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写真を見て思い出せなくても、写真があることで救われる日が来る

「覚えていません」
「わかりません」

医師の質問に、何度もそう答えることに、自分自身がびっくりした。

私、覚えてなさすぎじゃない?

これは、精神科のカウンセリングで家族にまつわる質問をされた時のこと。

子どもの時の思い出、ほとんど記憶してない。
25歳にして、はじめて気がついた。

みんなは、どのくらい、どんなことを覚えているのだろう?

私の場合

正確には、子どもの頃のことで、覚えていることもある。

家族以外の人との関わりは、わりと覚えている。
近所の人が褒めてくれたこと、従姉妹や友人と遊んだこと、スイミングスクールをやめたすぎて幼稚園児なのに土下座した、とか。

家族については、どうか。
記憶の量そのものが少ない気がする。

嫌なこと、怒りや憎しみ、悲しみに関することは、いくつか覚えている。
だけど、嬉しい、楽しいことに紐づく記憶が全くない。

両親や兄、そして私自身が笑ってる記憶がない。

記憶=事実ではない、はず

我が家は、しつけに厳しい家だった。

褒められない、会話がない、いつも神経がピリピリしている。少なくとも私にとっては、団欒ってなに?という家ではあった。

だけど、嬉しいこと、楽しいこともあったはずなんですよ。

はず、なの!

なぜ、そう思えるのか?
それは、私専用のアルバムに、たくさんの写真があるからです。

写真には、記録されている

両親は、私が生まれたときから、家をでる20歳までの写真をアルバムにまとめていた。
私が結婚するときに、プレゼントしてもらったのだが、その量、ダンボール一箱だ。愛が重い。

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中学生以降の写真は、ほぼない。
私が荒れに荒れていたからで、この時期、写真があるのは犬とのツーショットのみ。犬、尊い。あのこのおかげで、ギリギリ家族でいられたのは、また別のお話。

ざっと計算してみよう。
1ページに5枚の写真。1冊40ページとして、それが9冊。

画像2

5×40×9=1,800枚

今の感覚だと少ないのかな。
でも、当時はフィルムカメラ。
特別な日のカメラ。

ひなまつりや誕生日、旅行の写真が多い。
私のアルバムなので、私中心の写真ばかり。

アルバムをめくり、「あー!こんなことあったね」と言えればいいのだけど、残念ながら思い出せない。

こんなにも、
たくさんのことをしてもらってるのに。

写真に写ってないことも、
たくさんあるはずなのに。


特別な日ですら、私は覚えていない。

こんな親不孝なこと、あるだろうか。

記憶は、選べないけど


覚えていたいことを、覚えていない。
忘れたいことを、覚えている。
記憶は、選べない。
なんて、ツライ仕組みなんだろう。

せめて事実と同じ比率で、楽しかったこと、辛かったことの両方覚えていたかったな。

と、ここのところ、ずっと考えていた。

でも、思い通りにいかない記憶の仕組みがあることで、助けられていることもあるんだろう。

アルバムの意味

私にとってのアルバムは、こんなに愛情をもらっていたんだなと確認できるもの。

覚えていなくても、そこにある。
あるはずなんだと信じられる。

アルバムをめくっていて、いつの間にか、両親の笑顔はないかと探していることに気がついた。
私を育てている間、幸せな時間はありましたか?と写真に向かって話しかけている自分がいた。

それなら、今からできる。
幸い両親は健在だ。

新しい記憶を刻めばいい。
家族の思い出話を聞かせてもらおう。
そして、その日を覚えていよう。

アルバムは、私に勇気をくれる。
きっと、そこに愛はあったと、私の背中を押してくれる。

※ヘッダーは、母と私。
母が嬉しそうで、私も嬉しい1枚です。








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