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映画『バービー』とは何か

20世紀フェミニズムから、21世紀フェミニズムへ。ネタバレが含まれます。


バービーを観るまで

 バービーを初めて知ったのは公式が原爆コラにいいねを押して炎上したことが報じられたときだ。Xでもその件は話題になっていた。その後、内田樹、小山(狂)、北村紗衣、等々の紹介記事を読み、予備知識を仕入れた上で映画を見に行った。あまり人気がなく、一日一回、夜割の時間帯、10あるシアターのうちの一つで上映されるのみであった。観客は座席の1/4程で最前の区画は空席、女子同士が多かった。

バービー

縮約

 マテル社が発売しているバービーの歴史を主軸にしたフェミニズム映画である。
 バービー登場以前の女児の人形遊びはもっぱら赤子のそれであったが、1959年以来のバービーという大人の偶像の登場で、女児らは赤子人形を叩き割り、バービーを手にした。バービーは子供に見せる大人の表向きの姿を描写しており、その証拠に、性器は無く、妊婦バービーは中止になった。
 バービーランドはバービーランドはいつも幸せ。バービーは妊娠も出産もしないので母にならないし家事も育児も碌にしなくても良い。バービーは魔法を使い、生理現象に悩まされることもなく、あからさまな性的まなざしを向けられることもなく、個人が尊重され、昼は遊びに見栄えの良いごっことしか思えない仕事、夜は女子のパジャマパーティを行う。人形は幸せである。ケンらの存在を除いて。
 ある時、バービー(マーゴット・ロビー)は死の存在を考えてしまう。そこから箱庭世界にも現実世界の物理法則と生理現象、老化現象が入り込んだ。ダメ押しは足である。ハイヒールを履けば疲れに苛まれる。
 そこで、持ち主に雑に扱われ、髪を修理材料として抜かれる不気味なバービーの下に行き、現実世界への行き方を教わる。
 現実世界に出ようとしたバービーの乗る車に、ケン(ライアン・ゴズリング)が便乗し、何も持たずに現実世界に赴くが、そこは男尊女卑の風潮が残る1990年代をモチーフにしたアメリカ。ビル・クリントン大統領の任期中(1993-2001)である。女児の格好をした30過ぎの女、バービーは奇異の目で見られ、性的な目で見られる。バービーランドは所詮男尊女卑の世界に囲まれた偶像たち、男尊女卑社会の一要素でしかないと思い知らされる。バービー脱走はマテル社にも伝わり、箱に閉じ込められそうになるが持ち主母子と共にバービーランドに帰る。
 一方、奇異な服装のケンには敬意が払われ、道行く人から敬語を使われる。しかし無学無資格無技能の彼は、就職を希望したすべての職場で採用を断られる。彼は図書館で家父長制(patriarchy)について調べ、バービーランドに持込み、人々に伝える。バービーが帰って来た時にはそこはケン王国になっていた。家は男向けの設備に変わっており、女は家事の喜びを見出し男とカップルになり、就労をやめていた。バービーらや母子は「洗脳」を解くべく、気のいい男に話しかけた隙にカップルの女を拉致、監禁し、憲法改正を妨害すべく、別の男にすり寄るふりをして、ケン同士を戦わせた。こうしてバービーランドは機会平等の実現した世界になり、バービーは現実世界で生きることにし、終わりに、婦人科に通う姿が描かれる。

考察

 バービーランドは大人の世界の、理想化を経た箱庭であると同様、女児のルサンチマンの世界である。バービーらは働かないと死ぬ、相手を養えないということもなく、子育てという概念とも無縁である。バービーの登場で、彼女らは母になるであろうことを捨てた。そしてバービーランドには障碍者は存在せず、プラスサイズの男は居らず、アジア人女性も見当たらなかった。LGBTQも見当たらなかった。男はただ女の気を引くためだけに存在していた。家を持たず、女に見せる趣味以外の趣味を持たず、男同士の連帯はなく、不要になれば簡単に女社会から排除されるのである。女子会とあらば男は追放され(居酒屋の繋がりと対をなしている)、自我のある存在とみなされなかった。仕事も出来なかった。
 これはフェミニズムの行きつく先を揶揄した描写である。加えて、現実世界においては厳しい現実も性愛も存在する。仮に現実で革命が起きても思慮深き政治家が現れなければこのような世界と堕す。その後、ケン王国においては、一部の女性は働いていたのである。
 その後、20世紀的フェミニズムから決別したバービーらによって、女が争いを引き起こさせる等の、現実と比べると比較的マシなフェミニズム運動を経て、男から仕事を奪い、ベターエンディングとなる。ケンは下級裁判官として受け入れられる。女の職業独占と性役割による意識の違いを残して。
 『バービー』は本当にフェミニズム映画なのだろうか。確かに、『バービー』の現実世界の女性への温かい視線は必見であるし、現実のフェミニズムにおいて排除されている、競争から降りたアランを包容しているのは良い。

