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コロナ禍で苦しむ人に無責任を押し付けるなかれ・・・「苦難福門」

「苦難福門」という言葉があります。倫理研究所を創設して「純粋倫理」を宣布した丸山敏雄氏の言葉と言われています。その意味は「病気とか災難・貧苦・家庭不和など、人生にはさまざまな苦難があるが、これらは生活の不自然さ、心のゆがみを教えるものである。苦難に直面したとき、嫌がったり逃げたりせずに、堂々と喜んでこれを迎えよう。苦難の原因をなす生活の不自然さ・心のゆがみを改めたとき、幸福・歓喜の世界がひらける」。
つまり苦痛や苦難は、幸福に至る入り口だと捉える考え方です。

しかし、この言葉に、違和感を感じてしまうのです。

徳川家康も「人の一生は重荷を背負い遠き道を行くようなもの」との遺訓があります。
また戦国時代の武将、山中鹿之介は、お家再興へ「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったといいます。かつて教科書にも登場した逸話ですが、天から与えられる試練に耐え忍ぶことで、己を鍛え、必ずや道が開けると鹿之助は願ったのでしょう。
 「苦難には堂々と真正面から対決すべき。自身を頼みとして強く生きてこそ、苦難は打開され、人生は輝かしいものとなる」・・・たしかに、戦国武将の生き方にも、苦難に遭っても自力で切り拓く心の強さが共通しています。
しかし、私には、絵空事のように思えてしまう。

新型コロナ禍で貧困が社会問題となっています。仕事を失い、生活にも困窮する人が増えている日本で、国は五輪招致でモチベーションを高揚させようとやっきです。
今、目の前で、貧困に嘆く人に、「苦難福門です」と伝えても、殴られるだけです。言葉は刃物です。「お前の苦境は、自らの生活の不自然さ、心の歪みが元だ」と断言する材料が私には持ち合わせません。コロナ禍で営業を止められ、家賃支払いに悩み、必死で弁当の宅配など、新たな挑戦をする人に、「ほら、苦難が福門を開いたよ」など簡単には言えません。この言葉が意味するものが「自己責任」を押し付ける、現代社会の闇でしか受け止められません。

自らを信じ、強い心で当たればいかなる難事をも成し得る。「艱難汝を玉にす」という言葉もあります。その真髄は、あくまで、自ら考え、行動できる人が艱難を乗り越えるのであって、他人がそれを勝手に福門がやがて来るなど、根拠もない不正確な希望を与えるのみでは違和感しか産まないのです。

「つらいのは自分だけではない」と気づかされた時、どのような苦難に出遭っていても、現実を受け入れ、「今こそ飛躍の好機だ」と、正面から立ち向かう強さを、他人が押し付けるものではないのです。
そっと見守る。大丈夫とだけ言ってください。
「苦難福門。貴方なら平気だ」。無責任な言葉もまた人を傷つけます。

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