自己紹介 これまでの人生と配信

初めまして
だるま落としと申します
私は普段Twitchでゲーム配信をしています
配信は2021年9月1日に本格的に始めたのでまだまだ新参者です
私のこれまでの人生と配信やゲームにかける想いを色んな媒体から知ってもらいたいと思いnoteを始めました
気に入ったら配信も見に来てくれるとすごく喜びます

簡易プロフィール

1997年10月24日生まれ
徳島県出身 徳島県在住
趣味:ゲーム映画鑑賞読書(WEB小説)、カリンバ
特技:しゃべり続ける事
配信では主に対人系のゲームを種類関係なくプレイ

ここからはゲームが生きがいで、今始まりつつあるEsportsや配信、動画投稿に明るい時代に想いを馳せている私がどういう風に出来上がったのか、そして現在を書いていきます。
読みづらく、拙い文章ですがよろしくお願いします。


物心つく前から父と年の離れた兄の影響でゲームばかりしてた

小学校


低学年では周りにはゲームを持っている友達が少なかったので家にあるプレイステーション、プレイステーション2、64、SFC、ゲームボーイ他色んなゲームを何が何かも分からないままリビングのTVでプレイしていた

高学年になり始めてからは周りにも携帯ゲーム機を持っている友達が増えてきたのでDSやPSPでモンスターハンターやポケモンをした
帰ってきたら古い据え置き型のゲーム、友達と遊ぶ時は携帯機でゲームをする、寝る時布団にPSPを隠して持って行ってゲームをして見つかって怒られる。
今思えば凄くゲームに寛容な環境だった
小学校、卒業文集の将来の夢の欄にはゲームクリエイター


中学校


中学校
にあがってからはPCのゲームもするようになった
インターネットを通じて沢山のゲームをして、沢山の人と触れ合った。馬鹿にされるかもしれないけれど色んな人と触れ合って色んなことを学んだ。学校外の人達との関わりを持てる唯一の場所だった。今でもあの時の経験は為になったと思っている。
友達とも遊びに行ったりはするものの、やはり友人宅でゲームをしたり、ダークソウルにはまっていたので一緒に架空の世界地図を作ったりしてゲームから離れる訳ではなかった。
精神が幼いのでインターネット上で痛々しい言動も多かったが、周りの大人は本当に忍耐強く、優しかった。
やはり将来の夢はゲームクリエイターだった


高校


高校
になってからも同じだった
どんどんゲームやその周りの世界にのめりこんだ。
TRPG等のボードゲームに触れ、デジタル以外のゲームにも興味を持つようになった。
インターネットのゲームでも勝つために何をすればいいかを考えるようになり、新しい楽しみ方を知った。
MMORPGでボスをサーバーで一番早く倒したり、世界一人口の多い対人ゲームLeagu of Legends(以降LoL)を始めたり、人生で一番ゲームが上手く、本気で手間と時間をかけることの出来る時期だった。
しかし三年生になり現実も知った。将来について何も考えず何も積み上げて来ていない私はゲームに関連する業界にも入れないし関わり方も分からない。
この時、私は確かにゲームプレイヤーや動画投稿、配信などを小馬鹿にする当時の世間一般の大人の考えになっていた。
将来の夢の欄は就職になった


社会人


周りの友達に合わせるように就職することにし、担任教諭の薦める企業に就職した。
しかし、就職してからもゲームへの想いは無くならなかった。
就職してすぐに東京で半年間の研修があったが、研修終わりや休みの日にはネットカフェに行ってゲームをした。
研修が終わってからは毎晩ゲームをしながら、出張等があれば出張先でネットカフェを探してプレイしていた。
子供の頃のブランケットがあると安心する人がいると思うが、私にとってのゲームとはそういう物だったのだ。
夜11時に帰ってきて深夜4時までゲームをし、朝6時に起きる。当然体にも不調が出るし、睡眠不足で事故もした。それでもやめたくなかった。
何もかも流されてきて、唯一自分で選んだこれすら諦めてしまったら、離れたら私の人生には何も残らないと感じていた。
そんな生活を数年続けた。当然それでも何も変わらなかった


