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お母さんとわたし3

お母さんについての話も3回目。
話は尽きそうで尽きない。
姑の話になるといざこざものが多いけれど、わたしも例外ではなく、数々のいざこざ!?というより喧嘩はしている。

原因は大概、いや、100パーセント旦那がらみ。
旦那をかばうお母さんにムカついて。
本当は旦那が一番悪い。なのに矛先がいつの間にやらお母さんに向いていたというパターンが多い。

世のお嫁さん方もそうなんだろうか?

よく、姑は息子を嫁に取られたような気持ちになり、嫁に嫉妬の気持ちを感じていくと言うが、嫁の方だって、いい歳して自分の息子に張り付いている姑を見れば良い気はしない。

俗にいうマザコン!!ってセリフを旦那に浴びせたくなるものだ。
まぁ、ヤキモチも少し入っているんだろうから、そこのところは姑とどんぐりの背比べである。

これはわたしの見解に過ぎないが、男子はその度合いは千差万別であっても、基本マザコンだ。

度合いに関して思うことは、姉・弟、兄・妹など男子、女子が混ざる兄弟よりも、ひとりっ子や男子のみの兄弟の方がマザコン係数が大きくなると、勝手に確信しているわたしである。

家族内でママが唯一の女性になっている可能性が高いからだろうか…。
誰か統計を出した人は居ないのだろうか…。
で、うちの旦那はマザコン係数が盛り上がっちゃってる方のパターンに属します。

わたしの今までの歴史の中に、宿屋を旦那と営んでいた時代があるのですが、その宿屋を始めたばかりのころのエピソードを話します。
嘘みたいだけど全部本当の話です。

宿屋を始めたばかりで、仕事の流れなど時間的な感覚もまだつかめていない中、その事件は起こりました。

繁忙期だから、アルバイトさんを雇ったものの、なんと、契約途中で逃げられるというアクシデント。しっかり働いて頂いた分の賃金はお支払いしました。

本当は契約違反だから賃金は支払うべきでは無かったのかもしれないけれど、宿屋を始めたばかりで、言われたことは何でも鵜呑みにしちゃうくらい仕事に慣れていなかった。宿屋としてうぶだった。

わたし達が初心者な分、かなりベテランのわたしたち夫婦と年齢が変わらないくらいの自称宿屋仕事経験者に来てもらった。全国の宿屋をアルバイトで渡り歩いていると話していた。

アルバイトが決まった時は、ラッキー☆とマジ思った。あわよくば、色んな宿屋の裏事情が知れる。仕事のコツなんかも教えてもらおう。そんな気持ちでいた。

神様なんて居ないと思ってるけど、
誰か見てるのか、はたまた、アルバイトがわたしの心を透視?していたのか、

明後日から満室続き…って時に
「あのう、契約内容と違うんで辞めます。」と。

耳を疑った。
「はい?なんですと?」

たぶん、こいつが旦那だったらコテンパに論破していたと思う。だって契約違反なんてしていなかったし、労働時間だって守っていた。

今まで働いた宿って、どんな居心地の良さだったの?経験者なのに、今このタイミングで辞めるの?

でも、自分たちに余裕が無いって怖いです。
なんか、全部自分たちが悪いのかも!?って気にさせちゃう魔力があるんですね。

ぎょめーん🙏って泣きそうになった。

去る者は追わないと言い放った中学時代の部活の顧問の言葉が頭に浮かび、
「先生、あんたすごいよ。」と、急に格好良く思い出された。

でも正直こいつ(アルバイト)とは繁忙期に同じ釜の飯は食えそうにないと、わたしの野生の勘は働き、すぐに頭が切り替わった。

「繁忙期をどう乗り切るか。」

♪風の中のスバル〜  砂の中の銀河〜
みんな何処へ行った

中島みゆきさんの地上の星が頭の中を巡っていた。

「本当にどこに行ったんだよアルバイト。」
次の朝にはバイト代だけしっかり受け取り、挨拶も無しに消えた。

X!!!!! 「ばぁば隊に出動願おう。」

わたしの結論だった。
この繁忙期にばぁば隊が耐えられるだろうか…
でも、この繁忙期を乗り越えるにはこれしかない。

藁にもすがる思いで、すぐに電話をかけた。
わたしの母さんは、
「明日いくよ。」と。
お母さんに電話をかけた旦那からは
「明日は用事があるから明後日からくるよっ。」てさ。
今いくよくるよだった。

