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鼎談「共通前提の喪失とメディア変遷について」


参加者
だめライフ東京(元・中央大学だめライフ愛好会)Twitter:@dame_life_chuo
明治大学張り紙同好会 Twitter:@harigami_mu
偽名 Twitter:@spring_rain_out

収録:2024年6月19日


革新幻想の消失と保守/革新図式の変化


だめライフ東京(以下、中だめ):大丈夫かな、始めちゃって。

偽名:そうですね。元々は中だめが大月隆寛のブログを持ってきて、「あぁ分かる分かる」と言い始めて、今回の鼎談を企画したんですよね。

中だめ:そう。大月と呉智英の対談、「『団塊の世代』と『全共闘』」[i]という記事を読んで、これは面白いなと思った。そこには共通感覚とか共通知識ってものがかつてはあったけれど、今は失われてるんじゃないかということが書いてある。確かにそれはそうだなと思うんだよね。この間の、外山宮台対談でも似たようなことが言われてたわけだし、これはやっぱりきちっと話しておく必要があるんじゃないかと思ったんだよね。つまりみんなが共有している知識ないしは感覚が今はないから、人との繋がりがうまく取れないんじゃないかという問題だね。今回はそれについてこの三人で語っていこうというわけです。

偽名:昔は共通知、というか共通の話題があったって話ですよね。それはなんだったのかってところで、たとえば、娯楽の話を考えたとき、その共通するなにかが娯楽の王様であったテレビの大衆バラエティだとしたら、それは単に数字が落ちただけじゃないかって気がするんですよね。昔は純然たる共通知があったのか、という疑問も……。

中だめ:それも一つの事実としてあるでしょう。そういうテレビ論でもいいんだけど、今自分の中で念頭に置かれてるのは、いわゆる昔でいうマルクス主義のようなグランドセオリーね。それこそ全共闘はマルクスを競って読んでたわけですよね。中身がわかんなくてもとりあえず資本論を読んでた。その中でわかんないなりにも「マルクス主義ってこういうもんだよね」っていう共通理解が知的な学生の間にはあったということだよ。でも、今そういう誰しもが知っているような知識ってないと思う。それがコミュニケーションする上でも障壁になってる気がする。

明治大学張り紙同好会(以下、張り紙):『革新幻想の戦後史』という本に、かつてのキャンパスでは、社会党、共産党の支持がすごく高かったということが書いてありますね。そういう背景ありきだと思うけど、共通の教養が希薄になってる時代ではあると思います。

中だめ:それはまさに革新幻想っていうものがあった時代だよね。

張り紙:あと大月隆寛が90年くらいに、筑波で講演してたじゃん。60年代までは知的階層としての自覚を教員も学生も持っていたって話。

中だめ:大月人気だな(笑)。

偽名:大学の中の共通前提の話をしてるんですか。というのも、共通前提と言われると、日本中どこでも、みたいなお話を考えちゃう。

中だめ:教師も含めてね、大学の。

偽名:大学の中の共通前提の話をしてるんですか。

中だめ:それは広くとってるんだけど、今はとりあえず大学の話をね。

偽名:大学の話をするとフェミニズムが流行ってるんじゃないんですかね。今の学生にフェミニズムって言ったら、なにかしら反応返ってくると思うよ。それはマルクス主義と同レベルの流行り方してると思うけどね。フェミニズムとはこういうもんだというのを、もちろん表層理解に過ぎなかったりもするんだろうけど、ざっくりと持っている。そして、フェミ関連の話題について安易な反応を返すことにためらいがなかったりする。それが政治的な活動に結びつくかつかないかは別として。経済的な搾取どうのこうのという話が、性的な話に移り変わった気がする。

中だめ:確かにそうだと思うけど、マルクスと違ってフェミニズムは話題にはされるかもしれないけど勉強する対象にはなってないと思う。

張り紙:また『革新幻想の戦後史』から持ってくるけど、冒頭に、社会問題に興味あるゼミの学生が右翼も左翼も分かってなかったって話があるじゃん。

中だめ:ゼミの学生が「自民党って左翼ですよね」って言い出したから、竹内洋が「こいつ極右か?」と思ったという話ね。それは単純に保守と革新の意味合いが変わってるということでしかないと思うんだよ。よく言うじゃない、自民党が革新的で、野党が保守的だと。若い世代の保守と革新の見方ってそういう風に変化してるんだよね。

張り紙:肌感覚でいうと、学生の間で共産党系や立憲民主党は守旧的な勢力として扱われることが多いってのはわかる。

偽名:それはなんでなんでしょう。共産党が古いってのは、予想だけど、表現規制とかの問題で古く見られてる。僕は、普通の学生が共産党古いと言いだすのって、そっちの側面がまず思い浮かびますね。たまに言われるのが、石原慎太郎が非実在少年だとかなんとか言って表現規制をガッと進めようとしたのは頑固親父的なキャラに似合ってて──昔は石原も『完全な遊戯』だの『化石の森』だの中々にドギツイ小説を書く人だったのだけど──理解できるが、左派が表現規制なのは不可解だ、みたいな話です。

中だめ:でも、表現規制の問題がそこまで大きな争点になっているかというと、そうでもないと思う。確かに表現者やその消費者の間では大問題だけども、一般的にはそこまで重視されているようには思えない。それよりも目立つこととして、憲法の問題があると思う。憲法護持、九条護持ということを野党は頑なに言ってるわけでしょ。かつてだったらそれが革新的であり得たわけだけど、新しい憲法になってから70年以上経ってるわけだよね。その憲法を未だに一字一句変えないで守りましょうなんて言ってる連中はそりゃ保守にしか見えないでしょ。それこそ反グローバリズムって主張も保守的なわけで、共産党はTPP反対と言ってたわけだよね。そういうのも若者の目からすると規制緩和に抗う、守旧派みたいな、守る側だよねと。むしろ自民党のほうが良し悪しは別としてなんか改革はしようとしていて前向きという風に映る。

張り紙:憲法や規制緩和もそうだし、あとは再開発とかへの態度から、変化に抗うってイメージはついてるんですよね。

偽名:普通の若者は憲法がどうとか気にしないんじゃないですか。雲の上のお話というか。

中だめ:そこまで気にはしないけど、ニュースでしつこく流れるわけじゃん憲法とか外交問題は。若い世代に限らず、一般人が政治の話をするとなったら憲法とか外交といったスケールの大きい話になりがちだと思う。

