日本の小中学校は殺風景な監獄の作りと同じだ。

学校と監獄の構造が同じことはたまに言及されるが、日本の公立小中学校の風体がひどすぎる。

パノプティコンを地で行くひどさである。

「じゃあ、どういうデザインにしたらいいの?代案を出せ」という奴が必ずいるが、今はそういう問題は後にして欲しい。事実を述べたいだけだ。


「あんな風体の学校では創造的なことなど何も学べそうにない」と言ったところで、「じゃあ各家庭で芸術的な場所とか習い事とかさせればいい」とか言う奴も出てくるだろうが、それ、カネいるし、保護者は普段働いているのだよ。

学校は高校受験、大学受験の勉強をするところか?

それさえも塾に負けてるだろう?できてないだろう?それでいて教養のニオイもまるでしないとは一体何のための学校なのだろう?

もしそれが「子供を縛るため、矯正するため」だとしたら、それこそ監獄と何の違いがあるのだろうか?


結局、全てがそうではないが「子供にカネかけたもんがち」であり、学校だけの勉強をやっても何ら受験の役にも立たない構造。


結局、カネ。金をかけられない貧乏人の子供の未来は早期に摘み取り、金持ちだけ優遇。それがこの国のコンセンサスですか?クソですか?


教育格差はモロに「金持ちと貧乏人の差」というのはもはや、公然の秘密であるのだが、困るのは

「そういうもんじゃないの世の中って」という空気が蔓延しているこの状況だろう。マジでクソである。


「学校なんかに期待するな」という声はわかっている。

しかし「学校の最低基準さえ今の公立小中学校は満たしていない」と思うんだがどうだろう?

要は「圧倒的レベルで子供の教育にカネをかけない」日本政府、文部科学省。テメエらに行き着く。

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多分、日本政府はやる気が無い。

政府を動かしているのは人生逃げ切った老害の金持ちが大多数である。

「教育にカネ使うなんて言語道断。そんな財源は無い」というのが隠しもしない本音である。マジでクソである。日本の将来のことなんて何も考えていないのである。


「やれ、英語が大事とかプログラミングだとかタブレットだとか些末なことばかり撫で回して仕事した気になっているだけ」の国の教育関係者たち。


彼らとは本当は関わりたも無いがあまりにもひどいと思うのでこうして書いている。

「代案を出せ代案を出せ」とか言われそうだが、本来であればお前らの仕事だろう?

それが全然できてないから、外野の39歳クサレブロガーが書いてるんですよ?

しかし「学校に文化の香りを。もうちょっと校舎の作りをマシな作りにせえや」と言ってもきっと、ノウハウも無いし、コスト削減案ばかりがのさばって、結局一番効率的な構造建築物となるのであろう。

すなわち「監獄造り」である。

和風にすれば、怒られ豪奢な造りにすれば有権者の老害から反発が来るのか?え?どうなんだそれが恐いか?

些末な批判のために未来の本道を歩む選択肢を取れない政府はまさにクソである。小学校という名前をやめて「社会矯正所」とでも名前を変えればいい。

結論:日本の公立小中学校のデザインはイノベーション、インスピレーション、文化芸術から最も離れた地点に位置する「全く何をも想起させない」脳死デザインである。

クソである。

これも「経済が最優先」という政策が生み出した結果だろうか。

「経済が最優先」とかずっと言ってるが、30年くらい言って無いですか?

ずっとダメなんだからもうそんな念仏やめろよ。

てめーらが大事なのは「目先の」経済の話だけだろうが。愚民政治ここに極まれり。

というわけで共産圏の施設なんか比でも無い殺風景な風景がこの国にはごまんとある。学校である。悲しい。

そしてかわいそうなのは「子供たち」ですよわかってますか?

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