「A=真逆のZ」になるのがこの世界の美しさかもしれない
先日、ベリーダンスの師匠、Rhiaさん(日本大会ではもちろん、世界大会でも優勝歴のある凄いダンサーさんです)の踊りを大舞台で久しぶりに拝見してきたのですが、
事前に彼女が語っていた
「本当に大切なものを見ている時、人はその思いが溢れないように大切に大切にじっと体を抑えて内側からその思いが滲み出るほど動きを止めるのではないか」
というお話は、本来体を動かすことが主であるはずのダンスの中でも、逆に体を動かさない、ということが最大限の表現にもなるのだと、とても目から鱗でしたし、まあそれを内側から滲み出るような表現にしてしまえるのが、やはり世界レベルのダンサーさんのなせる技だなと思いました。
少し違う切り口かもしれませんが、
私は人生で2度しか写真展って行ったことがないのですが、
写真を見るのが好きです。
写真の魅力の一つが、動画や現実では逃してしまう、
まさにその瞬間をとらえることだと思います。
そして、瞬間を捉えることで、静止画であるにもかかわらず、時として
写真は動画よりも動き・躍動感をより伝えることもありますよね。
止まっているからこそ見える躍動感、何だか不思議だなぁって思います。
私は幼い頃、世界はもっと完璧で、もっと単純なものだと思っていました。
ハリウッド映画お得意の勧善懲悪のように。
でも、AだからA、BだからB、ではなくて、
Aだけど真逆のZ、Zだからこそ真逆のA、っていうふうに
人生を歩んでゆくと、世界は時に不完全で、複雑なのだなぁと
感じています。
でも、その複雑さがとっても美しかったり、胸を打ったりするなぁとも
思います。
ダンスは、体を使った表現のアートだと思いますが、
そんな人生の複雑さが凝縮されて、いろんな感情、いろんな矛盾、
を抱えながら美しさが表現されるさまは、時として理由もなく涙を誘います。
これだからダンスは観るのも踊るのもやめられません!
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