偽名:主張する内容ってそんなに見られてないような気もする。

張り紙:今あるものを守っていこうってイメージがある。憲法護持とか最近だと外苑再開発の話とか。現状維持を志向してる人たちが多い。なんとか改革だとか言ってる自民党の方が新しく映る。

中だめ:結局自民党がネオリベ的な規制緩和政策に舵を切り出した頃から、保守と革新は逆転してると思うんだよね。ただ個人的には、保守って言ったら、伝統的な日本の価値観を守ろうみたいなさ、そういうことを云々するのが保守だと思ってるから、共産党や立憲は経済政策の面では保守的なことを言うけれども、歴史観とか国家観についてはリベラルなわけで、それが野党が保守で自民党が革新だという図式に乗れない理由の一つだね。憲法護持というのは天皇制を守ることでもあるから、あるいは自衛隊へのスタンスとかも含めて、ある意味保守的とも言えるんだけどね。

張り紙:戦後民主主義の保守。

中だめ:うん。

張り紙:でも、政治的な問題よりも経済的な問題が気にされてるんじゃないかと思います。

偽名:政治と経済をあえて区別するとして、とはいっても、若者は経済すらよく考えてないと思う。俺も、政治体制は気にしているが政党についてはどうでもよくなってきた。で、政治体制は不変なので、畢竟、議会政治に無関心になってきつつあるのですが。若者にとっての経済とは要は「就職」と「税」をどれだけ持ってかれるかってだけのお話だと思う。どこの政党を選ぶかについては、もう雰囲気じゃないですかね。あと議員の国籍がどうとかみたいな話ね。中高生ってネトウヨになるじゃん。「朝日は在日だ」みたいなことを言い出す。そういうのが基準になる子供は一定数いると思うんだよね。経済はね、高度ですよ。

中だめ:うん、自分も通った道だから分かる(笑)。

張り紙:最近の中高生じゃネトウヨは下火だと思う。ひろゆきみたいに全部を馬鹿にする方が流行り。政治に期待していないというのもあるでしょうね。

偽名:政府に対して下手なことをしないでくれというのはあると思う。古来より日本にはリバタリアン気質の人間が多いという説もあるからね。太宰治の小説も、そんな感じのキャラが主人公を張ってたりする。

中だめ:その下手なことをしているのが自民党なわけだが(笑)。

イマドキの共通前提としてのフェミニズム



中だめ:さっき、マルクス主義のようなパラダイムに代わるものとして、フェミニズムがあるんじゃないかという話があったわけだけど、そこを深堀りしていきたい。

偽名:学生運動が終わった後は軽薄短小になっていくじゃないですか。政治から性への移り変わりがあった。80年代って広告研究会やイベントサークルが流行ったんですよね。ああいうのは性で動いてるわけじゃん。いや、68年的学生運動が性で動いていないとは言わないが、敢えて言えば「性性」みたいなものが剥き出しになってきた。それは政治とかどうでもよくなったってことだと思うんだよね。性の話の方が関心は高くなるというね。

中だめ:戦後、性規範がどんどん緩くなっていく中で、政治の季節も終われば、性が前面に出てくるだろうね。

偽名:はい。政治から性へ。その帰結としてのスーパーフリーがあって、あれも一種の学生運動なのでは? という見方だって出てくる。主宰の和田さんという人は何年も大学に在籍して組織の拡大と維持に努めていたし、スーパーフリーのビラとか見ると「もう一つの大学へ」とか書いてあるんだよね。これはもう「裏の大学」創設の試みだよ。

中だめ:ところで、フェミニズムが若者全体に良くも悪くも浸透しているという面はあると思うけど、マルクス主義が流行っていた時代と違って、今はフェミニズムが流行ってるからといって、それを学ぼうという人はあんまりいないんじゃないかな。

偽名:勉強するかどうかは別として、そういうのが流行る土壌としては、社会じゃなくて、個人の内面にフォーカスする流れがあるわけよ。心理学部とか滅茶苦茶増えたし。精神科医もガーッと増える。ちなみに、精神科とか心療内科の規制が解かれたのは、一説によれば、オウム事件以降、警察的な管理ではダメだということになって医療的な管理を流行らせるためだというのがあったりするんです。

中だめ:それはよく言うよね。「心の時代」とかっていう風に。80年代以降かな。

張り紙:エヴァとかね。

偽名:心の時代だと性別の話って盛り上がるじゃん。

中だめ:アイデンティティってこと?

偽名:それも含めて。トランスジェンダーとかもそうじゃないかな。自分は男ということになっているけれど、自分の女性性がどこかに潜んでいるのでは? と考え始めるとキリがなくて、そのキリのない思索にふけっている間に「やっぱりそうじゃん」と結論をつけて精神科医に行く、というような流れがあるのではないでしょうか。

中だめ:個人の内面にフォーカスする性別論もあるけど、それとは別に、ある種古典的なフェミニズムもあるわけだよね。男が抑圧していて女は抑圧されていて~というような。

偽名:昔の運動は男女の区別、差異を認識してようがしてまいが、まず階級が第一だったわけじゃん。

張り紙:それが華青闘で変わった。

中だめ:昔から男女の階級は問題にされてはいたけど、華青闘でその流れが「反差別」という形で加速したよね。だからフェミニズムが現代において大きなポジションを得ている。

偽名:あと、社会的な問題提起を高学歴者が担うとして、彼らって男子校とか女子校出身が多いじゃん。そうすると、性別の問題って否応なしに考えちゃう。

中だめ:ホモソーシャルはいかん! というような話ね。

偽名:そういう話は男子校に行ってないとわかんないですよね、深いところは。共学でも当然男だけのお喋りはするけど、やっぱり学校に女生徒が一人もいないって、想像しづらい。

中だめ:まぁ「共学内男子校」というのは普通にあるが(笑)。程度問題ではあるけど、共学だからといってホモソ問題に触れないで済むわけではない。

張り紙:別学から共学に移行するのって2000年代初頭だよね。

偽名:俺のところもそうだった。

張り紙:地方だと特にね。自分は地方の出身だから、上京して首都圏ってすごく別学が多いと思ったよね。地方だとどんどん共学になってるのに、首都圏だとまだまだある。

中だめ:地方だと別学はレアなの?

