。 じゃあ、どうやって? 一生懸命そうしたいとお母さんが思っても。 一生懸命愛情を伝えても、普段通りを心がけても。 押しすぎると、プレッシャーになるからと思いながら 気持ちを尊重しようとしていても、難しいとき。 子ども自身も、きっと。 頑張っても、頑張っても なかなか心がついていかない時。 そんな時は身体からほぐしてあげると、 心もそ

        • 固定された記事

        あなたの不登校の子を育てるママとしての気持ち、記事をきっかけにお互いに繋がれたらいいな。

        • 【不登校】発想力を育てるためには、従来の型を一度疑う自由と、今ある感情とのお付き合いが大事じゃないかな。

        • 頑張るモードとリラックスモードの切り替えを身体からしてみる②

        • 頑張るモードとリラックスモードの切り替えを、身体からしてみる①

        マガジン

        • 学校にこだわらない学び方
          2本
        • おむすびのこと。お母さんとしての体験から
          2本
        • 無意識でしていること、本当にしたいことを見つけていく。
          1本
        • お母さんと子どもの関係と、その気持ち。
          1本

        記事

          あけましておめでとうございます。

          年を越す瞬間に、夫婦で同時にジャンプして 空中で過ごすというアホなチャレンジをしてみました。 高校生の息子にも呆れられましたが、 笑い初めで始められた一年です。 今年もよろしくお願いします。 今年は肩の力を抜くことを していきたいと思います。 こうなりたいというたくさんの目標があるのは、 とてもキラキラしていて、素敵です。 そこに邁進している姿は、見ていて 勇気をもらうものでもあります。 自分もそうでありたい! そんな風に思う気持ちもあります。 でも、その思いの根

          あけましておめでとうございます。

          違いを受け入れあい、可能性を信じて関わりをもつ

          このタイトル、教育についての映画を 見た際に目にしました。 これって教育に限らず、 人間同士が共に生きていく上での 真理だと思います。 子育てでも、こうありたいよね。 でも、これが本当に本当に 難しいんだよなーと思っていました。 多様性って簡単にいうけれど、 本当に相手を知ろうとし、 今の目に見える言動や行動以外にも 関心を持ち、歩み寄ろうとし。 それをね。 まるで上から眺めているみたいな 安全地帯から、指示するような やり方じゃなくて。 歩み寄ろうというのは、

          違いを受け入れあい、可能性を信じて関わりをもつ

          自分を慈しんでみようね。

          子どもが不登校になった時、お母さんたちは いろいろな情報を目にしたり、 アドバイスをもらったりすることがあるかと思います。 「子どもには、親の関わりからの安心感が必要ですよ」 「親との関係が原因のこともあるんですよ」 なんて意見を見つけては。 今のままでは自分がいけなかったのかと 我が身を責めてしまうような気持ちになることが あったかもしれません。 誰かにそう思われているかもしれないと思うこと、 そのものがエネルギーを消耗してしまうこともあるし。 子どものために変わ

          自分を慈しんでみようね。

          学校との繋がりをうっすら維持しつつ、小さな挑戦を重ねられる環境について考えたこと。

          これも少し昔の話。 フリースクールに通う息子。 小学校には在籍したまま週に1度、 通級指導教室に通っていた。 限りなく少ないように見えるけれど、 ゼロではない学校との繋がり。 私は、ゼロではないその学校との繋がりを、 出来る限り良好な関係で維持するために、 当時は、結構労力を使っていた。 来年の学校とのお付き合いを、 どんな形にしたいのか。 面談では、毎年私から学校に伝えていく 必要があったから。 学校での教育を熱心にされている先生に 「学校じゃない場所で学びたい

          学校との繋がりをうっすら維持しつつ、小さな挑戦を重ねられる環境について考えたこと。

          気付いたら笑ってた。そんな時間を大事にしようね。オシャレしてみたりとか。 最近、私のお気に入りのピアスです。

          気付いたら笑ってた。そんな時間を大事にしようね。オシャレしてみたりとか。 最近、私のお気に入りのピアスです。

          さまざまな場所があるから、あなたに合うものをゆっくり探してもいいということ。

          人と語るのは楽しいです。 もし心が滞ってしまうような時には、 語るまでいかなくても、ちょっと外の 新しい空気を取り入れたり。 物理的に環境を変えてみることで、 そこでの新しい流れの中で、 元気になることもあると思います。 語る元気がない時も、 変化が生める場所があること。 話さなくてもいいし、元気じゃなくてもいい。 でもそんな私でも、あなたでも居ていいと 思える場所があるといいな。 家族のように、たとえ会話があってもなくても、 一緒の空間で別々のことをしてもいいと

