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あの日、ボランティアで髪を切らなかった話。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災から10カ月が過ぎたころ、僕は被災地である東北へボランティアをするために訪れた。

曖昧な記憶をさかのぼって、あの日(2012年1/17〜1/19)感じたことを忘れないようにnoteに書いていく。

当時、理容と美容の国家資格を取得(ダブルライセンス)しスタイリストの仕事にも慣れはじめていた僕は

ずっと憧れていた東京の有名サロンへの転職も決まり18歳からお世話になっていた会社を辞め、東京に引っ越す前に初めて2カ月ほど自由な時間をつくり海外、日本国内を1人旅した。

その中のひとつが東北への旅だ。

正直に言うと被災地へボランティアに行く手続きをしたけど半分は観光気分だった。

アクセスの良い宮城県仙台市で2泊分のホテルを取り、少し離れた七ヶ浜町というところでボランティアとして受け入れてもらうことになった。

朝から夕方まで七ヶ浜町でボランティアをしたら仙台市内に戻り、観光しようとスケジュールを組んだ。

スーツケースには着替えと退社前に会社からもらった救援物資、そして髪を切るための道具を詰め込んだ。

被災地にいる人たちへ救援物資を届け、髪を切ってあげたらきっと喜んでもらえる!

という自分勝手な思い込みで被災地へと向かう自分に酔っていた。

20代半ば、これから有名サロンで働きカリスマになる(つもりだった)僕は人間的にも未熟でボランティアをする自分に価値を感じて、被災地や人々の暮らしを想像していなかった。

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↑調子にのっていた当時の僕(25歳)

初めて東北の地、仙台に降りたときは震災からまだ10ヶ月を過ぎたあたりだったのだけれど、街の景色は自分が想像している以上にありふれた光景だった。

仙台駅前はすごく都会で、おそらく震災前と人の流れは変わらないんじゃないかと思った。

キレイな格好をした女性を見ればこれからデートなのかなと想像出来たし、夕食で立ち寄った牛タン屋さんではサラリーマンがビールを飲みながら仕事の話をしている。

でかい荷物を抱え、見知らぬ土地で1人不安を抱えながらホテルのチェックインまでコンビニでマンガを立ち読みしたり駅前をウロウロして時間を潰した。

事前に予約していたホテルは改装中ということでやたらと安かったことを覚えている。

外壁塗装をするために足場が組んであったホテルの部屋から見える窓の景色には鉄骨と布きれしか映らない。

改装中ということで水道管もいじられていたのかユニットバスに溜めたお湯には銅が混じっていて薄茶色く、うっすらサビのにおいがした。

ホテルのフロントにクレームを言ったら、しばらくお湯をだしたら大丈夫ですのでー。

と言われた。

しばらく出してもやっぱり茶色いお湯しかでないのでもう諦めた。

仙台1日目の反省、安いホテルはなんかある。

2日目の朝、今日から2日間のボランティアが始まる。

電車とバスを経由して仙台市から少し離れた七ヶ浜町のボランティア施設(学校の体育館?)へ到着した。

僕以外にもたくさんのボランティアがいたけど、ほとんどが団体で手続きをしていて僕のように単独でボランティアにくる人間は少数派だったようだ。

現地のスタッフの方から何をしたいか聞かれた際には迷わず、「髪を切りたいです!」と伝えたら困った様子だった。

[瓦礫の撤去作業]か[仮設住宅で作業]しか選択肢がなかったので考えてみれば納得の表情だ。

とりあえず救援物資も渡したいし、被災地の方とお話しが出来るのは仮設住宅の作業だと思い、コチラを選択した。

高台にある仮設住宅に到着するまでの道のりで景色はガラッと変わったのを今でも覚えている。

高台から見下した景色には建物がひとつもなく土砂にまみれたグシャグシャの車が平積みされていただけの更地だった。

震災からわずか10ヶ月という期間で仙台市内では徐々に復興は進んでいると感じていたけれど津波による甚大な被害を受けた地域は次元が違っていた。

ほぼ手ぶらの観光気分できたエセボランティアの僕にここでなにができるんだろう?