張り紙:少なくとも地元じゃかなり珍しい。

偽名:俺のところないよ、たしか。(※追記:ありました)

張り紙:別学ってすごく都会的な話だよね。

偽名:公立中と私立中の話も都会的な話だね。もうね、俺からすると「首都圏ローカル」のお話、それも学校区分なんていう小さいお話を延々とするんじゃねえと。

中だめ:公立中VS私立中という話をTwitterに書いたらプチ炎上した件を思い出した(笑)。座談会やりたいなぁ。

クラスの中の流行


中だめ:今はクラスの皆が観てるテレビ番組のようなものってあるんだろうか。

偽名:学校の流行りがなくなるのはマズいことなのかってのはあるじゃないですか。クラス3,40人いて、昔だったら、40人中30人は通じていて、それが40人中10人になったけど、それは別にいいんじゃないかという考え方もあるじゃないですか。昔でも40人いて40人が分かるものってなかったと思うんだよね。

中だめ:昔ならみんな知ってる知識はあったでしょう。今よりもテレビの視聴率もあったわけだし漫画雑誌もみんな読んでたわけでしょ。

偽名:そういうなかでもハブられてる奴っているでしょ。

中だめ:それはいつの時代もいると思うよ。

偽名:流行に乗れない人間の割合が増えたのがまずいってこと?

中だめ:良い悪いというか、事実として増えてるよね。全員が流行に乗らなければならないという同調圧力は子供の頃はあるわけで、それはよくないところもあるけども、でもそういう経験があることによって共通前提は作られるって面もあるから、そこは功罪どっちもある。今問題なのはなんであれ共通する知識や感覚がないってことだよ。似たような話を花咲政之輔がしているね。[ⅲ]

偽名:うん。

中だめ:宮台真司が90年代に出した本のなかで、家族がお茶の間で同じテレビを観るという体験はもう失われているという話をしているんだよね。今は一人に一台テレビがあって、それぞれ好きな番組を観てるから家族の中の共通前提はないんだという話をしてる。ただ、それは世代内の話じゃなくて世代間の話だから、世代間までいくともうとっくに失われてるものなんだけど、世代内だとどうなのかって話だよね。世代内であっても、「島宇宙化」なんて言うわけだよ。学校のクラスの中でも人間関係が非常に細分化していると。昔だったら、大きな単位のグループがあったけど今は数人の小さなユニットに分かれてそれぞれに交流もないんだということを宮台は90年代に言ってる。ただそれは、理屈としては分かるんだけど、自分の感覚に置き換えてみるとどうなのかなと思うのね。ガキ大将がいて、クラスをまとめ上げてるというのはもちろんなかったけど、でも、自分の小学校の頃といえば、休み時間にみんなでドッジボールが定番だったわけでね。その輪に加わらないやつってほとんどいなかったんだよ。根暗な奴でも一緒にやってたわけ。だから、そこまで人間関係が細分化してるのかなぁという印象がある。まぁ、中学以降は確かに細分化していたから俺の小学校の俺のクラスがたまたまそうだったというだけなのかもしれないけどね。

張り紙:島宇宙化してると言うけど、自分が子供の頃はそうでもなかったと。

中だめ:宮台の思ってる島宇宙とこっちの思ってる島宇宙のイメージが違うのかもしれない。つまり、人間関係が数人のユニットにされてそれぞれが交流を持たないってのは、どの程度のことなのかと。それによって結構変わってくる。一切知りません、一切関わりません、ってレベルなのか、一応表面上は付き合うけど、プライベートでは付き合いませんというレベルなのか、というところがはっきりしてない。自分の体験に置き換えてみると、少なくとも一切関わりませんなんてレベルではなかったわけで、確かにプライベートでも付き合う相手はクラスの中でもそんなに多くなかったけど、それが宮台の言っていることとどれだけ一致してるのかという疑問はある。

張り紙:共通体験という意味だと、コロナ禍ってすごくわかりやすかった。

中だめ:コロナの経験が人と繋がるきっかけになるかっていうとならないでしょう。戦争や学生運動に比べると連帯感なんか生まれないよね。そもそも連帯をさせない状況だったわけだし。

偽名:でも、反ワクとかの形で、後から連帯は生まれてるよね。コロナに関する新しい歴史を作ることによって、世代的な連帯感をあとから作ることはできると思う。世代的連帯ではないけど、反自粛派飲み会というのがあって、参加したことがあるけど、妙な高揚感があったね。

張り紙:コロナ禍の経験を戦争体験のようなものに昇華することはできるかもしれない。マスクや自粛の経験。2020年や2021年に高校生だったような人たちは特に。

偽名:ただ、説明しづらいからね、コロナの辛さは。それが問題。

中だめ:うん。

偽名:話が少し戻るけど、先生のネタで盛り上がるというのは共通体験とは違うんですか。悪口であったりモノマネであったり。高校の同級生とかで趣味が違っているヤツが隣に座ってて、そういうヤツとのお喋りであっても、担任の悪口を言えば休み時間が溶けるくらい盛り上がったりすることもあるわけですよね。もう少し言えば、Twitterの大学界隈には、そういった類のオモシロが大学に入ると急に消えるがために、それを渇望している人がいまだに居残っているような気もする。俺は「当局のやらかし」とか「××(知らないヤツ)が〇〇(知らないヤツ)と喧嘩してる」みたいなネタを、ネット越しで知らないヤツらと共有するのが楽しくないから、普通に界隈の外部にいるのだけども、賑わっているのは知ってる。

張り紙:先生のモノマネは高校までは大人気コンテンツだった。

中だめ:俺が言いたいのは、小中のクラスメイトとの繋がりというよりも、強制的なコミュニティから解き放たれて以降も繋がりを作れるかってことなんだよ。出身地もバラバラで共通項が少ないというなかでどのように繋がっていくかという話。確かにTwitterの大学界隈なんてのは繋がる機能を果してる面もあると思うけどね。しかし俺から言わせれば所詮ネットの繋がりであって、リアルの繋がりを担保するまでには至っていない。あまり「昔はよかった」的なことは言いたくないけど、昔は今よりも人と人とが繋がりやすかった。

張り紙:時代の話だと、当時地方から出てきた孤独な労働者を吸収したのが労働組合や新興宗教だったってのが言われてるね。

中だめ:昔で言ったら階級意識ということになるんだよ。そういう階級意識ってものがわれわれ意識になってね、それがバラバラの出身の人間同士を繋げていたわけだよ。今の労働者の中で連帯感が生まれにくいのはサービス業従事者がほとんどだからだとよく言われるよね。工場労働者だったら工場の中で一緒に汗水たらして働くわけで、そこで同胞意識が生まれるけど、サービス業ではそれはないよね。結局個々バラバラにされてしまっているのが本当に問題だね。今は「みんなぼっち」という状況。群れてはいるけどそれは表面上であって内心は孤独だと。それは大学以降顕著に感じられるんだよね。