母さんは来て早々からベッドメイキング、調理補助とこなしてくれた。
さすがベテラン主婦。

わたしの母さんは昔、大手のホテルでお部屋清掃のアルバイトをしていたことがあり、掃除の仕方やベッドメイキングの仕方を旦那に指導してくれていた。

それに安心しきったのか?!
お母さんがやって来る日に旦那はやらかした。
宿屋初心者のわたしが今まで保ってきた精神状態を崩壊させた。

宿屋を始めたばかりの頃、わたしは30人分のフルコースを一人で作っていた。出来合いのものは一切使わない主義の宿屋だったので、ドレッシングに至るまで全て手作りだ。

おまけにそのころはストックを作る、仕込みをしておくという概念が全く無かったので、ずっと調理場に居た。睡眠時間0の日もあった。旦那は料理は全く作れず、わたしが倒れたらアウトだった。

なのに、手を抜くことも考えられず、3日煮込んだビーフシチューなんぞを売りにしたもんだから、自分の首を自分で締めていた。

ビーフシチューの匂いも、味を見るのも嫌だった。国産の良い牛肉を使っていたからお肉だけでも美味しいものなのに、

「もう、ビーフシチューなんて、見たくない!」

ってな精神状態にまでなっていた。

さて、満室の日のはじまりの朝、チェックアウトのお客様をお送りし、旦那と母さんは館内清掃、ベッドメイキングへ。わたしは朝食から休むことなく調理場で3日後に出すビーフシチューの調理やデザート作りなどに追われていた。

時間に追いかけられている恐怖の中、厨房で集中して作業していた。もうすぐお昼になるかというくらいの時に母さんがやって来て、「◯◯ちゃん(旦那)が居ないよ。聞きたいことあるから呼んだんだけど、どこにも居ない。」

???????

旦那よどこへ行った?
厨房を通った気配は無かったけど、その奥にあるプライベートルームを一応のぞいてみた。

居ない。

携帯。携帯。携帯。携帯。かけてみた。

「………      どうした?」
「どうしたじゃないよ。あんた今どこに居るのさ?」
「えっ?あぁ、今、駅に向かってるとこ。お母さん(旦那は自分の母親におをつけて呼ぶ)迎えに来てる。」
また、今いくよくるよかよっ!

「はい?」

その瞬間だった。
なんか、弾けた。
パーーーンなんて、音は聞こえない。
シーーーンである。
携帯持ちながらわたしは泣いていた。

沈黙を破り言葉の大砲を旦那に向かって発射した。

「おまえ、掃除を母さん一人に任せるとは、どういうことだよ!!あーぁ!?駅からはバスがあるだろ?迎えはバス停までで充分じゃい!!今日満室だよ。どうやっても母さん一人じゃ終わらないだろう?あぁー?」

「おまえが夢を叶えたいからって宿屋を始めたんだろ!ふざけんな!!!」

わたしはチンピラだった。

急にあの馬鹿アルバイトのこと、
厨房に寝泊まりしているような今の状態、
シンドくても始めたばかりだから仕方ないと自分を必死に奮い立たせてきたこと、
旦那の宿屋を繁盛させたいと思って、とにかく色んなことを考えてチャレンジしてきたこと、