始まり


2019年 夏
 
東京ゲームショーに行った。そこでゲームという広い分野に携わる人やファンの方々の熱意を見て本気になろうと思った。
他にも理由はあったが、仕事をやめた
配信を始めて、とにかくITやゲームの事を学べば少しでも近づけると思い、プログラミングスクールに通った。当然何も変わらず、何も近づくことは無かった。
そしてゲームの大会等にも積極的に参加した。
コミュニティ大会ではあったが、LoLの大会に優勝したりすることもあった。
しかし、配信の視聴者はほぼ0多くても5人程度だった。
何もわからず配信の声は小さい、画面はゲーム画面のみ、プレイするゲームと内容はありきたり。人が来るわけがなかった。
思い出すと本当に馬鹿だと思う
そんな中でも見に来てくれた人や応援してくれる人がいた。本当にありがたくて、その人達がいるから意味を感じられたし、配信を続ける事が出来た。
でもこの環境は続きはしなかった。

2020年 秋
経済的な問題もあり、親にすすめられるままに仕事を始めた。
でもどうしても、どうしても諦められなかった。

希望


2021年 夏
もう一度仕事をやめた。人生で初めて本当に本気になろうと思った。家族や親しい友人にも話した。
やっぱり理解はしてもらえなかった。インターネット配信者Esports 新しい事ばかりで、「ゲームでしょ?」「遊びでしょ?」「仕事じゃないでしょ?」沢山言われたし反対もされた。仕事をしろと言われることも沢山あったし、馬鹿にもされた。いかにEsports等が言葉として広まってきたとはいえ社会には未だに浸透はしていなかった。
そんな中で友人達とゲームをするという事と、配信を両立するにはどうすればいいかを考えるようになった。単純に各々が知名度があればいいのでは?と考え皆で動画投稿や配信をしないか声をかけた。
例をあげると、youtuberの東海オンエア憧れだった。ゲーム版の東海オンエアになりたかった。
しかし、友人達はそんな事は望んでいなかった。普通に仕事をし、生きていく。新しい事を始めるのには労力やリスクがかかる。自分だけ熱意が空回りした

それでもがむしゃらになり、配信を本気で始めた。勉強も始めた。大人になって人とのつながりの大切さを沢山知ったから色んな人と関わって色んな所に顔を出して、色んなことを経験した。
そしてついに希望が見えてきた。LoLの大会運営に関わり、NewWorldという大型の新規タイトルゲームの配信が伸びはじめ、最大で169人の同時視聴者まで伸ばすことが出来た。最も視聴者が多かった月は平均視聴者数が72人
更にチームに所属する事ができた。
SETOUCHI ENLIFE(当時)というEsportsチームに参加させてもらい、喋るのが得意というのに注目してもらい、大会の実況等色々経験させてもらえる環境。金銭的に余裕はないがこれまでの闇の中をさまようような状態からかなり活路が拓いたように感じた。

挫折


しかし現実甘くなかった
ゲームタイトル自体の話題性で見に来てくれていた人達をつなぎ留めることがあまりできず、自身もそのタイトルから離れた。
そして配信をあまり出来ない期間が一月ほど続いた。
もう一度配信が出来始めた時平均視聴者数は15人まで落ちていた。
自分の実力不足と考えの甘さを本当に憎んだ。
別のゲームをしても、配信があまり出来なくても、見に来てくれる人達に本当に心が救われると同時に物凄く申し訳なかった
チームの代表とマネージャーはそんな状態でもチームに在籍させてくれた。
そしてチーム内の他の配信者の方々との交流の機会を頂いた。

再起


2022年5月17日

V Risingという新規タイトルをプレイしはじめた。
するとまたゲームタイトル自体の話題性で視聴者が増え始めた
そして交流を持たせていただいた方達からのレイド(こちらの配信に視聴者の方々を連れてきてくれるシステム)でこのゲームを始めてからは平均34人の視聴者がいる。
今度こそは期待を裏切らないように真摯に向き合い、そして甘えた考えを持たず、私自身を好きになって見に来てくれる人を増やしていく事を誓った。

2022年6月23日
色んなゲームを転々とし、配信の質を上げていくと共に、youtubeでの動画投稿に注力していくことにした。
チャンスはあっても近道はないと知ったので少しずつ積み重ねていきたい。



終わりに


ここまで読んでいただきありがとうございました。
長くなってしまいましたが私の24年間の人生と想いが少しでも伝わっていれば幸いです。
まるで終わりのような書き方になってしまいましたが、これからが本番だという風に思っています。
私自身、自分の魅力や実力がある訳ではなく、様々な機会や人に恵まれて今がある事を理解しているのでこれからの私には伸びしろがたくさん残されていると信じています。
もし配信に来て「note読んだよ」と一声頂ければ嬉しい限りです。


SETOUCHI SPARKS STREAMER部門所属 だるま落とし
Twiter:https://twitter.com/darumaotosis1
Twitch:https://www.twitch.tv/darumaotosis34

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