偽名:なるほど。

中だめ:それこそ大学一年生なんてのは、ヨッ友みたいなのが大体できるわけじゃない。俺も例に漏れずいたわけだよ。そいつらとなんとなく朝から授業受けて、昼飯食って、授業終わったら「また明日」と別れるわけだよ。一緒の時間過ごしてても全く楽しくないよね。ただ単に一緒に居ればいいものでもない。

偽名:人との差異を面白がれるかってことなんじゃないんですか。大学一年生はもうある程度人格ができあがっているんだよ。その個人個人の差異を楽しめるかというのが重要なんじゃないかな。

張り紙:大学は自分から動いていかないと人間関係できないんじゃないかなぁ。

中だめ:昔はクラスの自治会もあったしサークルもみんな入ってたし、学生寮も今より沢山あったわけで、高密度なコミュニケーションの場って今よりもあったと思うんだよね。

張り紙:しがらみのなさが問題だってこと?

中だめ:そうだね。この間の外山宮台対談のなかで宮台が言っていたのが、僕のゼミは毎回5時間くらいあるけども、途中でご飯を食べる時間があると。で、そのご飯タイムの時は全員一緒になって食べるように義務付けていますと。まるで小学校の給食じゃないかというツッコミが入りそうでちょっと面白いんだけど、それって強制って言っちゃってることからもわかるように、ある種のしがらみなわけだよ。でもそういう空間を作ることによって生まれてくるものがあるわけだよね。

張り紙:じゃあ宮台ゼミのような場所に行けばいいってことにならないかな。

中だめ:問題なのは、そういう取り組みをしているところが少ないってことなんじゃないかな。外山合宿と宮台ゼミの二つが目立ってるってことは逆に言うとその二つくらいしかそういう場所がないってことでしょ。

偽名:サークルではなくてね?

中だめ:サークルも加入率が50%切ってる。

張り紙:ゼミならいい?

中だめ:そういう場になってればいいんじゃない? ただ今時、普通の大学のゼミがそんだけ高密度な場になってるとも思えないけどなぁ。

張り紙:バイト先コミュニティってのもあるんじゃないの?

中だめ:ないことはない。

張り紙:昔だったらサークルに入ってた人間が、今はバイトに打ち込んでる気がする。

中だめ:ただバイトも、色々あるからねぇ。サークルの機能を代替するようなバイトって限られてくるんじゃない? しかも、所詮バイトであり、仕事であるっていうこともある。俺はあんまりバイトしないからわかんないけど、サークルで一生の仲間ができましたってのは聞くけど、バイトで一生の仲間ができましたって聞くかァ? って話。

偽名:(笑)。

中だめ:たとえが変だけど、俺2ちゃんねるの怖い話をよく読むんだけどさ、そういうのの設定って、大体が「大学のサークルで~」とか、「地元の友達で~」じゃん。そこでさ、「バイト仲間で~」ってあるか?  「バイト仲間みんなでキャンプ行ったら……」なんてあるか?

張り紙:たしかに、サークルの仲間でキャンプは聞いたことあるけど、バイトの仲間でキャンプは聞いたことない。

偽名:まぁないことはないよ。この前、駒場のマックがつぶれる時にそこの従業員が駆け付けて記念撮影してたし。

中だめ:マックはそういうところあるよね。これはどうでもいい話だけど、俺マックのバイト落とされたことあるんだよ。

偽名:俺もあるよ。

中だめ:受けた時はね、俺23くらいだったんだけど、働いてる人たちの年齢層がすごく低いのよ。高校生とかね。23っていったらもう新卒の年なわけだよ。面接のとき店長に、23歳でも結構上のほうになるけど大丈夫? って聞かれて、その場では「大丈夫です」ってもちろん答えたけど落とされた(笑)。もちろん年齢だけじゃないと思うよ。単に俺が気持ち悪かったってこともあると思うけど、マックはかなり年齢層が若くて特殊な場だよね。

偽名:(笑)。

中だめ:でも、バイトとは違うけど、免許合宿ってあるでしょ。あれで親密になる例はあるんだよね。地元の友達は免許合宿で彼女作ってたよ。

偽名:あぁ、それは聞くね。

中だめ:彼女作るチャンスだ、みたいに言うよね合宿は。

張り紙:外山合宿は。

中だめ:外山合宿でやったら、出禁になる(笑)。

偽名:出禁になる人とならない人がいる(笑)。

中だめ:やっぱり同じ釜の飯を食って同じ屋根の下で寝るってのが絆を育むのかしら。結局古いやり方に回帰していくほかない(笑)。

「心の時代」の仲間づくり


中だめ:接触するメディアが、テレビからスマホへ移行したって問題も重要だよね。

偽名:スマホは画面が見えないから、何見てるか全くわかんない。全部隠れてるからね。隣の人間がスマホで何調べてるかわかんないわけだからね。Twitterの話をすると、プロフィールで仲間かどうか確認するのってあると思うんだよ。「16タイプ診断」って流行ったじゃん。

中だめ:あれなんか心理主義の最たるものだよね。

偽名:なんか欲しいわけだよ、属性が。

中だめ:同じMBTIだとなんか親近感あるみたいな(笑)。

偽名:それは昔の階級意識と、違うんだけど似てるものはある。あと病気の名前を書くことあるじゃん。発達障害とかアスペルガーとかADHDとか。それとも近いよね。陰キャだとかっていうのもそう。アイデンティティの一形態に、「そういう」のがあるわけだよ。

張り紙:SNSのプロフィールに「私はこういう人間です。同じような人よろしくね」と。

偽名:普通だったら所属を書くはずなんだけど、これはfacebook的、履歴書的な意味の所属ですけど、そこを16タイプ診断にしている。所属じゃ良い仲間は出来ないということなんじゃないかな。同じ学校ってだけじゃあんまり面白くないと。それは性格が違うからだということで、性格をプロフィールに書くというのはわかる。

張り紙:でも、MBTIでDM送ろうとまではならない気がする(笑)。

中だめ:まぁフォローするしないの基準にはなるでしょ。

張り紙:でもそういうの実際に見る?

