自由が僕らを不幸にする?選択のジレンマと自由化された父権主義。

はじめに〜自由選択の弊害〜

我々は、選択の自由が以前よりも補償された世の中に生きている。インターネットの発展によって、我々は自分の街においていないメーカーの商品を買うことができるのである。また、ネットフリックスやAmazon プライムビデオ、ユーネクストといったサブスクリプションモデルは我々の選択への欲望を満たす形で広がっている。また、我々は基本的に職業選択の自由が補償されているし、パートナーを選ぶ自由だって獲得してきた。

ただ、それは我々を本当に幸福にしているのだろうか。多くの人は選択に膨大な時間を費やし、適職を追い求め現職を嘆き、理想のパートナーを求め現在のパートナーと妥協できずにいる。近年ではこういった問題に対して、「多すぎる選択の弊害」と呼ばれるまでは呼ばないものの、そのデメリットが指摘されてきた「選択のジレンマ」と呼ばれるものである。そしてそれを解消するために、新たに「自由化された父権主義」と呼ばれるものが生まれてきた。今回は、選択の抱えるジレンマとそれに対応するための「自由化された父権主義」というものを取り上げたいと思う。この記事を通して、一貫して言えるのは、統一された最も良い選択肢は存在しないということである。

選択のジレンマ

多様な選択肢は、必ずしも我々を幸福にさせる訳ではないというのは、コロンビア大学のアイエンガー教授などを中心に指摘されてきた(1)。教授が書いた『選択の科学』(2010)を引用すると、「6種類のジャムを取り揃えた店よりも、24種類のジャムを取り揃えた店ほうが売り上げが低い」や、「加入できるファンドの数が多いほど企業年金の加入率が弱まる」といった我々の想像する多くの選択肢の中から最も合理的なものを選び取ることができる自由選択の世界とは矛盾した結果が見られる。

これに関して、ダンアリエリー教授らは論文(2)で示唆的なことを示していて、我々は何が何でも選択肢を残しておこうとし、それがなくなることを嫌う傾向が見られ、それによって非合理的な行動を行うという。

彼らは、被験者にコンピューターに映るドアをクリックさせて、ポイント稼がせるゲームの実験を行った。被験者の見る画面には、ドアが3つ用意されていて一つのドアをクリックするたびにポイントがマイナスになったりプラスになったりする。被験者は、100回クリックして、ポイントを稼ぐ。

そして被験者を一つのドアをクリックするたびに、画面に映る他のドアの大きさが小さくなっていくゲームを行ったグループと、一つのドアをクリックしても他のドアの大きさは変わらないグループの成績を比べた結果、選択可能性が予め担保されている後者の被験者のほうが成績がよかった。そして、ドアを切り替える回数は前者のほうが多かった。これは、ゲームの得点の期待値の説明を受けたり、事前に練習をしたりしても、変わらなかった。被験者は、ドアを変更する回数を少なくし、得点を稼ぐという合理的な行動をそれを知りながらも、選択肢が消える恐怖のために犠牲にしたのである。

アリエリー教授自身も現在の大学に止まるか、研究環境、周辺環境が現職と同等の違う大学に映るか否かという選択のために、研究活動を犠牲にするようになるまで先延ばしをし、決断を遅らせた経験があるという。

まとめると、「選択のジレンマ」とは選択可能性が多くの選択肢の中から最も合理的なものを選び取ることができる環境がありながら、それがかえって選択を先延ばししたり、合理的な選択を阻むということである。これには、我々の少しの損失でも大きな痛みを感じる、損失回避傾向が働いていて、違う選択をすることによって本来あったかもしれない結果を想像し、それを取り逃がしたように感じることを防ぎたいという考えが働いていると見られる(3)。

私自身を省みても、見たい映画を1本探すために、探す時間と見る時間合わせて、2本分の時間を費やすことがある。見終わった後に、これなら2本見れたと後悔するのである。

自由化された父権主義

では、我々の選択のジレンマをどのように解消するのか。その一つの答えとしてあげられるのは、「自由化された父権主義」(Libertarian Paternalism)である。これは、リチャードセイラーなどによって、提唱されている(4)ものである。

父権主義とは、最も良い結果が生まれるように、自己決定を予め誰かによって決定しておこうという考えである(5)。例えば、我々は車に乗ったときシートベルトを締めなければならない。ここには、締める締めないという自己選択の権限は実質我々にはない。これは、シートベルトを締めるほうが、我々の命は守られやすくなるから、我々はシートベルトを意思とは関係なく締めるという選択肢を国が与えるのである。

では、これに「自由化された」という言葉がとつくと、どうなるのであろうか。それは父権主義的に最も良い結果がもたらされるであろう選択肢を提示しながら、個人の選択権限を尊重することになる。例えば、リチャードセイラーによって行われた企業年金を対象とした研究(6)では、企業年金をあらかじめ、デフォルトで設定しておいて、それを外す権利や切り替える権利を残しておいた結果、自らファンドを選択するように設定されたグループよりも積立てが大きくなった。また、ジェネリック医薬品の選択に関しては、ジェネリック医薬品に同意しない人だけサインをするようになっている。先の例であげた、ネットフリックスやAmazonプライムビデオ等もレコメンド機能を揃えている。