 だが、フェミニズムの理想を描いた映画だというのは一面に過ぎない。恋愛に着目すると、フェミニズムに対する強い批判が見えてくる。
 話はホモ・サピエンスの祖先の時代にさかのぼる。アウストラロピテクス時代は一夫多妻であった<1>のが、ホモ・サピエンスになり、狩猟採集の生活が続き、共同で狩りを行うべく、大量の労働力を必要とするようになり、600万年程前から一夫一妻の時代が長く続いた。<2>というのも、一夫多妻制は争いを生む為、男同士で談合して、一夫一妻以外を抑えつけた上に、獲物は平等に配分され、獲物の保存も利かなかった為、格差が存在しておらず、一夫多妻を行う物質的な裏付けがなかったからである。
 農業の開始がこの状況を一変させた。農業は高度な知識と土木工事を必要とし、知識格差が指導者と労働者の階級格差を生んだ。また、生産過程の細分化と貯蓄を可能にし、労働者間の生産力格差をも生んだ。こうして(強者男性限定で)一夫多妻制が復活してしまった。農業の開始は戦争の始まりでもある。
 ちなみに、農業の開始は(日本は違うが)気候変動によって狩猟採集生活が成り立たなくなった為に普及したという仮説があり、旧約聖書の楽園追放の話と関係していると言われている。<3>詳しくは出典や旧約聖書に譲り、バービーが死について知恵を得た後、この世で生活するということは、死と労働と出産の負担を受け入れることを意味することだけを記しておく。
 話を戻す。その後、西洋で絶対王政打倒等の近代革命を経て、個人主義が確立した一方、一部では家父長制が強化された。これは、旧体制の為政者が一夫多妻を行っていたことへの反対として、女が一部の男に擦り寄らないようにして、自由恋愛を制限し、男女を早く一夫一妻婚せしめ、人手が必要な近代国家を回そうとしたものと思われる。それに加えて、家事、育児がある以上個人主義を徹底できないという事情もある。ケン王国ではほとんどがカップルとして収まっていた事が家父長制と婚姻の関係を示している。ただしケン王国では結婚するかカップルのままでいるかは完全に女性の自由意思に委ねられていた。
 現実においては当然女性解放を求めてフェミニズムが起こったが、母性を巡って迷走した。子育てを行う以上個人主義を貫く訳には行かず、結局男性に依存せざるを得ないからである。冒頭でバービーによってフェミニズムに目覚めた女児が赤子の人形を叩き壊した描写はこの点を鋭く指摘している。この女児は、出産をあきらめることで社会で活躍しようとした女性を表している。
 女性らしさからの解放を掲げたフェミニストは、同様に自由恋愛の権利を主張し、社会規範の緩みと共に実現した。
 しかし、自由の先に待っていたのは格差と恋愛しない層の登場である。バービーではほとんどの女が魅力的な男に受け入れられる描写があったが、現実はそこまで甘くない。そして女の取り合いの為に熾烈な競争が再開する。『バービー』でも示されていた女を失った男の強い憤り。結局自由、解放は人を幸福にせず、格差を拡大させ、(サル同然の)先祖返りをもたらすという話である。ちなみにケン達は女を巡って戦争をしていたが、現実では女を得られなかった男が職務放棄をすれば忽ち瓦解する。
 その上、『バービー』でも示されていたが、フェミニストは専業主婦になる自由を敵視し、専業主婦を、無辜の洗脳の被害者と見なし、説得しようとする。女性を単に被害者と見なすということは、女性を無能力者、無権者と見なすことに繋がるのだが、『バービー』ではその点を明示して描かなかった。



 


出典
<1>「チューイー」という名の、恐らく一夫多妻だったアウストラロピテクス | WIRED.jp
<2>【未来ビジョン】《山極壽一さんインタビュー》ゴリラたちから学ぶ 〜人間の本質と未来の姿〜 | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 (jst.go.jp)
<3>聖書の基となった史実|しば塾 (note.com)


参考文献

映画『バービー』は史上最高のアンチフェミ作品|小山(狂) (note.com)
夢のバービーランド - 内田樹の研究室 (tatsuru.com)
映画『バービー』への疑問、なぜトランプではなく、ビル・クリントンの写真なのか?なぜ東アジア系のバービーには台詞がないのか?新たな『映画政治家』ガーウィグ監督に対する忖度と神格化への懸念|CDBと七紙草子 (note.com)
バービーと人種意識。女の平和という最も簡単な方法を取り、町のハズレに移住すれば紳士的で平和主義的なケン王国(ケンダム)という男社会は容易に崩壊しただろうという指摘。


外部リンク、用語
『バービー』。よかった。しかしこれは非常に論争的な作品では。多様性やLGBTを組み込んだフェミニズムすらも資本主義に取り込まれるのがデフォルトであり、その中でフェミニズムの真の課題は反出生主義や反出産未来主義の克服である、とするのだから。冒頭の子殺しと最後の妊娠出産肯定。 - Togetter
映画『バービー』レビュー──作品と“バーベンハイマー”対応に見る「創造主の地位の簒奪」 | GQ JAPAN
車いすや義肢を使う「バービー人形」は、子どもたちの無限の可能性を示している | WIRED.jp
多様化するバービーの恋人ケン──「イエス、ウィー・ケン!」 | GQ JAPAN
上記二記事は2000年代のものであり、バービーランドのその後を示唆する。
失楽園、バーベンハイマー


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