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正義ってなんだろう。


この間友人と、「正義」のはなしをした。

私の「正義」、誰かの「正義」。

私の正義は誰かの「悪」で。

誰かの悪は私の「正義」で。

お互いの正義が違うことはいつだって

すぐ近くにあって。

その正義を「戦わせない」ことが、

どれほどたいせつなのかを、わたしは思っていて。


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自分の目で確かめることができないことは、

それが果たして本当に事実なのかを

確かめなければならない。

全てを鵜吞みにするでなく、

全てを疑うのではなく、

自分で探さなければならない。

情報を知るということは

究極の自己責任でもあると思う。

偏ってはいけない。

戦わせてもいけない。

何が真実で、何が偽りなのかも、

もう確かめる事すら叶わない事柄もある。

そうなる前に、知ろうとすること。

アンテナを張り巡らせること。

理解できなくとも知っておくこと。

あたまとこころは別のものだから、

ぐうう、っと締め付けられるような

息苦しい感覚すらも、たいせつにする。

その中で生まれた自分の「正義」を

大切にする。

そして、決して戦わせない。

私は、そうあれたらいいなぁ、と。

ぼんやり考えている。


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世の中には「必要悪」なんて言葉もあって

全部がぜんぶ、綺麗なわけではなく

触れただけで爛れてしまいそうなほど

毒を帯びたものだってある。

でも、自分の中の確かにある「正義」を

たいせつにしたい。


自分がしてもらって嬉しかったことは

何倍にも大きくして返すこと。

自分がされて悲しかったことは、

そっと飲み込んで消し去ること。

信じてほしいと思うなら、

まずはひとを信じること。


大切なひとには「たいせつ」だと伝えて。

愛している人には「あいしている」と言う。


まっすぐに生きることはむずかしいし

時々ぽきんとおれてしまいそうになって

自分の中で湧きあがるどろどろした感情に

ほとほと嫌になることだってある


それでも


まいにちをたいせつに、ていねいに

積み重ねていければいいな。


「おはよう」「おやすみ」「またあした」

この言葉を繰り返せることは

奇跡だとおもう。


そんな事を思うまいにち。

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