日々雑感14

おはようございます。今朝はここ最近で感じたこと、考えたことを日々雑感にして綴ります。

教育関係の仕事をしています。そこで、科学的に証明されていることや理論として確立されていることをベースに教育活動に当たることは大前提です。そのため、教育関係の書き物をするときには、どの理論を後ろ盾に書いているのかや「なぜそういえるのか?」が重要になるに決まっています。ところが、その理論をどのように用いているかがよく分からずにまとめられている文章を結構見かけます。

その文章を職場のみんなで見合いながら、理論的におかしいな、そう言えないのではないかなどと、文章のおかしいところを指摘したときのことです。例えば、「Aという結果になった、だからBといえる」に対して、「Aという結果から、Bといえる根拠は何ですか」と質問をすると、文章に書いていないのに、饒舌に回答を述べる人が結構います。そして、そういう人に限って十中八九、感情的に答えるのです。僕らとしては、その述べた部分を根拠として書いてくれれば分かるのに――逆に、書いていないから分からないのに――頭ごなしに否定されたと勘違いし、怒るのです。

その様子は僕自身が当事者ではなく、当人同士のやりとりを会議で見て、このようにメタ認知していたときの話です。この話から分かることは、「理論的に回答しないといけない場面においても、やはり人は感情で動くんだな」ということ。そして、その感情のエネルギーは相当なパワーをもっているということです。僕も割と理詰めでいくタイプなのですが、あまりにも理詰めばっかりで進めると、感情的なタイプの人とはぶつかってばかりになるな、と感じました。

また、ガラッと話は変わりますが、「今起きていることは全てに意味があるな」ということです。「俺ばっかりどうして」「最近ツイていないな」とかみなさんも感じることがあることと思います。そのときに、全ての起きていることにはしっかり意味があるものだと考えるようにしておくと、全く落ち込まなくなります。例えば、お気に入りの陶器のコップを落として割ってしまったときも、実はそろそろ買い換えの時期だったのかもしれないという暗示なのかもしれません。起きていること全てを、「自分にとって意味のあること」「どうしてこのことが起きたのだろう」と俯瞰して見る――こちらもメタ認知ですね――ことができると、気持ちが晴れます!

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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