おばあちゃんが死んじゃった
大好きな、おばあちゃんが亡くなりました。
大切な人が一人居なくなって、この世に残された大切な人をもっともっと大切にしたいと思うようになった。
私には兄と姉が居るけど歳が離れていて、両親も共働きで小さい頃は保育園の思い出とおばあちゃんとの思い出がほとんど。
おじいちゃんは私が3歳の頃に亡くなったらしく記憶にはありません。保育園から帰って来たらおばあちゃんが居て、おばあちゃんが晩ごはんなど作ってくれていたと思う。
わたしは毎年おばあちゃんが漬けてくれてた梅干しが大好きで、おばあちゃんの梅干しを見るたびに夏を感じていました。
そして私が小学3年生のころ、、、
両親の離婚があり、兄と姉は中学生で学校を変えたくない理由で父と一緒に残ることに。
私はよく分からず、母とおばあちゃんの元へ
夏休みに引っ越したので友達にお別れも言えなかったのは今でも悲しい思い出になっています。
引っ越した場所はボロボロの家
元々住んでいた場所より少し都会だったためか、新しい学校にいる人達はみんな私より大人に見えた
髪の毛を染めている子や、ピアスがあいてる子なんて前の学校には一人もいなかった
それが怖くて怖くて、友達が暫くできなくて、毎日家に早く帰っておばあちゃんとお話したかった。
お母さんは昼から夜中まで働いていたから、わたしはおばあちゃんと2人で夜ご飯を食べてお風呂に入って寝ての繰り返し。
ずっと私の近くに居てくれたおばあちゃんには今でも本当に感謝しています。
小学生を卒業する頃には私にも少し友達ができていて、いじめてきた子達を無視できるくらいにはなっていました。
なによりいちばん怖かった思い出はココには書けないけど、いまとなってはおばあちゃんがいたから乗り越えられたんだと思っています。
中学2年生のころ、親が再婚することになり新しい家にまた引越した。新しいといっても中古の家をリフォームした家なんだけど、自分の部屋ができるのが嬉しかった。
そっからは思春期に入り、おばあちゃんに悪い口のききかたしかできなかった。
怒りたくないのに怒ってしまう自分にムカついて泣く日々がしばらく続き、友達の家に泊まり込んだときもあった。
そのときのおばあちゃんに対する対応は、ちゃんと謝れなかったから後悔してるけど、後悔してももう遅い。
成人して、東京に出る頃
おばあちゃんは1番悲しんでいた
『あなたと過ごした時間がいちばん長かったんだから寂しいに決まってるでしょ。』と、泣きながら言われた時は東京に行くのを辞めようかと思っていたよ。
でも、私にも自分の人生があって、やりたいことがあった。だから、振り切って出てきたの
東京に出て、毎年おばあちゃんの誕生日にはプレゼントと手紙を書いてたんだけど、そのお返しの手紙には『あなたが結婚するまで長生きするから』って書いていた。
当時のわたしは、結婚なんてまだまだしないからやめてほしいなぁと思ってたし、おばあちゃんももっと長生きしてくれると思っていたよ
結婚した姿みせてあげれなくてごめんね。
わたしの母のような存在であるおばあちゃん
世の中、結婚が全てではないと思っているけれど今回のおばあちゃんの死で、私はおばあちゃんのように大切にできる人を新しく見つけたいと思ったよ。
残っている両親も若くはないので、せめて両親には結婚した姿をみせたいなと思ってる。
私の自己満だし、両親は子供の幸せが1番というけれど。これも私が決めた幸せの形だから。
おばあちゃん、今までありがとう。
gw帰ってくるつもりだったのにコロナで帰れなくて、寂しい想いさせてごめんね。
毎月いっていた病院にはどこも悪くないって言われてたのに、悪くなるいっぽうだから違う病院いったら末期ガンだなんてひどすぎるよね。病院に入院して2週間で息を引き取ったよね。最後まで治ると思っていたおばあちゃん、これでよかったのかわかんないけど。
しばらく会えないだけだよね
ほんとうにほんとうに、87年間お疲れ様でした
ずっと大好きだよ
今年の1月1日に撮影
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