中だめ:あるんじゃない?

張り紙:16タイプってある程度できたコミュニティ内で仲を深めるためにやってる印象が強い。血液型みたいなもんじゃないの?

中だめ:いや、血液型よりは中身が具体的だからね。

張り紙:この診断って話のネタにはなるけど、それ以上にはならないと思う。パーソナル診断のコミュニティはできないじゃん。なくはないんだけどね。

中だめ:発達障害とか精神病は取っ掛かり以上のものはあると思うんだよ。なにせそっちは生活で困ってるわけだからね。あるある話が無限に出てくるわけじゃん。病院の話もできるし、保険制度がどうのみたいな実利的な話だってできるわけよ。それから就労や進学をどうするかとかさ。その辺は共有できるよね。ある意味、発達障害とか病気は昔でいう階級みたいなものに代替され得る気はするよね。昔だったら労働者は苦労の経験を共有して連帯してたわけでしょ。それと同じで発達障害とかうつ病も困りごとを共有してみんなで繋がるという。

偽名:社会階級じゃなくて個人階級ってことでしょ。病気や障害のほかには、陰キャ、非モテ、オタクとかあるね。もちろん、そういう病気やら性格やらが社会的に形成されているよね、という話はあって、「医療化・心理化は社会問題を個人の問題に丸投げさせることになる」というのは医療社会学ではよくなされる指摘ではあります。

中だめ:オタクはスティグマじゃないからね。今だと弱者男性じゃない?

偽名:問題は属性のスティグマというかさ、プロフィールに発達障害って書いたら発達障害的な振る舞いしかできなくなっちゃうってことだよね。ゴフマンの議論の派生だけども。

張り紙:キャラの問題?

偽名:キャラなんて他人が決める、それもわざわざ言語化せずともなんとなくの了解で割りふられるものであるのが自然であってね、ハナから自称するものじゃないわけよ。それを連帯のためにやらざるを得ない苦悩があるわけじゃん。

中だめ:普通だったら、最初から「自分はこういう人間なんです」とキャラ付けしても、コミュニティの中で他人の評価を受けてそれが自分のキャラになっていくわけでしょ。発達障害もそういうところあるんじゃないの。最初はこういうキャラですと言ったけど、周りから違うこと言われてさ。

偽名:それはそこが柔軟なコミュニティかによってくる。

中だめ:最初に自分の決めたキャラでずっとやっていられるかなぁ。ただ、たとえば障害当事者のコミュニティだと人の話を否定しないとかケチつけないなどのルールがあるよね。あれは結構特殊だと思う。ああいうのが徹底されてると、「〇〇さんって自分ではそう言ってるけど、こういうキャラですよね」みたいな他者からのキャラ付けも下手したら許されない。俺はそういう場所に行ったことはないけど、当事者コミュニティってのは多かれ少なかれそういうところがある気がする。相手を否定しちゃいけない、尊重しなきゃいけないというのがかなりルール化されてるよね。そういうところだと他者からのキャラ付けに対して神経質になる。

偽名:うん。

中だめ:でもやっぱり、労働者は社会に開かれてる分、障害とは違うよね。障害といっても中身は色々あるわけでね。発達障害の中でもアスペルガーもあればADHDもあれば学習障害もあるように。病気もなおのこと沢山あるわけでしょ。労働者と比べて仲間だという感覚が得られにくいというのはあると思うんだよね。

偽名:そもそも仲間として肩組んでやっていこうというメンタリティがない。

中だめ:発達障害者はそんなに連帯したくないんじゃないかというのはあるよね。それぞれ困ってることも千差万別だろうし、お互いの困ってる話をすると、「こいつ、こんなこと言ってるけど全然大したことないじゃん。俺の方がもっと大変なんだよ。こんなくだらないことで悩みやがって」となりかねない。で、相手も同じこと思ってる。辛さの体験が共有できないところはあるよね。ある部分では同じだという風になると思うけど。社会階級に比べると体験が個人化されてるから繋がるのは難しい。

趣味と共通前提


偽名:中だめは共通前提が欲しいわけでしょ。繋がるにはどうすればいいのかを考えた方がいい。

中だめ:趣味を切り口に考えてみると、今は趣味がすごく細分化しているわけでしょ。同世代であっても全然聴いてる音楽違うとか、観てるyoutubeチャンネルも違うとか。となるとどうも趣味の話もしにくい。

張り紙:趣味のコミュニティに行けばいいんじゃないの。

中だめ:そうではあるんだけど、自分からそういうコミュニティを探していかないと気の合う仲間が見つからないっていうのは現代的な気がするのよ。これがすごくニッチな趣味だったら別だよ。車に興奮する性癖とかね(笑)。そういう場合は自分で仲間を探していかないと見つけられないけど、ポップカルチャーでも中々仲間が見つけられないって昔だったらあんまりない気がするんだよね。たとえば、この間、大学1年生と話す機会があったのね。そしたら、彼はヨルシカとズトマヨ(ずっと真夜中でいいのに)が好きだっていうんだよ。名前は知ってるけど、俺は正直パッとしなかったのね。ヨルシカが好きですってことを大学のクラスで話して、どれだけ仲間が見つかるのかってことよね。

偽名:まぁ、その二つは有名だけどね(笑)。

中だめ:有名だけど、普遍的じゃないよね。K-POPも人気だけど、誰もが知ってるK-POPの歌手いるの?

偽名:昔はいたかって言うと微妙じゃないですか。

中だめ:K-POPに関してはそうだけど、日本の歌手だったらいたわけじゃん。

張り紙:TWICEのTTポーズって流行ったよ昔。

中だめ:トゥエンティフォー?

偽名:(爆笑)。

張り紙:えっ? TWICEのTTポーズ流行らなかった? 学校で。

中だめ:TT……。

偽名:TTって曲があるんだよ。

中だめ:よく聞こえない、TPP?

偽名:(爆笑)。

張り紙:ティーティ―、オォ~ン♪

中だめ:なにTPPって曲があるの?

