見出し画像

『ノラや』 内田百閒 著


#読書感想文

 「ノラやノラや、今はお前はどこにいるのだ」
 内田百閒のノラの帰りを待つ悲哀が何とも切ない。
 
 子の野良猫が庭にいつくようになり、野良猫であるからという由で「ノラ」と名付け、一緒に生活することに。次第に、ノラの可愛らしい振る舞いや、成長していく姿を見るにつれ、夫婦は我が子のように接していくのである。しかし、3月27日、木賊から外に出たっきり戻ってこない。ノラが行方不明となってからというもの、迷い猫として新聞広告、ラジオなどを使って多くの人の手をかり探し出そうとするのだが・・・深い喪失感に、仕事も手につかず食もめっきり細くなり生活がままならない百閒。ノラのことが頭から離れず、ノラやノラや、と毎日涙する日を送るのである。

 物置小屋に置いた蜜柑箱の寝床、陽だまりのある日向ぼっこに最適な敷石、風呂の湯船の蓋の上で寝る姿、茶の間の間境の廊下など、そこにはいつもノラがいた。腹が減れば勝手口でニャアニャア、外から帰ってくると書斎の窓の前、玄関先で所在を告げるためにニャアニャア、ノラと呼ばれればニャア、とそこにはノラの声があった。「ノラやノラや」と可愛がる主人の声、ノラを抱き抱えながら歌声のように「いい子だ、いい子だ、ノラちゃんは」という妻の声があった。そして、ノラの匂いと生活の匂いがあった。ノラと共にあった風景、音、匂いはもうそこにはない。ノラがいた日常の風景と不在の風景が、季節の移ろいとともに織りなされていく。縁側に立ち尽くして庭をを眺めている百閒の姿が浮かんでくる。



 著書を読んでいて、ふと小津安二郎の映画が想起された。娘が嫁いでしまった後の家のがらんとした風景の中で寂しく佇む父親 笠智衆の姿。かつて、娘がいた家にはもう娘はいない。その不在の空間の映像が思い浮かんだのである。
 
 私自身の中に、かつて過ごしていた場所、風景が蘇ってきた。祖母の庭に植えていた花々、叔父さんのスイカの手伝いをした小屋のひんやりとした空気感や土の匂い。子供の頃遊んでいた神社の境内のお地蔵さんの石の手触りだったり、神社の木の板の古びた匂い。今はもうなくなってしまったが、かつてそこにはあった。

 人それぞれに「かつてそこにあった・・・」風景が心の中にある。「ノラやノラや・・・」と百閒が呟くように、たくさんの人の哀切の呟きがある。百間の著書を読みながら、今日が4月1日、新年度の始まりであることに思い至った。


 

※この著書は、神保町にある『PASSAGE SOLIDA』で、“角田光代さんの本棚”から購入しました。この書店のコンセプトは、一棚一棚に店主がいる共同書店です。著名人の棚も多数あります。おすすめの書店です。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?