つまり、「自由化された父権主義」とは、強制にならないように、その人、ないし社会、組織にとって最も合理的であると考えられる選択を提示し、それを拒否する選択肢を残しておくことなのだ。これは、自分が最初から選定されていない豊富な選択肢から選択するよりも手間が省けるし、うまくやれば豊富な選択肢から一つの選択を選ぼうとするよりも良い結果が得られる。

近年、こういった「自由化された父権主義」の考えは、公共政策にも浸透していて(7)、先のジェネリック医薬品の例のようなことが政策や規制に浸透している。

自由化された父権主義の問題点

ただ、「選択のジレンマ」に対する、「自由化された父権主義」は確かに有効な方策ではあるが、問題も指摘されている。

それは、例えば、本当に必要な判断や合理性というのは個人によって異なるはずなのにもかかわらず、あらかじめアウトラインが他人によって示される我々は自由なのだろうか。ましてや、国家や組織がそのような選択のアウトラインを示すことは自由の侵害ではないのかというものである。リバタリアン的な考え方から考察すると、国家によるいかなる父権主義的な態度も否定されるのである(8)。

また、「自由化された父権主義」は、それが悪用されていることが散見されている。例えば、「フリーの体験」に一度入らせて、その後面倒な解約手続きを設定し、そのまま「料金の発生する体験」に持ち込ませる、「ネガティブオプションマーケティング」と呼ばれるものがある。

このように、必ずしも「自由化された父権主義」が良い方向に転ぶ訳ではない。結局のところ、我々は何にせよ選択するには一定程度のリスクと責任が伴うことに変わりはないのである。

まとめとアクションプラン

今回の記事は、「選択のジレンマ」とそれに対する「自由化された父権主義」という紹介した。多すぎる選択肢は、我々の選択可能性への欲望をみたし、自由の象徴であるものの、それが必ずしも我々を幸福にする訳ではないし、最善の結果をもたらす訳ではない。あらかじめ、制度なり、情報なり、アルゴリズムなりを用いてあえて我々の自由や選択を制限しておくことは良い選択につながることもある。ただ、必ずしもそれによって示された選択肢も良い方向につながる訳ではない。バイアスのかかったアルコリズムや制度はバイアスのある出力をもたらすし、あえて自分たちの特になるような選択をそれが見えない形で、与えてくる人々もいる。

では、そういった中で、我々はこれからどのように自由を担保しながら、選択のジレンマに対処していくのか。最後にこれからの選択のための指針を考察してみる。

「選択のための指針」

・コアバリューを知る:自分の大切にしたい価値を知ることによって、それに見合った選択を選ぶ。

・選択をカテゴライズする:選択のカテゴライズを行い、豊富な選択肢を少なくする、その後、選んだカテゴリーの中でもカテゴライズして、選択肢を少なくし、最終的な選択肢を選ぶ。

・絶対的に正しい選択はないと知る:上に、あげるように、絶対的に正しい選択はない、選んだらあとはその選択肢に没頭したり、良い選択になるようにコミットしたほうが、最高の選択肢を求めて、スイッチングするよりも合理的である。

・周りの人に聞く:自分と最もあった選択肢は何か、周りの人にアドバイスを求め、選択肢を絞っていく。

・クリティカルシンキング:制度やアルコリズムによって与えられた選択肢をあえて批判的、懐疑的に見直してみる。

終わりに

我々は先祖の貢献もあり、好きなものを買うことができ、好きな仕事を選び、好きな人に恋をすることができる社会を手に入れた。しかし、我々はそれと同時にをすぐに手放すこともできるようになり、好きなものや適職や理想のパートナーを求めて露頭に迷う時間も長くなったように思える。自由選択にせよ、与えられた選択にせよ、何かの基準を持って、自分の選択を判断することが求められれるのではないか。そのためには、まず自分を知ることが必要だ。

【脚注及び参考文献】

 (1)S.アイエンガー(2010)「コロンビア大学ビジネススクール特別講義選択の科学」pp260~310、櫻井祐子訳、文集文庫。

(2)Jiwoong Shin, Dan Ariely(2004)"Keeping Doors Open: The Effect of Unavailability on Incentives to Keep Options Viable"

(3)ダン・アリエリー(2010)「予想通りに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」」pp263-282,熊谷淳子訳、早川書房。

(4)RICHARD H. THALER AND CASS R. SUNSTEIN(2003)"
Libertarian Paternalism"

(5)http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/paternalism.html

(6)Richard H. Thaler and Shlomo Benartzi(2004) "Save More Tomorrow: Using Behavioral Economics to Increase Employee Savi"

(7)キャス・サンスティーン(2017)「シンプルな政府”規制”をいかにデザインするか」pp158-197、田総恵子訳、NTT出版。

(8)マイケルサンデル(2011)「これからの正義の話を使用 いまを生き延びるための哲学」pp97-123,鬼澤忍訳。

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