張り紙:TTねTT。

中だめ:ちょっと俺は存じ上げないけど。TWICEは知ってる。

偽名:ヨン様みたいなのが欲しいってことですか。冬のソナタ。あるいは、キム・ヨナ。

中だめ:韓国で言えばね(笑)。

偽名:あれは有名だったから。

中だめ:別に韓国にこだわってないけども(笑)。とにかく昔で言ったら尾崎豊みたいなね。好き嫌いはあるだろうけどみんな大体曲は知ってると。……ブルーハーツはどうなんだろ。まぁとにかく誰もが知ってる曲があったわけだよ。ゼロ年代のJ-POPもそういうのあったんじゃないの。ただまぁ、人口に膾炙してるかどうかというのは、どれだけ時間が経っているかということでもあるんだけどね。だから尾崎やブルーハーツとヨルシカ、ズトマヨは単純比較はできない。

偽名:さくらんぼとかね。

中だめ:大塚愛のね。

張り紙:もーいっかい♪

偽名:あと嵐とかもね。

中だめ:AKBとかジャニーズはかなり普遍性あったね。全然興味ないヤツだって一曲くらいわかるわけだよ。

張り紙:YOASOBIとかは。

中だめ:若い世代に限っては普遍的なのかな?

偽名:嵐って、ジャニーズっていう伝統的な事務所が売り出したってことが重要だと思う。そういうところだとテレビでもすぐにナワバリを確保できたと思うんだけど、今の歌手って大体ネット発で権力ないんだよね。テレビに対する権力が無い気がする。だからずっとゲスト扱いで場を支配できない。そうすると流行ってる感が出せない。

張り紙:今時テレビでの流行ってる感っていらなくないですか。

偽名:国民的となると露出はあった方が良いんだよね。

張り紙:国民的かどうかを測る指標としてテレビがある?

偽名:中だめが言ってるのはそういうことなんじゃない? 俺は引っ越しでテレビを捨ててしまったのだけど。

張り紙:そういうことなら、紅白のセトリを見たら「国民的流行」について分かるかもしれないなあ。

偽名:でも嵐は別に音楽だけじゃないから単純な比較ができない。大塚愛とYOASOBIを比べるとYOASOBIの方が有名だと思うけどね。

中だめ:どうだろ、それはどうだろ……。それは大塚愛が圧倒じゃない?

偽名:そうなの? せいぜい同じくらいだと思うけど。

中だめ:いやぁー、そうかしら。だって、大塚愛は全世代的に広がったけど、YOASOBIを自分の親が知ってるかって話。まぁ今はテレビにも出てるから知られてるとは思うけど。

張り紙:親くらいの代でCD買ってる人いたよ。

偽名:(笑)。

中だめ:うーん、難しいね。YOASOBIは別にしても、確実に言えるのはおじいちゃんおばあちゃんはネットで流行ってる歌手なんか知らないだろうということ。うちの親もテレビ人間だからテレビで紹介されない限りは知らない。ネットってかなり普及したとはいえ、上の方の世代だとまだまだやらない人も沢山いるのよ。スマホ持っててもネット全然やりませんって人が沢山いる。ネットをやってたとしてもイマドキは流行が伝わりにくいよね。ネットの流行りとテレビの流行りって規模感が違うと思う。

偽名:ネットの流行りはよくわかんないのもあるよね。知らないうちに流行るとか。

中だめ:ネットは非常に細分化してるから、自分のいる界隈のなかで流行ってても、全体の流行りではないことはいくらでもある。それが本当に社会現象になってるのかは分かりにくいところがあるよね。テレビは12チャンネルくらいしかないのに比べて、あまりにもネットはチャンネルが多いから、誰もが見てるものがないよね。

偽名:そこで感覚の違いが明らかになるよね。「お前こんなチャンネル見てんのか」みたいな衝撃がある。youtubeのなんのチャンネルを観てるかで何をオモシロと思うのかという感性がざっとわかる。それが個人をアピールする手段になることもあるし。テレビはチャンネルが限られてるから強制装置のような効果はあったと思う。テレビは強制装置であるがゆえに「オモシロくないけど敢えて見る、敢えてオモシロがる」というメタな遊びもできる。Z級映画とかクソゲー文化と似てるけども、強制性があるから良くも悪くも幅がある。

中だめ:半強制的なコミュニティの話と同じだよね。ある程度選択肢が限定されてないと人は繋がれないんだね。

偽名:たとえつまんなくても変に濃かったのがテレビだったはずなんだけど、やがて濃さも消えていくのでネットに移行していく。それとは別に、ネットが発達したのは双方向メディアであることが理由だと言われてもいる。

中だめ:ネットが双方向メディアっていうね。

偽名:みんなとにかく主張したがるからね。ブログブームが2000年代にあった。ネットで自分の意見を発信するっていうのがブログでできるようになって、さらにTwitterが出てきたりすると、テレビを観る時に実況として使うってやり方が出てくる。テレビが一方的に観せられるのに対して、youtubeはコメント打てて参加できるからそっちに流れた。

張り紙:さっき大塚愛とYOASOBIが比較されてたけど、大塚愛の「さくらんぼ」は累計売上枚数が52万枚くらいらしい。

中だめ:そんなに少ないの?

張り紙:着うただと、2004年7月に100万ダウンロード達成した。YOASOBIの「アイドル」は2023年に50数万回ダウンロードされたらしい。メディアの形態や時代背景は違うけど単に数字だけ見ると大差ないね。

中だめ:今はyoutubeでタダで聴けるからね。公式があげてるわけでしょ。「アイドル」は再生回数1億回くらいだっけ。

張り紙:「アイドル」は公式だと4.9億回再生だ。

中だめ:まぁそれは世界も含めた数字だからね。

張り紙:そうだね。

中だめ:昔はテレビや街中で流れてたから、この曲流行ってるんだってわかったよね。でもネットの時代の流行りだと、確かに数字の上ではデカいけど、そこまで流行ってるのかというね。

張り紙:YOASOBIは流行りましたよ。街頭でも流れましたよ。

中だめ:確かに、鳥貴族でウザいほど流れた(笑)。

偽名:まぁ今でも流行ってる曲は生まれてると思う。でも、「うっせえわ」聴いた時、俺は気分悪くなってね……。中だめはどう思う?