色んな思いが夏の匂いと共に湧き上がってきた。

このヤローーーーー!
心が叫んだ。
自分がこんなに怒る人間だとは思わなかった。
New 自分 発見。

母さんに伝えずらかった。
彼女はわたしの母である。
チンピラの母である。

わたしが怒っていれば、逆に冷めてしまうだろうなんて冷静な判断は出来ていなかったが、偶然そんな風になった。

事を伝えた母さんになだめられる程だった。
ある意味母さんを冷静にさせたのか?わたし。
母はこんな状況でも

「そっかぁ。間に合うように何とかしないとね。とにかく先にベッドメイキング終わらせちゃおう。」と、計画の練り直しまでしていた。

危機管理能力のある女である。
啓蒙本に出てきそうな人物である。
父が頭が上がらないのが分かる気がした。

で、しばらくわたし達親子は自分の持ち場に集中した。しかし、怒りが収まらなかったのはわたしの脳みそである。制御不能だった。

ボールに流し込んだ卵の黄身が旦那の顔に見えた。泡立て器でチョップしまくってやった。
きみに罪はないのにね。

腹が立って、涙しか出てこなかった。
それでなくても時間が足りないのに、仕事がはかどらなかった。

この時のことを後で振り返り、
わたしは一体何にこんなに怒りを覚えたのか?
ということを考えてみた。

自分の夢だと言い出したので、旦那の脱サラするかの答えを一年間ほど待ち、そこまで覚悟があるのならと、わたしも自分の仕事を捨てて宿屋をやるに至ったのに…

こんなにも自覚なく、無責任な旦那に呆れた…
いや、愛想が尽きたのである。
そんなやつが自分のパートナーであることを心から情けなく思ったのである。

でも、危機管理能力に長けた母は、
「せめて出る前に言ってから行ってくれたら良かったのにね。」と、仏の様なダジャレを放った。

おや?おかしいぞ。
わたしの知ってる母ではないぞ。

わたしの知ってる母ならば、
鬼軍曹の形相で四倍返しがくるはず。

でもね、仕方ない。
これまた家事情だが、結婚当初からわたしの母さんは旦那に甘い。なんでだこのヤロー。

わたしと喧嘩して家を出たと思うと、必ず旦那はわたしの実家に逃げていた。
ふつう自分の実家だろ?

だから、わたしは逃げる場所が無かった。
無精なわたしは旦那の実家に行くほどのエネルギーは持っていない。とりあえず、旦那のお母さんに告げ口だけして終わっていた。

母親同士も仲良すぎでビビる。
一緒に国内外の旅行まで行く。
わたし達が海外へ行った今だって、自分の故郷に戻って飛行機に乗らなければ東京には行けないのに、わたしの母はお母さんとこに泊まりに行く。

わたし達が夫婦喧嘩をする度に、
「お母さん、私達、二人が離婚しても、ずっと付き合って行きましょうね。」
が、口癖の二人。恐るべしばぁば隊である。

拍子抜けするほど穏やかな母さんとは真逆で、わたしはもう仕事には集中していなかった。

エプロンを外して厨房から、家から、飛び出た。
お財布の入ったカバンだけ持ち、とにかくバスに乗って遠くまで逃げてやると思った。

母さんに留まるように言われたが、もうそんな大人な対応ができる程の余裕はわたしには残されていなかった。まるで思春期のヤンチャっ子程度の脳みそしか働いていなかった。いや、遅い思春期だったのか?

車は一台しかないし、あったところでペーパードライバーだから乗らない。
競歩並みの速さで逃げた。
標高1500m。別に高地トレーニングがしたいわけではない。多分相当に息が上がっていたはずだけれど、それすら記憶にない。ただ怒り狂っていた。

どんなに急いで歩いても、バス停まで20分はかかる。チクショー!遠いぜ。
普段なら眺めも良くて森林浴できる道中、時間なんか忘れて歩ける絶好の環境。

でも今日は最悪。天気は爽快だったことは覚えてる。心が折れそうな時の晴天は傷に染みる塩みたいだ。こんな時は曇天でいい。

歩きながら「旦那と会いません様に。」とだけ思っていた。

嫌な予感的中。
旦那のかっ飛ばしてきた車と遭遇。
母さんが連絡入れたのだろう。

旦那は車を道の端に停めて降りてきた。
わたしは無視して通り過ぎた。
「ねぇ、待ってよ。悪かったよ。ごめん。」
それを話している間にお母さんが後部座席から降りてきた。

「私が悪かったよ。ここまでバスで来れば良かったよね。SOSで呼ばれたのに、駅まで迎えに行く時間なんて無かったよね。本当にごめんね。だから、戻ってもらえないかな?お料理作る人居なくなってしまったら、お客さんを困らせてしまうし。ねっ、お願い。」