と思った。

仮設住宅では七ヶ浜町ボランティアと書かれたビブスを着けたくらいで特にこれといった作業はなく、被害に遭われた方と交流をしたり中を案内してもらった。

仮設住宅を回っていると、陽の当たらない陰には雪が残っていた。

けれどボランティアをしている記憶の中に寒かったという思い出はない。

仮設住宅ではご年配の方が話してくれる東北なまりを必死に解読しようとしていたことや、吠えたり尻尾を振ることもないどこか寂しそうな表情をしていた犬の方が強く印象に残っている。

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↑そのときの犬。ジーっとコチラをみていた。

先が見えない中で皆それぞれが複雑な思いを持ちながらも毎日を過ごしているんだと思った。

この日、ボランティアをしたというより仮設住宅での生活を見せてもらったという1日だった。

ボランティアとしての活動時間が終わり、仙台のホテルに帰って観光をする気にならなかったし、救援物資もまだ残っていたので七ヶ浜町を散策してもっとこの地域の人と交流したいと思った。

あわよくば髪を切ってほしい人に出会えるかもしれない。

この時はまだ、そんなことを思っていた。

少しにぎやかなところに行けばお店が立ち並び、中には仮設店舗で営業しているお店も見られた。

突然よく分からん救援物資を渡しにいったら引かれるかなーと思ったけど笑顔で「ボランティアで来ました!」って言えばなんとかなると腹をくくり、とりあえず飛び込んでみる。

ボランティア施設近くで仮設店舗のラーメン屋を営業しているお店にはボランティアの2日、連続で食べにいくことになる。

具志堅用高さんみたいな店主から、店は地震で潰れてしまったけど仮設店舗でも自分のラーメンをつくり皆に食べさせて元気づけたいとか、いずれは自分のお店を建て直すなどを熱く語ってもらいすごいパワーを感じた。

経営者になった今、仕事をする環境が突然めちゃくちゃに壊されたのに希望をもって、また一からスタートをすることの大変さがよく分かる。

具志堅さんはワンオペでラーメン作りから接客、片付けまで忙しそうなので流石に髪を切らせてとは言えなかったけど、いつかまたラーメンを食べにいきたいと思ったので写真を撮らせてもらった。店の名前を忘れてしまったのが悔やまれる。

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↑ラーメン屋の店主(勝手に写真を使ってごめんなさい)

理容室、美容室にも何軒か回らせてもらい、中には仮設店舗で一席しかないようなお店もあった。

突然、理美容室に同業者が訪れたら店の人は困惑すると思ったけど、正直に身分を明かしたうえで自分の勤めていた会社オリジナルの救援物資の説明をして受けとってもらった。

この時、救援物資に僕のサインを求められたのは後にも先にも人生でこの時だけだ。

サインというよりただの署名になってしまったのだが。

被災地で働く地元の人たちと関わって感じたことはとにかく皆が前向きだった。

きっと僕なんかには想像出来ないほどの絶望を感じたに違いないけれど、前に進もうとしている。

というかすでに進みだしている。

元々の値段は分からないけど、みんなに自分のラーメンを食べて欲しいと言っていた店主が作ったラーメンはトッピングの内容や味、共有出来た時間(は僕のさじ加減だけど)に値段以上の価値を感じた。

2日目には現地で会ったボランティア仲間を行きつけの店のようにラーメンに誘ってみた。

理美容室で働く皆さんも同様に大変な思いをしている中、仮設店舗にしてでも目の前のお客さんの髪をキレイにしていた。

髪を切りにきていたお客さんもきっとそのお店とスタッフさんを求めて来店していたに違いない。

どこの誰だか知らない人間(僕)がボランティアで髪を切ってあげようなんておこがましいと思った。

僕がボランティアで髪を切って誰が喜ぶ?

そこには、どんな想いで仕事をしているのか。

また、足を運んでいるのか。

全く想像出来ていなかった。

生活をする為に必要なお金を稼ぐ場所を僕がボランティアで髪を切ることで奪ってしまうことや。

交流するきっかけを潰してしまうことに気がつきむちゃくちゃ反省した。

ボランティアといえば聞こえはいいけど、その先にどのような成果をもたらすのかよく考えるべきだった。

そこで考えた僕の答えは、ボランティアで髪は切らない。ということだった

なぜなら、そこには髪を切ることで報酬(お金、やりがいなど)を得て生活をする人がいる。

地域柄やサービス内容による相場というものがある。

なのでボランティア(無償)で切ることは無責任で、理美容[業]という仕事の価値そのものを壊しかねない。

たとえ、たった1回のことでも確実に機会損失を生む。

ホテルに帰った僕は髪を切る道具をすべてスーツケースに封印し、翌日のボランティアでは完全に手ぶらで向かい、軍手を借りて瓦礫の撤去作業に集中した。

頑丈な手袋、つるはしなど解体道具まで持参するプロボランティアには衝撃と感銘を受けた。

途中、僕と同じように単独でボランティアにきた方の車で海沿いをドライブして現状を目に焼きつけた。

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↑道路が途中で割れて通行止めになっている

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↑公園だったような気がする。まだ海水が残っている。

被災した方の中には震災直後の映像や写真をみて恐怖を感じたり、気分を害してしまう人がいることを知った。

震災から時間が経ったとはいえ、このような写真を載せていいものか迷った。

今回、当時の記憶を一生懸命思い出そうとしたけど残念なことに忘れてしまっていることが多かった。

人間の頭は楽しかったことも、苦しかったことも時間と共に徐々に忘れてしまうように出来ている。それならば、たとえ忘れてしまってもなにか書き残せばきっとその時の感情をまた思いだせると思い、ここまで書きすすめてみた。(結果、文章がまとまらない)

