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良い子じゃなくても大丈夫

小学校の担任だったY先生。
3、4年生のたった2年間だったけど、彼に出会えたことは私の幸せランキングベスト3に入る出来事だろう。

私は両親に褒められたことがなくて、愛されている実感がなくて、もがいていた子どもだった。

1番の成績でも「そんなこと頼んでない」
話しかけても「うるさいな」
何か失敗すると「だから言ったじゃない」

最低でも良い子じゃないと、憎まれるんじゃないか。捨てられるんじゃないかと心が休まらない日々。時には、押さえつけた感情が爆発して癇癪を起こした。

良い子とは、大人にとって都合の良い子。
子どもながらに、そう感じていた。

そんな時、担任になったのがY先生。
彼は社会人経験を経て、改めて教師になった若い先生で、初めての受け持ちクラスが私たちのクラスだった。

ちょっと変わった大人だな。
それが第一印象。

生徒一人ひとりをよく観察して、その子に合った声かけをする。

Y先生の姿を見ていた私たちのクラスは、子ども同士が相手の個性を把握し、適度な距離感を掴める不思議な、でも居心地の良いクラスになっていった。

自分とは合わないなと思ったら、普通のクラスメイトとして付き合えばいい。攻撃することも、無理して深く仲良くすることもしなくていい。みんなが違う。誰もそのことを侵すことはできない。ただ思いやりを持って、過ごすだけ。

役割としての良い子を誰も求められない。
すごく伸び伸びしたクラスだった。

ある日、Y先生から電話がかかってきた。

今度、新1年生の身体測定があるんだけど、お世話係を手伝ってくれないか?というお願いだった。

自分より小さい子に関わるのは苦手だ。
正直、やりたくない。

でも大人からの頼まれごとを断ると嫌なことが起きる。冷たい子だ、そんな子だとは思わなかった、がっかりだと言われるに決まってる。その後もずっと針のむしろのような扱いをされるに決まってる。今までずっとそうだった。

悩みに悩んだ私は「できない」と小さな声で言った。そして次に来るであろう嫌なことに身構えた。

「わかった。悪かったね。ありがとうな。また明日学校でな!」

これがY先生の返事。

びっくりした。断ったのに怒られなかったし、嫌味も言われないし、何もなかった。当たり前かもしれないけど、次の日もY先生は何も変わらず、いつも通りだった。

良い子じゃなかったのに、受け入れられた。
私は今まで感じたことがない温かさに包まれていた。ありのままで受け入れてくれる場所があることに、心が満たされていく。あんなに不安定だった心は、穏やかになっていった。

Y先生とクラスメイトのおかげで、私は大人にとって都合の良い子をやめた。やめても、悪いことは起きなかった。子どもでいることを楽しんだ2年間は、キラキラと輝く宝物だ。

その後は残念ながら、家庭環境は変わらず、転校で友達と離れ、都合の良い子を求める大人にうんざりする日々が中学校卒業まで続く。

だけど、私は知っている。

信じられる大人もいること。
自分が自分らしく生きることを、笑顔で見守ってくれる人がいること。

自分には、その価値があること。

その思いが、ずっと自分を支え続けている。

Y先生、ありがとう。
ずっと先生を続けてくれて、ありがとう。
先生と出会うことで、たくさんの子どもが都合の良い子をやめるきっかけになりますように。

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