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人間関係の地雷を踏んではいけない生きづらさから脱出

【前編】「ソロ活」を「仕事」にまで昇華させた、朝井麻由美さん

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           ソロビアガーデンの様子

江口のりこさん主演で話題をさらったTVドラマ『ソロ活女子のススメ』(テレビ東京系)がついに最終回を迎える。ドラマの原案者である朝井麻由美さんはさまざまなメディアでソロ活情報を発信し、現在はソロ活の第一人者として君臨。コラムニスト、ライターとして生きる。
「ソロ活」は実は心の奥底に隠された自分との向き合い方そのものだという。
子どもの頃から人間関係の地雷を踏まないことに注力してきた朝井さんにとって、「ソロ活」は究極の自己分析解析ツールだった!?

コンプレックスは「履歴書の趣味欄が埋められない」

今でこそ、あれが好き、これが好きと言ってますが、もともとは履歴書とかの趣味・特技の欄に何も書けなくてコンプレックスでした。
とりあえずピアノと読書とか適当なことを書いていたんです。でも趣味と言えるほどかというと、ピアノも読書も好きだけど極めているほどでもない。
趣味として私はこれが好きですって自信をもって言えることって全然なかったんです。

振り返ってみて思うんですが、そもそも“自分が何を好きなのか”がわからなくなっていたんですよね、たぶん。
掘り下げると、特に学生時代は自分の中で人間関係が上手にできないってことが大前提としてあって、地雷を踏まないように無茶苦茶気を付けながら生きていたんです。
そうやって人に合わせて生きていた頃は、あんまり自分がこれをやりたいとか、これが好きだからここに行きたい、みたいな主張をあまりしてなかったんですよ。相手がどう思ってるかとか相手が何をしたいのか、みたいなことを探り探りで顔色をうかがうみたいな感じで生きていたんです。
学校で流行っているもの以外で、「これが好き」と言うことで、センスないとか変だとか思われるのも怖くて。
その結果、結局自分が何が好きなのかよくわからなくなってしまったんですよね。

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           ソロバーベキューの様子

入学したら3年間やめられない学校の恐怖

特に高校までの学校って、何かしくじっても絶対に3年間通わなきゃいけないことが確定していますよね。何か家庭の事情でもない限り転校できないと思っていたので、とにかくしくじらないように、地雷のことだけ気にして出る杭にならないように生きていました。毎日が地雷処理班みたいな気持ちで。でも、たぶん4回に1回ぐらいは間違えて地雷を踏んで、爆発させてたと思います(笑)。

例えば、気をつけないと余計なひと言を言ってしまうとか。「それは言わんほうがいい」みたいな塩梅が昔からよくわからないんですよ。でも、やっちゃった後に空気が凍った、みたいなのは薄っすら感じるので、慌てて笑いに変えてみるとか取り繕うとかでギリギリ持ちこたえる、みたいな。
大人になってからの友達は趣味や性格が合うとか、そもそも気が合う相手を選べると思いますが、子どもの頃は「そのときたまたま同じ地域に住んでいて、偶然同じクラスになって、席が近かったなどでなんとなくグループになる」とかで、実は本来はあんまり合わない相手と一緒にいた、というのもあったと思うんですよ。だから、余計にそのお互いの「NGライン」みたいなものの判定がシビアというか……。
もちろん、人によっては趣味や性格がピッタリ一致する相手と知り合えるケースもあるでしょうけれど、私の場合はそうじゃありませんでした。それに、自分も相手も子どもだから今よりもたぶんいろいろなことに対して心が狭かったでしょうし(笑)。ちょっとしたことで嫌いになったり嫌われたり。それが結構きつくて、学校がすごく嫌でした。
幸いにして大きないじめなどを受けたことはありませんでしたが、とにかく人間関係におっかなびっくり怯え続ける状況が小学校から高校卒業までずっと続いていました。

「世の中の正解」は結局みんなと馴染むこと

学校を卒業してから、「みんなで一緒にいなきゃいけない」とか、「集団に馴染めない」という思いが一切自分の中から消え去ったかというと、そんなことはなかった。
やっぱりみんなにうまく馴染むことこそが世の中の正解であり、それがうまくできない私は駄目なのかもしれないみたいな気持ちはずっとあったんです。ただ、社会人になってからわりとすぐに会社を辞めてフリーランスになったので、会社の中でうまく合わせられない、と悩むとかはありませんでした。……というか、それができなくてすぐに会社を辞めたからなんですが。いわゆる会社の中で求められるような忖度とか暗黙のルールとか言外の意味を汲み取ることが全然うまくできませんでしたね……。

以降、集団にうまく馴染むことができない自分に引け目がありつつ、その一方で、一人でいて楽しんだからそれでいいんじゃないか、という両方の気持ちが自分の中にあり続けて。
7年くらい前にソロ活をテーマにした連載を始めて、書くことを通してだんだんそのあたりの自分の考えが整理されていきました。

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            ソロ人生ゲームの様子

「ぼっち自虐」と「ソロ活」の違い

ソロ活ついてのweb連載の依頼があったとき、最初は自分の中で、1人でいることに対する自虐みたいな気持ちがあったんです。それは、学生時代からのわだかまりが残っていたのもあるし、もう一つは時代の空気も多分あって。

今の時代はそういう自虐行為もうやめようって風潮だと思います。
ただ連載を始める少し前には「リア充」と「非リア充」とか、「リア充爆発しろ」みたいな言葉が流行っていましたし、当時はまだぼっちであることを自虐するような雰囲気が世の中にあったんですよね。その中で、そういう自虐的な文脈で面白おかしく書いている人はインターネットに沢山いたんです。

そういうのを見ていて、「そっか、私もそうなのかな」と、なんとなく流されて最初は自虐的に書いていたんですけど、エッセイを書くことは自分と向き合う行為なので、自分が実際はどう思ってるのかを嫌でも考えさせられました。

後編に続く

※写真は全てご本人からのご提供。写真は三脚とセルフタイマーで撮影。

朝井麻由美(あさいまゆみ)

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フリーライター・コラムニスト。著書に『「ぼっち」の歩き方』(PHP研究所)、『ひとりっ子の頭ん中』(KADOKAWA中経出版)。ひとり行動が好き過ぎて、ひとりでバーベキューやスイカ割りをする日々。執筆テーマはソロ活、人見知り、ひとり旅、食、ゲームなど。『二軒目どうする?』(テレビ東京系)に準レギュラー出演中。ほか、テレビやラジオの出演多数。



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