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メジャーじゃなかった心の病パニック障害【15】

【4】病気と付き合う(8)

ー 新天地で回復を願う ー


新たなる病院、転勤。

朝の通勤電車は
下りになり、混むがさほど気にならない。
グ~ンと通勤が楽になる。

車で病院にいける。駐車場も広い。
仕事が休みの日に
わざわざ電車に乗らないで済む。

遠距離の出張もない。

これは、もう治るのは時間の問題
などと楽観的に考え出していた。

だが、数週間でわかる。
そうでもなかった。


単純に、人が少し減ったから?
電車の乗車時間が短くなったから?
不安が起こらないか?と言えば、
そんなことはなく、

そこで起こり得る可能性を想像(予測)してしまい、
不安がよぎり、体調に変化が出ちゃう。
根本的に内容が同じであれば
多い少ない、長い短いなど多寡に関わらず
不安は起こってしまう。

ロケーションが、東京だからダメとか、
埼玉だから大丈夫とか
あんまり関係がない。

むしろ、行動療法から逃げる方向に
向いているので、
いつの日か遠い所に行く用事があると、
かつての都内通勤くらいの不安に
襲われることも想像できた。

もう、ド田舎で誰もいない所に永住する
とかじゃないと、
これって良くならないんだろうと思うように。

でも、そんな経済力は普通サラリーマンのぼくに
無理であり、地道に治していくしかないんだと、
さとりはじめる。

新しい病院は、認知症の老人を
メインとした治療が専門だった。

診療科目は神経内科と思ってきたが、
紹介状により、通された診察室の
名称は精神科と記されていた。
先生はご老体の院長だった。

そこでも、今までの経緯を話し、
基本カウンセリングになる。

そして処方薬も同一であった。


院長先生は、

『あなた結構長引いて治療してて、医療費大変でしょう。
医療費負担軽減出来るけど考えてみる?』

『ただ申請するとちょっと厄介なんだな。』
と意味深な言葉も付け加えた。

パンフレット的なものをいただいたが
そのつもりはなかったので、あえてスルーした。
何か後々影響があるのだろう。深入りはしなかった。

ぼくはもう薬さえもらえば良いとおもって
通院をしていた。
頭痛で鎮痛剤を飲む感覚に似てきていた。

カウンセリングしたから
良くなる?とはならず、


院長先生はいつも
あきれた感じでこう言う。

『もうねえ、開き直るしかないんだよ。』

こればかりはごもっともなんです。
これができないから苦しんでいるんですよ!
と、わかっちゃいるんです。
ここが難しいんです。

転勤先では、所属に年の近い先輩がおり
可愛がってくれた。
スノボが大好きらしく、ぼくも好きなので
話があった。
こうなると【一緒に行こう】となるわけだ。

ぼくには不安がある。
この先輩とスノボにいったとして
病気かばれたらいやだなと。

新天地でぼくが病気であることを知っているのは、
所属長以上の役職であり、先輩は知らない。

スノボ…大好きだけど
リフトが不安。リフト待ちも不安
道中の車内や渋滞も不安。

基本的にスノボは彼女と行くか
一人で行くかのどちらかであり、
リフトは乗らない。ハイクして
ハーフパイプで遊んでいた。
お陰でこれは腕をあげた。

不幸にもこの病気になる前に、
1人乗りリフト乗車中に急停止
1時間近く宙ぶらりんに。
結局再開することなく、スキー場のレスキューがきて
板などの装備を外して投げるよう指示され、
丸腰になったぼくらを順番に助け出す。
地上から竿みたいな伸びる棒を、
リフトを吊っているワイヤーに引っ掛けてきた。
言われた通りに、
そこからのぼり棒を降りる要領で、
しがみつきながらおり、
地に足をつけた。

こんな経験をしているから
なおさら、リフトは恐怖でしかなく、
仲良く一緒にのれるわけがないのです。

発病してからは、この理由から
彼女とスノボに行ってもほぼ別行動であった。

さぞかしつまらなかったと思う。
そんな彼女は
『神経科も精神科もおんなじでしょうに』
『何こだわってんの?』と。

まさか自分が精神科にかかるなど
思ってもいなかったので、
誤った理解で、勝手に診療科目を区分けしていたが
論破され、ちょっとずつ開き直りだしきた。



東京でも埼玉でもなく
リゾートでも不安はつきまとう。

つづく。

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