普段、このnoteには自分の仕事やフリーランスとしての働き方や苦労についてふざけながら書いている。

ここまでまじめに書いたのは初めてだし、誰にも話したことのない話を誰かに読まれることにいつも以上の恥ずかしさを感じている。

でも、これは自分の忘れたくない過去を書き記したnoteだ。

恥ずかしいからと予防線を張るのはもうやめよう。

さいごに

全て僕個人の感想であり、ボランティアカットそのものを否定するつもりはありません。

また、曖昧な記憶で事実と異なる表現をしている可能性もありますがご了承下さい。

僕自身、阪神淡路大震災を経験し子供ながらに地震の怖さを知った。

それから数ヶ月後のある日、家から離れた神戸市の市街地まで家族と車で訪れたことがある。

詳しい場所までは覚えていないけど、ぐちゃぐちゃになった街の光景を今でも鮮明に覚えている。

両親はゲームをしたり寝ている僕たち兄弟にこの街の様子を忘れないように見ておきなさい。と強く言った。

たぶん阪神淡路大震災を経験したり、あの時の神戸の様子をみていなかったら震災が起きたところへボランティアに行くという選択をしなかったかもしれない。

3.11が近づくにつれて思い出す、過去の記憶。

改めまして、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

おわり


2023年3月追記しました。

あの日から10年以上が経過しました。

随分と時が経った気がするけど、被災された方はあの日から今日までどのように感じるのだろうか。

僕は今、仕事の合間にボランティアをしています。

県と地域共生型モデル事業として市内の介護施設が選ばれたことで連携して有償ボランティアという形で参加をさせていただいております。

ボランティア内容は

外出が出来ない高齢者のお宅へ伺い、事前に頼まれていた日用品の買い出しと簡単な掃除など。

きっかけは買い出しや片付けをしながらご利用者さんと交流をすれば僕の事業(訪問理美容)の宣伝活動が出来ると考えたからです。

ボランティアは単発で終わらせることなく、継続することに意味があるので

有償であったり、自身の活動にプラスになることの必要性を感じました。

利用者さんと交流をするなかで報酬だけでなく貴重な経験をいただきながらこちらもお役に立てて喜んもらえればお互いにwin-winな関係で継続したお付き合いが出来ます。

あの日、東北でのボランティアは終わってしまいましたが。

自分が継続出来るボランティアを今後も続けていきたいと思います。

そして、また東北へ行き、当時とは違った景色を眺めながら思う存分観光が出来ることを目標に頑張りたいと思います。

2023年 3月11日














[期間限定]追記と秘蔵写真を公開!

約2ヶ月間もの間、仕事から解放されて自由を手にした僕(無職)にとって1人で行く海外、東日本をまわり色々な景色がみれたこと、貴重な体験が出来たことはこれまでの人生の中で大きな財産となった。

こんな1人旅はもう2度と出来ないと、後悔しないようにやり尽くした。

そして旅が終わり、僕はある決心をする。


親知らず4本同時に抜く手術をやろう!!

しかも全身麻酔で3泊4日の入院コース

仕事をしていたり、旅の途中には絶対に出来ない

やるならこの時しかなかった…。

これから劇的ビフォーアフターの写真を載せる。

理由はSNSからこのnoteにたどり着いてもらう為の仕掛けとしてインパクトを残す実験だ。

ご覧の通り僕がこれまでダラダラと書いたまとまりのない文章を読むのはハッキリ言って苦痛だ。

[期間限定]最後に追記と秘蔵写真を公開します!と投稿すれば最後までスクロールしてもらえる可能性が上がると考えた。

卒業論文みたいに苦労して書いたものほどちゃんと評価して欲しいと思う。(卒論書いたことない)

どうか手術前の不安と恐怖で古市憲寿になってしまったBeforeの僕と

食パンマンに憧れて整形をしてしまったような手術後Afterの僕を見てほしい。

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左・手術前       右・手術後


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手術した次の日だぜ。それで…↑漫画タッチより引用

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おもしろかったとか、行動力のある漢とか直接言ってください。

noteからサポートしてくれてもいいからね♫

当時の自分を搾り出して精一杯書きました。

長文、駄文ですが、何かを感じてもらえれば嬉しいです。

Delight  団野 圭輔



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