この時点で、わたしは罪悪感に襲われた。
なんか、わたしが悪いことしてる?
たしかにお客様に罪はない。
その点に関してはわたしの行為は無責任だ。

でもわたしの怒りは収まらなかった。
前を向いて坂を登り始めた。
旦那とお母さんは車に乗り込み、わたしの行く手を遮った。

腹が煮え繰り返っていた。
「ごめんなさいで済まないこともあるんだ。」
そう思いながら歩こうとしたら、お母さんがいきなり道端で土下座した。

ヒェーーーーーーー。

声にならなかった。土下座をさせてしまった。そんなつもりは無かったし、そんな行動に出るとも思わなんだ。

もう、罪悪感MAXで
「戻るつもりはないです。お客さんに迷惑がかかることも承知です。でも全て旦那の意識の低さが招いた結果です。」

わたしはその場から歩き出そうとした。
その瞬間、何かがわたしの側に来て、わたしから何かを奪った。

お母さんがわたしの腕から財布の入ったカバンを奪ったのである。
ラグビーでボールをカットされる様な素早さだった。今でもこのことを思い出すと、スクールウォーズのテーマ曲がお母さんのタックル姿と共に思い出される。

というか、お母さん、消えたよね。絶対消えた。だって見えなかったもの。忍者だ。でぶっちょなのに素早い忍者。

お母さんの機転の効いた一撃により
もう、わたしの気持ちは収まるはずもなく、そのまま泣きながらバス停に向かった。
海外でスリに遭い、迷子になった大人状態だった。

繁忙期の観光地。山の中とはいえ、人は居たはずだけれど、そんな記憶全くない。
というか、こんな成り行き見ていたら、自分なら誰かに話さずには居られない。

「あっ、これ見てたのわたし!」という人が居たら、「お見苦しいものをお見せして申し訳ありませんでした。」と謝りたい。せっかくの避暑地をヒートアップさせてしまいごめんなさいと。

旦那とお母さんはそれ以上追いかけては来なかった。

このヤローである。
カバンを取られたがために、全てが無かったことになりそうになっていた。携帯も無かった。

バス停に着いたけれど、わたしここへ何しに来ましたか?状態だった。
そして到着したバスも、しばしの停車後に行ってしまった。

わたしは腫れた瞼を重いと感じながら、しばらくバス停の待合室で座っていたけれど、もうチェックインの時間が迫っていた。

このまま居ても何も出来ないし、帰るしか道は残されて居なかった。でも泣いたせいで眠くなり、それすら面倒だった。

わたしは来た道をまた歩いて戻った。
すごい疲労感と脱力感。
さっきの勢いはどこへやらだった。

家に戻ると、館内清掃とベッドメイキングは全て終わらせた旦那とばぁば隊が厨房に集まって、あーでもない、こーでもないと騒いでいた。
なんか楽しそうだった。ピンチをチャンスに変えるとはこれか?

わたしは別に必要なさそうだった。
でも厨房に入るとばぁば隊が、
「あ〜戻って来てくれたんだね。良かったよ。何すれば良いのか全く分からなかったんだよぉ〜。さぁ、指示出して。どんどんやるから。」

旦那はだんまりだった。
それがムカついたが、夕食の時間も近付いていたので、また厨房に戻った。

その後のわたしは軍曹の様に命令口調で指示を出し続けた。旦那には、「こんなことも出来ないのか!?」と、やる気を削ぐ様な言葉を並べた。
旦那にはチンピラであった。

その後、ばぁば隊に説教されたのは旦那だった。
当たり前だけど。
そんでもって、夜になり全てが終わった時に「厨房の仕事がこんなに大変だと思わなかった。よく今まで一人でやってたね。本当にごめんね。こんな息子になったのはわたしのせいだね。許してね。」とお母さんから言われて、泣きそうになったが、グッと我慢してまた憎まれ口をたたいた。

「いい歳こいてこんな息子なのは、息子のせいでお母さんのせいではありません。」





わたしの頭と心の中のことに興味を持って頂き、ありがとうございます。サポート頂いたお気持ちは私を今まで支えてくれた子供と旦那、沢山やりたい事のあった息子の目になり色んなことにチャレンジするために使わせて頂きます。