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パンがどんどん早くなっていく

「パンがどんどん早くなっていく」。小学校高学年の時の記憶だ。給食の時間、給食係としてパンを配っていたAくんが言った。なぜそうなったのかはわからないが、パンの列に並んでいたクラスメートたちがパンを受け取ってはすぐに交代し、その後ろのクラスメートが受け取って素早く交代し、そのまた後ろの友達に早くつなぐという、とにかくパンを早く受け取るだけの謎の遊びが始まった。

記憶に刻まれたある瞬間

Aくんはとても嬉しそうに、「パンがどんどん早くなっていく。パンがどんどん早くなっていく」と言いながら、配膳する手をせわしなく動かし続けた。Aくんは普段は目立たない、でもなんとなくいつもご機嫌に過ごしているような少年だった。私はAくんが今まで見たこともないくらい大興奮する様子を目で追って、その光景を記憶に刻んでいた。パンが早くなる遊びは2~3日続いたが、翌週からはいつもの給食の時間に戻り、Aくんもすっかりとなりを潜めた。

Aくんとはその後、中学校も同じだった。小学校時代と変わらずいつもご機嫌な様子で、反抗期独特の荒れた様子もなく、ただただ穏やかに過ごしている少年だった。Aくんは時折、独り言なのか誰かに話しかけているのかわからないような言葉を漏らしていた。その度に、何かおもしろいことを言ってくれるのではないかと、気づかれないように耳を傾けていた。けれど、Aくんは「パンがどんどん早くなっていく」以来の流行語を生み出すことなく、中学校を卒業していった。

いつかどこかで誰かの記憶に

「お皿が早くなっていく」。私がお皿を洗っているとき、お皿拭きを手伝っていた長男が言った。その瞬間、Aくんの「パンがどんどん早くなっていく」というセリフと小学校時代の記憶が一気に戻ってきた。

中学校卒業後、Aくんのことを思い出したことは1度もなかった。まさか、コロナ禍の皿洗いの最中に、Aくんのことを鮮明に思い出すことになるとは、自分でも驚いた。私がAくんを思い出したということは、私のまさかと思うような瞬間や、人に自慢できるような様子とはかけ離れた姿も、いつかどこかで誰かに思い出されているかもしれない。階段をのぼる瞬間や電車に乗っている時や人混みの中、その時はいつやってくるのか、誰にもわからない。人間の記憶の引き出しは本当に不思議だ。

どうでもいい事をしばらく考えていると、「ちょっと。早くして」と、困惑気味の長男の声が聞こえた。私のお皿を洗うスピードがどんどん遅くなっていた。

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