中だめ:「うっせえわ」に関してはね、聴きたくもなかったから聴いてないよ。

偽名:居酒屋で流れてたんだよ。

中だめ:外では聴いたことはないな。youtubeの動画観てて、BGMとして部分的にそれが流れるってのはあったけど、あれの曲自体は聴かなかったね。絶対これ不愉快じゃんと思って。

偽名:あのMVは不愉快だったね。そもそも、絵が歌ってるのがそんなに好きじゃないというのもあるけども。

中だめ:もう流れてくる評判でわかるのよ。

偽名:そういう意味ではYOASOBIって結構すごいと思う。あれはアニメの絵がわりかしいいんだよね。不快にならない絵だから。

中だめ:YOASOBIも「夜に駆ける」は一時期聴いてたときがあって、悪くないんだけど、「アイドル」はね、1番はいいんだけど、2番が結構キツイ。歌詞がキツイんだよ。2番から「うっせえわ」的な、イマドキのひねくれた冷笑キッズみたいな歌詞になるのよ。

偽名:ガキっぽいよねっていうのはわからなくもない。

中だめ:いや、ガキでもいいんだよ。そんなこと言ったら尾崎豊の歌だってガキになっちゃうわけだし。ガキでもいいんだけど、反抗の仕方がキモいんだよね。

偽名:地雷系の反抗の仕方だからね。

中だめ:自分の意思の表明の仕方が気持ち悪いんだよ。

偽名:(笑)。

中だめ:「アイドル」の歌詞の2番とか見てみたらわかるけど、ひどいよ。

張り紙:はいはいあの子は特別です♪

中だめ:「はいはい」から入るってのがもうさ、お前どんな育ちしてきたの? みたいな。

偽名・貼り紙:(爆笑)。

中だめ:お前のお父さんお母さんの顔見せろよって。何食ったらそんな歌詞が出てくるの? いきなり「あの子は特別です」ってさ。「うっせえわ」なんか全編それなわけじゃん。

張り紙:「うっせえわ」について、「世の中のろくでもない仕組みについては把握してて内心変に思ってるけど適応して生きていくことをよしとするのは現代的だ」と言っている評論をSNSで見た。

偽名:「うっせえわ」はそういう意味で色々おかしくて、ちぐはぐな感じがした。で、現代的かと言われると、現代的でないような気もして、「?」という感じだったんだけど、あの歌詞を書いたのがAdoではないと知って、妙な安心感があった。

中だめ:あっ、そうなんだ。

偽名:それちょっと安心したんだよ。あれ書いたのがAdoだと思ってたから。

中だめ:初めて知った。

偽名:あれ書いたの35歳くらいのおじさんなんだよ。

中だめ:やってること秋元康と一緒じゃん。秋元康の歌詞だって、イマドキの若者を表わしてるとか言われるけど、あれも本人たちが書いてるわけじゃないからね。その点は安心できる一方で、キモいなと思うね。35歳のオッサンがなに書いてんだよって。なにが「はいはいあの子は特別です」だよ。それはあれか、YOASOBIか(笑)。

Twitterで流行るモノ


偽名:最近Twitterで流行ってるのってほとんどがアニメ漫画ネタなんだよね。

張り紙:ワンピース?

偽名:シャンクスがドリンクバーで髪洗ってるってやつ(笑)。

中だめ・貼り紙:(爆笑)。

偽名:Googleマップネタが流行ったよねTwitterで。

中だめ:変なポーズしてる女子高生の画像でしょ。

偽名:たまたま変なポーズしてる3人組が見つかったって言ってるわけ。僕は正直、変なポーズしてる3人組が見つかったってのを見たときに、ふーんとしか思わなかったんだよね。実際そんな変なポーズでもないし。でもあれめちゃくちゃ拡散されてる。まずファンアートができるわけよ。そのあと3人の顔とか名前とか性格とかを勝手につけていくわけ。次は男にしてみたりとか3人の20年後を書いてみたりとかするわけよ。勝手にだよ、全部勝手にやるわけよ。それってめちゃくちゃ漫画・アニメファン的なやり口だと思う。なんでそれが受けるかっていうと、それが前提知識としてあるっていうことだよ。『ズッコケ三人組』みたいなもの。3人組をみたら一人は活発で一人は優等生で一人はのんびり屋みたいなさ。

中だめ:ステレオタイプがあるわけでしょ。

偽名:そういう流行り方をするネタが増えた気がするんだよね。「好きな素材発表ドラゴン」もそうだと思うんだけど。

中だめ:あれ全く面白いと思わないんだけど。

偽名:あれは可愛い系のやつだから(笑)。

中だめ:まだロボットのほうがわかるわ。「〇〇すればよかったのに……」ってやつ。あれもそんなに面白くないけど。

張り紙:ロボットも発表ドラゴンもキャラクターに言わせてるっていうところが共通してると思う。

中だめ:大江裕もそうじゃん(笑)。

偽名:(爆笑)。

張り紙:大江裕誰だっけ(笑)。

中だめ:あの、サイコパスみたいなやつ。

偽名:角刈りのやつ(笑)。

中だめ:背景が真っ赤になってる男だよ(笑)。ヤクザみたいな見た目の(笑)。実際は演歌歌手だけど(笑)。

偽名・貼り紙:(笑)。

中だめ:大江裕は結構好きで、未だにリツイートしちゃうんだよね(笑)。一回だけ大江裕の大喜利参加したんだよ。「大学は道徳で入りました」って(笑)。

偽名:(笑)。

中だめ:さっきの、3人組のファンアートと大江裕はノリが違うところあるよね。大江裕は大喜利だからね。

偽名:あの3人組で遊ぶノリは、ちょっとキモかったんだよね。あるあるにみんな飢えてる。あるあるをなにかに当てはめて。それ飽きちゃったわけよ。みんなアニメとか漫画を見すぎなんだよ。共通のある漫画が好きというよりは、沢山の漫画の共通項をみんなで共有する。だから3人組の画像であるあるネタをやる。

中だめ:記号だけを使ってると。

偽名:記号で遊んでる。よくあるじゃん。敵幹部の集合シーンが好きみたいなさ(笑)。

中だめ:よくあるよね(笑)。

偽名:それを語りたがってるっていうね。いかに有名な日本の漫画・アニメが標準化されてるかってことだよね。ジャンプなんかみんなそうだからね。だいたい展開一緒だから。

中だめ:戦って負けて修行して、もう一回戦って最後は仲間と一緒に倒しますみたいな。

偽名:チョッパーみたいなのもいるじゃん。

中だめ:ゆるキャラみたいなウザいキャラいるよね。ある程度そこは共通してるから、そういうところだけ共通知識として持ってる。

張り紙:「語り」が増えると裏で吸収への義務感というか、観ないと...…という意識が育まれていく面はあると思ってる。それがファスト映画とか、倍速視聴の流行。「オタクになりたがる若者たち」の正体はそれ。

中だめ:倍速視聴はほんとに理解できないんだよ。

張り紙:オタクになるために倍速視聴する。

中だめ:やっぱりコスパなんだよ。でもそんなにお前忙しくないだろって思うんだよね。暇だろと。でもそれはね、なんでそんなに生き急ぐようにコンテンツを消費しようとするかというとさ、インターネットのせいなんだよね。インターネットって無限にコンテンツあるから、あれも見たいこれも見たいとなる。無限にあったら一生かかっても見きれないと。だから、一つでも多くの作品を観たいから2倍速にして消費していかなければいけないっていうさ。確かにそれはわからなくもない。インターネットの海を泳いでたら、一生かかっても見きれない。そこで人生損した気になっちゃう。

大江裕


偽名:これ面白いな。「この帽子をあなたに預けます。今すぐ返してください」って(笑)。

中だめ:それ大江裕?

