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日本の田舎ホラー 横溝正史×市川崑

どもども。子供の頃からTVで何度も観ていたものの、一度きちんと観直そうと思って横溝正史原作、市川崑監督の金田一耕助シリーズをまとめて観た。
今回観たのは『犬神家の一族』('76)『悪魔の手毬唄』('77)『獄門島』('77)の3本。(シリーズは他に『女王蜂』('78)、『病院坂の首縊りの家』('79)がある)

観直して発見があったのは、「もっと重厚かと思ったら、意外と軽妙な良さがある」ということ。それでいて「優れたビジュアルの田舎ホラーだ」ということ。その結果、国際的評価の高い大御所監督による芸術映画というよりも、間口の広い一級エンタメ作品という印象を持った。ヒットした理由もわかる。

田舎の権力争いで起こる、古い因習にまつわる怪異な殺人事件を描いた金田一シリーズが、おどろおどろしくも決して「重すぎ・暗すぎ」に陥らずに「軽妙」である理由は、主役の金田一耕助を演じる石坂浩二の明るい演技にも由来するだろうが、有名な「よし、わかった!」のギャグ(もうギャグと言って差し支えないでしょう)でお馴染みの加藤武扮する警部などコメディリリーフ的な人物が数人レギュラーでいることも大きい。

それに、市川崑の映像と編集のセンス(突然挟み込まれる短いモノクロ映像や、何かに気づいた時の金田一の目や耳のアップなど)が、重厚さよりもポップにベクトルを向けてるのもあると思う。モダンと言い換えてもいいが、いい感じでシャレているのだ。

そして映像における「死体」の見せ物っぷりのきもち良さは「日本の田舎ホラー」の一つの雛形を作ったと言って良い。

これに野村芳太郎監督の『八つ墓村』を加えて、西洋のホラーとはまた違う、「なにかしらの古い因果はあるのだが、それ自体が狂っていて理解不能だから怖い」という日本の田舎ホラーの恐怖の法則を生んでいる。

オカルト掲示板『洒落怖』に出てくる田舎で体験する怖い話の数々(『コトリバコ』『姦姦蛇螺』『八尺様』など)は、これら横溝映画が長年日本人に与えつづけたイメージに由来するものも多くあろう。
90年代のJホラーブームが『リング』や『呪怨』など都市や郊外を舞台にしていたのに対し、最近は『○○村』シリーズや洒落怖の映像化など「日本の田舎ホラー映画」がまた盛り上がってる。前者が「人間の理解や意味を超えた存在だから怖い」のに対し、後者は「怪異を生み出した〈人間の闇〉が怖い」という話が多いのも気になる点。それは何故なんだろう。金田一シリーズが流行った70年代との共通点などあるかもしれない。その辺り、またそのうち考えてみたい。

ほいじゃ。

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