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すぐ答えを出そうとする欲求が生む問題といくつかの解決策

曖昧な状況って怖いですよね。人間はもともと不確実な状況が苦手(1)なようで、経験に照らし合わせてもデータなどにおいてもその傾向は見られるみたいです。

ただ正確な統計があるわけではないのですが、現代はある意味では曖昧な状況を回避できやすくなったとも言えます。例えば、グーグルで検索をかければ、知りたい情報はごまんと出てくるし、何か不安なことがあればネットを開けば知りたい情報はごまんと出てくると思えます。

曖昧な状況を回避したい、すぐ答えを出そうとするという欲求とすぐ答えを出せる環境、両者が補い合って何か相乗効果のようなものが生まれるかと思いますが、実際はそうとも言えません。すぐ答えを出そうとする欲求は分かりやすい答えや、極端な答え、に飛びつかせてしまったり、間違った推論につながる可能性があるからです。今回はすぐ答えを出そうとする欲求が生む問題、そしてそれを防ぐためのいくつかの解決策を紹介します。

そもそも複雑な社会で正しい答えなんてわからない(パラメータ多すぎ問題)

ネットを開けば答えは出てきますが、それが正しい答えかどうかは定かではないです。特に、社会問題、人間関係のような様々な環境要因が絡み合う問題についてはほとんど正しい答えはわかりません。なぜなら、あるXという現象が起こってYという現象が起きたとしても、Yに影響を与える要因を全て知り得ない限り、Yという現象がXによって起きたものなのかどうかはわからないからです。そして、一般的にYという現象を説明できるものを全て知りうるのは不可能ですから、極端な話、XがYに与える影響を我々が知りうることはないのです。我々の社会にはパラメータが多すぎるのです。

もちろん理論やデータによって裏付けがなされていたり、実験などによって裏付けがなされていたり、相関関係でも重要なものはありますが、重要なことは、答えに簡単に飛び付ける時代となっても、我々の社会が複雑で有る限り、簡単には正しい答えにたどりつけないということです。そう言ったパラメータが多い中ですぐに答えを出そうとすると主に二つの問題が生じてきます。

すぐ答えを出そうとする欲求が生む問題1:極端でわかりやすい答えに飛びつこうとする。

我々の社会にはパラメータが多いので、良心的なレポートや科学者は断定系は使うことなく、含みを持たせて自分の主張を行うことが多いのですが、これは我々のすぐに答えを出そうとする欲求にそぐわないものです。例えばアメリカで約1850人を対象に行われた実験では、新薬、病院のシステム、新しいドリンクなどについて、「良いと言うエビデンスもあるが、悪いというエビデンスもある」という含みを持たせたレポートよりも、「良い」「悪い」と断定しているレポートの方が最終的なそのものに対する判断に影響を与えていることがわかりました。つまり、我々はパラメーターの複雑な社会を反映した答えよりも、はっきりとしたある種イデオロギッシュな主張を好み、そしてそれが記憶に残りやすい(2)ようです。

ただ、そう言った極端な答えに飛びつくことは、パラメーターが多い複雑な社会ではそれが正しくないことの方が多いと思われます。Yという事象に対して、原因がXでもZでもあるという状況は「X」だけ「Z」だけという状況よりも多いからです。

これらを踏まえると、すぐ答えを出そうとする欲求は手に入る中で極端な状況やイデオロギッシュな主張、そして意見が過激な人の主張ばかりを聞こうとするようになってしまうことが考えられます。

すぐ答えを出そうとする欲求が生む問題2:勝手な物語を作ろうとする。

二つ目の問題もパラメータの多い社会に起因していて、パラメータが多い中ですぐに答えを出そうとすると勝手な物語を作ろうとするということです。これはもう少し詳細にいうとXが起きた後Yが起きた場合、これにすぐに答えを出そうとするとXのせいでYが起こったと連想しやすいです。実際に人間は、XとYの相関的な時系列変化に対して因果性があると判断しやすい傾向があるようです(3)。ただ、よく言われる話ですが、相関 is not 因果ですxが起きた後Yが起きたからといってそれがxが原因でYが起きたとは言えないのです。ましてや、社会ではYに与える要因、XとYの両方に与える要因が多く存在しますから、X→Yという物語は往々にして見かけ上のもののことが多いのです。

この傾向を踏まえるとすぐ答えを出そうとする欲求は現象のつなぎ合わせによる見かけ上の物語を信じやすくなったり、そこに飛び付いたりすることが考えられます。

以上、パラメータが多い社会ですぐ答えを出そうとする欲求が生む問題を挙げました。まとめると、すぐ答えを出そうとすることによってイデオロギッシュな主張や極端な主張に飛び付きやすくなる、そして現象のつなぎ合わせによる見かけ上の物語を信じやすくなることでしたそれでは次からは、すぐ答えを出さないために何をすればいいか考察をしていきましょう。

すぐ答えを出さないために1:全てのものは仮説でしかないと割り切る

我々の社会にはパラメータが多すぎるということを踏まえて、もう答えは出ないと割り切ってしまおうというのが一つの解決策です。マシュー・サイド氏は「失敗の科学」の本の中で、全てのものは仮説に過ぎないのだから、とにかくフィードバックを大切にしてちょこちょこやってちょこちょこフィードバックを得ていくしかない(4)というような趣旨のことの述べています。

つまり、パラメータが多すぎる社会の中では完全な答えを出すことを放棄してしまおうということです。これは、投げやりになることを意味するのではなく、様々なパラメータを探って、検証とフィードバックをたくさん行おうという話です。フィードバックの際は、データなど、その結果を相対的に比較できたり客観的に見れるものがあるとなお良いでしょう。

すぐ答えを出さないために2:純文学を読む

ただ、割り切れと言っても本質的な問題は、割り切れないことなんだという批判もあると思います。そんな時役立つのが純文学を読むということです。答えが曖昧で、多元的な表現を行う純文学によって、曖昧さを嫌う一つの指標である認知的完結欲求が下がるということが、実験によって指摘されています(5)。

全てのものは仮説でしかないと割り切ることができない場合は、純文学や感情の多元性があるドラマや映画なんかを見てみると良いでしょう。

恋も観念も人生も完璧な答えが出ないからハマっていく?

以上、答えをすぐ出そうとする欲求がうむ問題点と、その解決策を考察しました。曖昧さって怖いけど、曖昧さを回避しようとして、パラメータの多すぎる社会において、極端で単純な推論をすることはもっと怖いように思えます。

あいみょん さんの歌詞(6)のごとく「恋も観念も人生も完璧な答えが出ないからハマっていく」というようになりたいものです。

【参考文献、脚注】

(1)BriggsRachae,2016"Costs of abandoning the Sure-Thing Principle",Canadian Journal of Philosophy, 2016
VOL. 45, NO. 5–6, 827–840.

(2)Fisher Matthew and Keil Frank 2018."The Binary Bias: A Systematic Distortion in the Integration of Information",Psychological Science
2018, Vol. 29(11) 1846–1858.

(3)Soo Kevin W. and Rottman Benjamin M"Causal Strength Induction From Time Series Data",Journal of Experimental Psychology: General 2018, Vol. 147, No. 4, 485–513.

(4)マシュー・サイド,2014『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』、有枝 春訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン

(5)Djikic Maja,Oatley Keith, and Moldoveanu Mihnea C.2013"Opening the Closed Mind: The Effect of Exposure to Literature on the Need for Closure",Creativity Research Journal, 25:2, 149-154

(6)「真夏の夜の匂いがする」(https://www.youtube.com/watch?v=EQva8xKAZ7s)








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