          さまざまな場所があるから、あなたに合うものをゆっくり探してもいいということ。

          五月雨登校とお母さんの気持ち。

          ちょっと昔の気持ち。 息子が小2の頃。コロナより前で、 当時は今よりも、不登校の子ってまだ少なかった。 学校には、週3回程度通っていた時期があった。 いわゆる五月雨登校というやつだ。 その頃の息子は、学校に対して、 「行きたいけれど、行けない。(けれど行かなくちゃいけない)」と思っていたのだと思う。 その後、 「辞めたい訳ではないけれど、今が楽しいから学校には行かなくていい」に変わった。 五月雨登校の頃、 私は親向けの本を山のように読んだ事がある。 大体の本には

          五月雨登校とお母さんの気持ち。

          みんな違っていいではなくて、そもそもみんな違うんです。

          このタイトルにある言葉を映画の案内でみて、 そこにグッときました。 違うって注目されることは 違いをより強調されるみたいになるから。 人間、みんなもともといろいろ違ってる。 だからこそ、面白い。 いろんな花があるみたいに、 いろんな色があるみたいに。 不登校になった子は登校刺激はやめて そっとしておいてほしいってよく言うけれど。 それって人と違う今の状況に 注目しすぎて、「違う!」って 切り取られるように感じることが 苦しいんじゃないかな。 だからそっとしておいて

          みんな違っていいではなくて、そもそもみんな違うんです。

          学校に行かなくても、自分らしい生き方を学ぶこともできる。

          学校に行かなくても、 どうやって生きるかを考える。 むしろ、学校に行かない時間って、 山のような時間の中で、 たくさんのことを考えられるから。 学校に行かないで、日中語り合う 子どもたちの人生の本質については、 ハンパない。 学校が合わないと感じる子は、 どこかとても繊細だからこそ、 みんなが流せることに気付いてたり。 本質的に考えるからこそ、 学校でのお約束や、行動、 勉強の意味が見出せなかったり。 その子らしさが強くあるからこそ、 画一的な仕組みが苦しかったりす

          学校に行かなくても、自分らしい生き方を学ぶこともできる。

          学校に行くことよりも、幸せに成長することが目的なんだよね。

          学校に行けないとき。 じゃあ、学校ってなんのために 行ってるんだろうと その意味を考えてみます。 学力を身につけるため。 社会性を育むため。 それって何のために? 自分で食べていけるため? 自律して幸せに生きるため。 自分のお金を自分で稼ぐことを 自立というのかな。 でも本当の意味で人って自分だけでは 生きていけないと思うんだ。 自分のできることを自立する。 そのために能力を育てていく。 でも得意と苦手を人と協力して支え合う、 いい関係を育むように、自分を知り

          学校に行くことよりも、幸せに成長することが目的なんだよね。

          学校に行こうと頑張る前に、安心できる気持ちを一緒に味わってみたい。

          所属している場所に安心感があること。 子どもに何か注意する時に 「これしとかないとあとで困るじゃない?」 「みんなやってるから、 同じくらいまでは少し我慢してやりなさい」 ってお母さんがいう。 子どもたちの、心が弱っている時は、 お母さんはそんなつもりじゃないけど、 頑張り続けているのに、出来ないのに 比べられているみたい、だなんて 受けとりがたい気持ちになってしまう。 まるで存在そのものが否定された ような気持ちになっちゃってるから、 悲しいのかもしれないね。 そ

          学校に行こうと頑張る前に、安心できる気持ちを一緒に味わってみたい。

          これからしたいこと

          不登校の子を育てているお母さんのための 心のホッとする今までの生活から ちょっと離れた居場所作りをしたい。 そんな思いを持ちながら、 今は、同じ気持ちや同じ立場の友人たちと 月に一回くらい、集まってお茶をしています。 そんな居場所に行くのも、 ちょっと敷居が高い気持ちの時もあるかも しれないから。 このnoteも何か、届く形になればいいなと 思ってます。 子どもが不登校になった時、 わが子への想いのあまり、 お母さんも元気をなくしがちです。 学校に行くことについての

          これからしたいこと