偽名:(笑)。

中だめ:あのね大江裕は初期の方は面白いの多かったんだよ。

張り紙:大江裕論(笑)。

中だめ:俺ね大江裕はかなり初期から追ってるから。最近はネタが枯渇してるからか万バズしてても全然面白くない。大江裕に言わせることの質が変わってきてる気がするんだよね。初期は大江裕にすごいズレたこと言わせてたんだよ。背景が真っ赤になってる大江って狂気染みてるわけだよ。その大江にすごいズレたこと言わせる。「お釣りをもっとください」みたいな。明らかに普通からズレてる、常人の感覚からズレてること言わせる。サイコパスみたいなことを大江に言わせると。それが初期だったんだよ。なかなか凝ってるなと思ったよ。こんなこと思いつかない、すげぇなと。でも今の大江って、受けてても初期の頃の狂気さが全然ないのよ。「私を愛してくれますか」みたいなさ。なんの捻りもないじゃん。

張り紙:昔の大江はよかったと(笑)。

中だめ:結局それって、大江の画像で笑ってるだけなのよ。前は、大江の画像も確かに面白いけど、それ以上にそこに付与された台詞が画像とマッチしてたから面白かったわけよ。今は大江の画像の面白さに依存してるだけ。

偽名:佐藤悟志のやつ思い出した。佐藤悟志の掲げてる性奴隷のプラカードあるじゃん。あれに子供達が寄ってくるけど、外山が「別に佐藤悟志が言ってることに感心したからじゃなくて、性奴隷という3文字に反応してるだけ」と言ってた(笑)。

中だめ:キンタマキラキラ最高裁もそうだよね(笑)。

偽名:動物的な反応をしてると(笑)。

コロナ禍という共通前提?


中だめ:さっきの、記号を消費してるって話は面白くてさ。グーグルマップの3人組ネタなんてのは、なんで受けてるかって言ったらさ、ある種のエモさがあるからなんだよね。青春の1ページのようなものとして切り取ってるわけよ。そこにエモさを感じて二次創作をしてみたりとかっていう流行りになってる。エモさについては、『パターン化されたエモ』[ii]という評論があってね。「ザ・テンプレみたいなエモ要素っていい加減にしてくれよ」というツイートを下敷きにして書いてる記事なんだよ。「パターン化されたエモ」が流行るのもあるあるネタだからでしょ。だから現代においてもそういう共通前提がないわけではないんだけど、あまりにもそのスケールが小さいんだよね。スケールの大きい共通前提もないとね。テンプレ的なエモさだけで人と繋がれるかって話でね、ちょっと難しいんじゃないの。

偽名:階級意識がないとね。

中だめ:大きな物語がないよね。戦争でも起きたらそういうのが生まれてくるんだろう。

偽名:コロナでみんなハマったじゃない。コロナでマスクにこだわった人ってそういう認識だったと思うよ。なんか必要だと思ってたんじゃない共通認識が。

中だめ:それはそういう指摘されてたよ。オタクってコロナ禍において自粛も進んでやって、率先してマスクもしてワクチンも打ってた。なぜかっていったら、「みんなでコロナという強大な敵に一丸となって立ち向かうんだ」というストーリーがオタクの中にあるからなんだよ。そういう漫画的なストーリーを求めてたんだよ。そこがオタクがコロナに熱中した理由の一つだと思う。

偽名:ネトウヨも多いよね、オタクは。中国のウイルスに勝たねばと。ワクチンも、「これぞ最先端科学技術だ」みたいな。これはSFオタク的な感性。

中だめ:コロナが共通前提になるというのはね……。コロナは個人個人に分断してしまうものだったからね。「みんなで一丸となって戦いましょう」という感じはなかった。まぁそういう風に煽られてはいたけど。敵がウイルス相手なわけだから、誰かと連帯しようとしても、その連帯しようとする相手にウイルスがいるかもしれないと。誰がウイルスを持ってるかわかんないということで、バラバラにされてしまう。

偽名:そっち方面の連帯は、国から半強制されたから達成されてる。医者がTwitterで発信して、バカみたいにいいねがついて、それで連帯してたんじゃないですかね。

中だめ:あんまり分かりやすい敵じゃないからね。どうすれば倒せるのかってところもわかんなかったわけだし、目に見えるわけでもない。コロナを経験したからといって「あの時は俺たち頑張ったよな」みたいな仲間意識みたいなの芽生えないだろ。

偽名:でも、2020年に高校入学した世代の卒業式ってそういうスピーチあったらしいけどね。「苦しい中で頑張りました」みたいな。自己欺瞞でしょ。ウソじゃん。とはいえ、本気にしてる奴もいると思うよ。致死率が低いってわかってたけど、年寄りに移したらいけないからってことで、頑張らなきゃと思った若者がまあまあいると思うんだよね。そういう人は卒業式のスピーチで感動するんだよね。

張り紙:2024年3月に行われた明治大学の卒業式では、マスクしたやつが卒業生答辞を読んでいたらしいよ。

偽名:マスクは本当に根深いね。

中だめ:まぁマスクをしたいやつはすればいいとは思うが(笑)。思わぬところで連帯感はあったと。

張り紙:でも感染予防の連帯は嫌だね。

偽名:「公衆衛生ファシズム」って言われたりするじゃん。いや、もちろん、公衆衛生スターリニズムであるという言い方もできるんだけど、ともかくそういう風に揶揄していかないといけない。

中だめ:結局、共通前提を取り戻すには、大きな物語が必要なのかもしれないね。しかしそれがコロナのようなものであってはならないんだよ。ある種の「押し付け」は必要だけどそれは場合による。都合のいい話だけどね(笑)。


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