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ヘソ・コレクター 【ショートショート #02】

 世の中には、まったく珍妙なものを集めるコレクターがいたものだ。最近知り合ったタカユキさんという人は、いろんなヘソを集めているらしい。聞くに、都内有数のメンタルクリニックの売れっ子精神科医で、治療の副産物として出てくるヘソをコレクションしているようなのだ。集めたヘソは、便利グッズとして実生活にも役立てているというから驚きだ。
 その話を聞いてからというもの、ぼくはワクワクが止まらなくなった。どうしてもと頼み込んで、家にあるコレクションを見せてもらえることに…

 訪問の当日。二つの台風が同時に上陸したことにより、暴風警報が発令されていた。滅多に止まらない電車も長時間運転を見合わせるほどだった。タカユキさんは「また別の機会にしたほうがいいのでは?」と言ってくれたが、この機会を逃すと次はいつになるやらわからない。せっかくの予定を反故にするわけにはいかなかった。それに、タカユキさんの家は目と鼻の先だ。

 暴風雨のなか、ぼくは家を出た。
 さすがはクリニックの経営者といったところだろう。大きなタワーマンションの最上階に住んでいた。その家の一室がヘソのコレクションルームになっており、案内されて中へ入ると、まるで美術館の倉庫みたいだった。すべての棚やショーケースに白い布がかけられている。タカユキさんが白布を取り除いていき、綺麗に陳列された実に豊富な種類のヘソベソが露わになった。
「触ってもいいんですか?」
 ぼくはもう釘付けだった。
「もちろん」
 ショーケースを開けて、そのうちのひとつに手を伸ばした。
「あ、それはダメ!」
 タカユキさんが慌てて、ぼくの伸ばした手を制止した。
「す、すみません」
「そのヘソは熱いから気をつけて」
「熱い?」
「うん、かなりね。ケトルの代わりにも使えるくらい」
 ほんとだ、ちょっと手を近づけただけで火傷しそうだ。
「そのヘソは、1年くらい前にウチにきた患者さんのものだったんだ。情動調節障害を患っていたんだけど…。えっと、つまり感情を司る脳の領域に障がいがあって、笑っちゃいけない場面でも笑いが止まらなくなったりする病気」
「それで、ヘソをとったら治ったんですか?」
「うん。ヘソで茶を沸かせなくなったからね」
 なるほど、ヘソが治療の副産物だとはそういうことか。ヘソを取る治療法なんて聞いたことがなかったが、医療の進歩はぼくなんかの知る由もない。
 次に目に留まったのは、S字に曲がったヘソ。
「これは?」
「すごく曲がっているでしょ。これはフックとしても使えるんだ。うちのキッチンでもお玉やフライ返しなんかを引っ掛けているよ」
「ふーん。ヘソって意外と便利なんですね。一体どんな人のヘソだったんだろう?」
「これは、法人のお客さんの依頼だったね。老舗企業で、社長さんは社内に新しい風を吹き込みたくて、若手社員にどんどん活躍してほしいと思っていたんだ。だけど幹部連中には昔の企業文化を引きずった偏屈な人が多くて、それが弊害になっていたみたい。そこでベテラン社員の中から特にヘソの曲がった人たちを集めて、全部取ってくれと頼まれたんだ」
「なんだか聞いていると、ヘソが諸悪の根源みたいに思えてきますね」
 タカユキさんは大きく頷いた。
「まさにそう。赤ちゃんが生まれたとき、ヘソの緒をとるでしょ?そのときに上手くやっとかないと、あとあとダメになるんだ」
「なるヘソ」
 その後も、しばらくタカユキさんの解説付きでコレクションの鑑賞会は続いた。

 だいたいすべてのヘソを観終わると、ぼくらは広々としたダイニングに移動した。
「お腹空かないかい?」
 空いていると言ったら何かご馳走でも振舞ってくれそうだ。
「はい、少し」
 と気兼ねしてそう答えたものの、さっきから異様にお腹が空いていた。
「何か食べていきます?」
「え、そんな、悪いですよ」
「まあまあ遠慮せずに。ヘソが料理にも使えることを見せてあげるよ」
 ぼくは俄然、ヘソ料理に興味が湧いた。
 タカユキさんはひとりキッチンで料理をはじめ、手持ち無沙汰になったぼくは、家の中を探検させてもらった。実にいろんなところにヘソグッズが使われていた。
 しかし、ヘソを見ると無性に食欲を煽られる。

 料理はすぐにできた。ヘソごま油で炒めたチャーハンに、ほうれん草のヘソごま和え。料理に関しては、ヘソはそんなに万能ではないようだ。というか、ヘソごまは食べるくせにヘソは食べないらしい。少し残念に思ったが、カニバリズムはタカユキさんの医療倫理に反することなのかもしれない。でも、テーブルに並んだヘソ料理の数々は、味は文句のつけようがないくらい美味しかった。

 食事を終え、ヘソごま茶を頂きながら、楽しく会話をしているときだった。外はさらに風雨が強まってきたようで、タワーマンションの最上階の家は大きな船みたいに揺れた。
 突然、窓の外から強烈なフラッシュが焚かれ、二人の大きくなった影がキッチンの壁に焼き付けられる。それと同じ瞬間に耳元でガラスが叩き割られたような音がした。稲妻だ。すると、タカユキさんがその稲妻に打たれでもしたみたいに椅子から飛び跳ね、血相を変えてダイニングを出ていった。
 あまりのことに、ぼくはびっくりして椅子から転げ落ちそうになった。雷がそんなに怖かったのだろうか。
 すると廊下の方から、ぎゃあっ、という頓狂な叫び声がして、ぼくも慌てて廊下に出ると、さきほどのコレクションルームのドアが開いている。
 中を覗き込むと慌てふためくタカユキさんがいた。
「やられた!」
 と言って頭を抱え、うずくまる。
「一体どうしたっていうんですか?」
「雷様にヘソを取られた!」
 展示してあったヘソベソが、熱いヘソだけ残して消えている。
「布を、かけ忘れてたんだ!」
「布を?」
「ほら、最初にきみがここにきたとき、全部のヘソに白い布をかけていただろう?」
 確かに、かけてあった。
「『雷が鳴ったらヘソを隠せ』っていうじゃない?」
「まさか。そんな話、迷信じゃないんですか?」
 ぼくはちょっと、とぼけてみせた。
「ヘソはね、雷様の好物なんだ。でも、熱いヘソだけは取れなかったみたいだ」
 まだ上空からはゴロゴロという音が響いている。
「ほら、ゴロゴロっていうのは、雷様のお腹が鳴っているからなんだ」
 タカユキさんは空の見えない天井を見上げて言った。意外にも、すぐに諦めがついたようで、もう冷静さを取り戻している。
「まあ、またイチから集めればいいさ。患者はいくらでもいる」
 そうだ。偏屈な人間も、ヘソ黒な人間も、世の中にはたくさんいるのだから、みんな集めてヘソを取ってしまえばいいのだ。
「また、集まったら見せてください」
 そう言って、ぼくはそそくさと家に帰った。

 雨雲のしっとりとしたクッションにもたれかかりながら、トラ柄パンツのポケットからヘソを取り出してみる。うん、首尾よくいった。我ながら名演技だった。
 さて、これからもタカユキさんとは、懇意にしなければいけない。そう思いながら、両手に持ったヘソベソをコリコリと頬張り、その味を噛みしめた。



(了)


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