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【不登校】発想力を育てるためには、従来の型を一度疑う自由と、今ある感情とのお付き合いが大事じゃないかな。

先日、小旅行に行ってきたのですが、
海沿いを車で走ってると空が広く感じます。

道も広いし。
海の青さと空の開放感が
もうゆとりになりますね。

商店街に「オーロラ」みたいな
名前のスナックがあったりして。

昔っぽい字体で書かれている看板を見ると、
昭和なノスタルジー心がくすぐられ、
馴染みのない土地なのに
微笑ましい気持ちになります。

字体のように「型」で思い出すもの。
80年代っぽいとか、2000年代っぽいとか、
なぜかそこに時代との繋がりを感じます。

学校にもそんな風に、
時代での移り変わりが私にはあって。

黒板の色が緑で
チョークで書いていた時代から、
ホワイトボードになったり。

環境の変化や当たり前の
移り変わりがあります。

だから、人が環境から、
自然に身についていることは、
世代や国により、地域、家庭により。
人それぞれさまざまです。

10年でも環境は大きく変わるから。

だからこそ、今あるものに適応する社会性として、
周りの状況や、周りの人の気持ちに
適応する力を育む事ももちろん大切だけれど。

自分らしさを活かして
変化に柔軟に対応できる発想力こそが、
この変化の激しい時代だからこそ、
問われていくように思います。

自分の意見を、たとえ人と違ったとしても
適切な表現で伝えられる事も
その力かもしれません。

それには経験の積み重ねもたぶん必要だから、
私にとって、上達したいことでもあります。

人の中にある
「好きなこと」「感性」のような
感覚的なことから発想力は生まれると思うし。

それを先に大切にした上で、
周りの人も楽しめたり、社会に役立つ形として
アウトプットできるのがいいな。

先に「型」を決めすぎて、そこから
外れないようにって、自分で自分のことを
制限しすぎてしまうと、
自由な発想力が潰れてしまうことが
あるようにも思っています。

余白の時間が生まれた子どもは、自分なりに
「好き」や、「やりたい事」を見つけ出すように
思います。

発想力なんて、目に見えないし、
触る事もできないから。

子どもの発想力を信じて育てるために、
学校での型に対して、
程よいお付き合いを考えることは。

親の心が揺れることももちろんあります。
それは、自身の今までの価値観を
見直してみるきっかけになる場合もあります。

その気持ちを無理やり変えようなんて
自分をコントロールするのが良いように思えても。

そうした気持ちって、敏感な子には
言葉にしなくとも伝わったりします。

そんな風に親が無理する事、
それもまた違う気がするのです。

浮かんできた感情は、自分しか寄り添えないから。
泣いてもいいから、大事にしてあげる。

その背景にある気持ちを自分に問い直してみる。
そこに自分の望みや目的を、問い直してみる。

それによって得た選択は、どのような形であれ。

納得感、腹落ちという意味で
ガラッとパラダイムシフトが起きる事があります。

その納得感や、目的のために、
まず自分の心を問い直すということ。

そこから生まれたものを、加工して
周りの人に良い形に作り直そうとすること。
それを生活の中で大切にしたいとも思っています。

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