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夜中にふと思った話。

私が世界で一番苦手な言葉。
何かあったら頼ってね/相談してね


私如きを心配してくれると言う他者の好意を
わかった上だからこそ、
この言葉をかけられると大変困惑してしまう。

理由はいくつかあるけど、その一つとして
他人の悩みを聴く姿勢について、私の価値観と合わない場合があるから。

私は他人の悩みは、
理解はできても、共感できない」と
思っているのがあると思う。

私は、その人が〇〇な事象について悩んでいる 
という事実に対して理解はできる
( 私がそれに対して、良いと思うか、悪いと思うかはまた別の話)
ただ、「わかるよ〜!」とか「私もそこ辛い」等
共感は全くできないものだと思っている。

本来他者の苦痛なんて、その人本人しかわからないし、
取り巻く環境や、悩みの内容が似てても
本当にストレスを感じる部分は微妙に違うと思う。

でも、多くの人はそこをごちゃ混ぜにしてしまう。
だから、他人の悩みに対して
理解はできないけど、共感はする
というスタンスが多い気がする。
 
悩んでいる内容について、自分の良いか悪いかを判断し、
聞いてもいない経験則を引っ張り出して
こうしたら改善するよって無責任な返答を投げてくる。

そうなった時、ただでさえ辛くて相談するという
かなり負荷を感じる行動を乗り越えてぶつかりに行っても
興醒めしてしまうものだ。

他人の悩みは主語は相談してきた相手であって
聞き手の話ではない


気づいたら主語を「わたし」に入れ替えて、
目の前で瀕死状態の相手の死体蹴りは
頼むからしないでほしい。

—-

しかし、価値観こそ違えど
相談を聞いてあげたいという相手の優しさや
好意には、感謝する気持ちはある。

例え、それが偽善的な部分であっても
他人から一言声をかけて貰えるだけで
救われる人も世の中いると思う。

そんな優しさを不要だと感じたくないので
どうすれば嫌味なく対応できるのか、
はたまたどこまで相談すれば
心地よく終われるのか、
頭の中がずっとぐるぐるしてしまう。

だから、私は他人に「相談してね」って言われると
咄嗟に取り繕ってしまうし、困ってしまうんだと思う。

人に優しくありたいし、容易く人を嫌いにはなりたくない。
でも、自分の地雷は踏み抜かれたくないと言う自衛本能とうまく擦り合わなくて
ストレスを感じる。

人生レベルが上がれば、これに対して
上手に対処できる日が来るのかなあ。

まだまだ経験値積まないといけないね。

お腹痛太郎
(さっき目覚めたので、ババババと書いてます。いつも以上に読みにくくてごめんなさい🙇‍♀️)

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