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舞台錆色のアーマ-繋ぐ-愛知公演を経て大阪公演を観た話

錆色のアーマ-繋ぐ-、大阪公演に行ってきました。
ネタバレへの配慮は皆無です。

◆原作であるということ

 愛知公演の感想に、次のように書きました。
>ありとあらゆることを詰め込んで説明に必死になって、話の軸がどこなのかわかりにくくなってしまっていた

 こんな感想を持ったままの自分が大阪公演を観ていったい何を思うのか、もしくはなにも思わないのか。自分自身に対して読めない状態で梅田芸術劇場シアタードラマシティへと向かったのですが。

 29日の夜公演に友達と一緒に入って、さすがに2回目になると話が分かってきていいね、って話をして。翌日の日曜日の昼公演に一人で行って観ていた時に、急に、「そうか、詰め込み過ぎではなく、詰め込んでくれたんだ」ってハッと気が付いて、じわっと涙が出ていました。欲張りすぎた設定だと嘆いてた。でも違うなって思い直しました。

 感想がひっくり返りました。いや、ひっくり返ったというのはちょっと違うのかな。アーマの2作目がこういう見せ方になったということについて、自分の中で綺麗に落とし込めました。岡崎を後にした直後は、初作との差にびっくりして呆然としてしまっていて、自分の理解力の無さを棚に上げていたんだと思う。

 思い出の中の"アーマ"にひどくすがってしまっていたんです。耳に残る歌や台詞が次々くることを楽しい楽しいと言って。舞台アーマが背負うもの、そこに目を向けていなかった。ただ、一作目の歌や台詞が楽しい事実は揺るがないので、けして自分が的外れなことを書いたとは思わないしそこを訂正する気はないのですが、別の的を狙ってみることをしていなかったんだなぁと思います。

 抱えきれぬほどの情報量は、この作品が2年前から宣言してくれている通り、『原作』であるが故なんだと思い直しました。この舞台がこれから広がっていくものたちの"原作"だということに、一切の妥協をしていないんだと。『魅力的な感じのするキャラを沢山出した。それぞれに武器も必殺技もあるし、使い勝手の良さそうな敵キャラも作りました。じゃああとは煮るなり焼くなりお好きに広げてね!どうぞ!』と、他のメディアに投げてしまうのではなく、”舞台”の中でたくさん要素を出してくれた。このおかげで、きっと漫画やアニメが、原作舞台で登場した材料を使って、描かれていくんだろうなと。

 源であることの重圧って、いかほどのものなのだろうか。だってそこがコケたらその後なんかほぼ無くなってしまうし、逆2.5プロジェクトという初めての試み、倣う先駆者もいない。そんな中、脚本家・演出家・キャストの皆さん含む関係者の皆様が、原作としての務め、大役、見事に果たしてくださっていたんだと、考えを改めました。最低でも10話はあるアニメや、どんどん書き広げていける漫画と違って、舞台は最長でも3時間以内におさめないといけない。そういう制約の中で、原作であってくれた。

 錆色のアーマ、見せ方は変わっていたけど、在り方は変わっていなかった。初見でそこに思いを馳せられなかった。反省しています。自分の思い出にすがって、観たいモノだけ望んでたなって思う。やっぱりアーマが大好き。大好きってTweetを本心から書き込めて幸せです。

◆お頭が好きだなっていう

 手のひら返したように上に書いた感想を持てた理由が実はまだよくわかってはいなくて、どのシーンでハッとなったかもおぼろげ。アゲハちゃんが戦っているところだったかなぁ。ただ、後付けかもしれないけれど、ひとつ強く印象に残っているのは、大好きなお頭の背中。お頭、体格は小柄なんだけど背中がものすごく大きく見えて、大好きなんです。あの背中を見て、『アーマを信じよう』って思えたのかもしれない。信じるって、何様だよという感じなのですが。

こんなかんじのツイートをしていました。

◆秀勝様のこと

 秀勝様の演技は珠玉!ってずっと喚いていたのですが、何度でも言います。珠玉でした。声の切り替えや、視線と表情から放たれる絶妙な感情の動き。回を増すごとにどんどんとその魅力に落ちていく感覚はたまらなかったです。

 秀勝様は、お頭に「お前はただ地面に立ってるだけでいい!」って言ってもらえたけれど、その優しさがもっと彼を苦しめたんだろうなと思って、泣いてしまったんですね。だって羽柴秀吉の嫡男『羽柴秀勝』であることが、彼の誇りであり命の意味であり自分自身を自分自身たらしめるものなのだから、そうでなくなったらもう、自分じゃないものね。立ってるだけでは、己を保てない。そのシーンの秀勝様の表情が忘れられないです。友の呼びかけを切り捨てて、己であることを選び抜いた。決意の顔。

 その後出てくる甲冑を身に着けた第二形態がとにかく好きで。げほごほと咳き込み倒れていたあの子が、両の足でしっかりと大地に立ち、堂々たる姿で名乗りをあげる。あの名乗り、孫一に対してではなく、ほかでもない秀勝自身に向けていたかなとも思う。自分は羽柴秀勝なのだと、魂に打ち込んでるように見えました。もともと自分が誰かもわからなくなってる上に、中に妖怪が巣食ってるなんて知らされたら普通は発狂するんじゃないかと思うのに、あの子は秀勝として立ち上がって秀勝として死んだ。まさに見事見事。お頭の言うとおりの、強い人だった。孫一の声で自我を取り戻して、尾を切り落とし、秀勝として孫一と対峙して秀勝として生きて死ぬ。その最期の瞬間を、信長が刮目して見ているシーン、あれは彼から秀勝への最大の最高の敬意だなと思いました。

 シーンは前後しますが、九尾が信長にしたキスはすごかったです。30日のお昼公演の出来事。

 もうね、「九尾ならやる!」っていう行動をとったと思います。演じる玉城さん、あの瞬間(前後もですけれど)完全に九尾の狐だった。演技じゃなくて、九尾がいた、私は九尾の狐をみたんです。あんなにゾクッとする煽りは知りません。信長を煽るこれ以上無い方法だったなと思う。

◆まとまらない

 小見出し通りです。いろんな好きがブワーっとなっていて、もうシンプルにこれだけ。3作目も絶対に、絶対に行く!!ずっとずーーーっと、楽しみにしています。大好きです、錆色のアーマ。本当にありがとうございました。

 友達との記念(アクスタ)撮影。オタクという生き物は本当にどうしようもないですね。楽しかった。

 最後にやっぱり、かもまさへ。

 次回作なのですが、なぜ自分が死のうとしているのかも理解していない様子で、己の死にすら興味の無い感じで高笑いしながら最期を迎えてください。

 あなたの背中のシルエットのファンより。

2019.7.6

観に行った日:
2019年6月29日(土) 夜公演
2019年6月30日(日) 昼公演/夜公演

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