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サーズデイ・アッセンブル

木曜日というと、1週間の疲労もピークに差し掛かり、「明日行ったら週末や」という安心感も相まって、人が最も気の緩む日であると思う。その日私は、家の鍵を会社に忘れるという珍事に見舞われていた。

残業をこなし会社を出たのは21時半。セキュリティーキーを持たない私は、鍵を取りに戻るという選択肢はなく、翌朝まで家に帰れないという状況だった。失礼を承知で近場に住む友人に連絡をとり、家に泊めてもらおうとした。早速電話をかけてみると、友人は「アホやん。なんでそんなことになるん」と清々しく罵った挙句、私の失礼な依頼を承諾してくれた。しかし、今は家におらず、馴染みの店で飲んでいるということだったので、店まで来いという指示だった。

翌日も仕事なので、さっさと風呂に入って床でもどこでもいいから寝させてくれ、なんで今から酒に付き合わねばならんのだ、と思ったが、普通に考えて何様やねんという話になるので大人しく呼ばれた場所へ向かった。電話越しに、何やらカタコトの日本語で大声で叫ぶ男性の声が聞こえたことに、一抹の不安を抱えながら私は小雨の降りしきる街を歩くのであった。

駅前まで迎えに来てくれた友人は「アホやん。なんでそんなことになるん」と5分前にも聞かせてくれた罵声を同じ熱量で浴びせながら、私を店まで導いた。居酒屋が軒を連ねる界隈とは全く逆の方向へ進む友人。明らかに住宅街に向かって歩く。たくましい背中で私を導く友人に、恐る恐るどこへ行くのかと尋ねてみたが

「あんねん。店が。行きつけの。」

と雑な倒置法を使って私に説明してみせた。歩くこと5分。もうすっかり住宅街に差し掛かっていたが、その中でポツンと一軒、明らかな違和感を放ちながら、そのスナックはあった。

(ス、スナックかあ〜)

と初めて訪れる業態であることが不安を助長する。ちなみに違和感の正体は、煌々と輝きながら看板に巻きつく申し訳程度の電飾であることがわかった。ポップ感の演出を図ったものだと思うが、真っ黒な看板とノスタルジックな木製の扉はポップさを見事にかき消し、かえって余計に妖艶な雰囲気が出来上がっていた。そんな、通り抜けたらホグワーツにでもたどり着きそうな妖艶な扉を、友人は実家の玄関くらいの感じでずいっとひらけた。

ホグワーツさながらに、ほの暗い店内に目を凝らすと、バーカウンターに沿って椅子が7、8脚くらいだろうか、とにかくシンプルな作りで雰囲気がある。友人はカウンターの向こうのママらしき女性に「戻ったでぇ」的な胡散臭い関西弁を浴びせ、ずかずかと椅子に腰掛けた。友人が「座りや。ここ。」と私を案内するとママ的な人がすぐさま飲み物を聞いてくれた。「あ、ハイボールで」というと光の速さで出てくるハイボールともずく。

「もずく?」

「のぶこはなぁ、沖縄の人やねん」
友人がこれまた雑にママ的な人の紹介をした。

「このもずくな、ほんまにうまいねん。ほんまにうまいから。ちょっと酢かけたるわ。これもな、沖縄のやつやねん」

と、のぶこ。とりあえず沖縄のもずくらしいことは分かったが、そんなことより友人の隣に大きなギャルと細いベトナム人が座っていることの方が気になって仕方ない。

大きなギャルと細いベトナム人。声量から察するに、お酒的な意味ですっかり仕上がっている彼らは、どうやら友人とも顔なじみのようだ。よくよく耳を傾けてみると、ギャルが金髪ボブの内側はツーブロックであること、ベトナム人がその刈り上げの部分に剃り込みを入れたくて仕方がない、だとかなんとかいう旨の議論で盛り上がっていた。とりあえず楽しそうだ。

たじたじする私にのぶこは「この子、紹介してよ」と友人をせっついた。

私は自分の名前とここに至った経緯を説明した。のぶこはそのハスキーな声で「ウィンガーディアムレビオーサ」みたいなよくわからない相槌を打ったあと、もずくのおかわりを差し出した。ちなみにすごくおいしい。

「あんた、えらい可愛らしい顔してるやんか〜21歳やな。かわいいわぁ」

今年26歳であることは伝えてみたが、「えぇ〜21歳やわぁ」とちょっとよくわからない返答が返ってきたのでそっとしておいた。俯きながら静かにもずくを啜った。

「いや、ほんま、久しぶりに男前と酒飲むわぁ」
と大きなギャル。ボリューム感だけで言えば、ほとんどビヨンセである。しれっと会話に入ってきたかと思えば、興奮して何やらオウオウ言うている。

私はこの大きなギャルに見覚えがあった。
友人のInstagramに時々出てくるからだ。大酒かっくらって床で寝そべる、もしくは大酒かっくらって肉を焼いている、常にそのどちらかをしている女性だった。彼女は一本のタバコを3呼吸くらいで吸い終える肺活量の持ち主で、私が到着してものの10分の間に丸一箱くらい吸っていたと思う。ワンピースで例えるなら、もうほとんど白ひげとかそういう次元の生物なのだと思う。

あまり男前扱いされたことのない私は、リアクションに困りながら、友人が「こいつ別にそういうキャラちゃうけどな。中身けっこうアレやし」としれっとひどいことを言う。すかさずもずくをかきこむ。

「バリもずく食うやん」

そう言うや否や、肋骨を割るつもりだったのかというくらいの力加減で大きなギャルのツッコミが入る。

するとギャルの向こうから、ベトナム人が「ぞ」と「じょ」の間の音を発しながら私にグラスを突き出した。

するとおっきなギャルは
「これあれやねん、ベトナム語で"乾杯"やねん。はい、ぞ〜」
と言ってジョッキグラスを持ち上げた。

「ぞー」

と言いながら大きなギャルと細いベトナム人と乾杯を交わした。

どうやらベトナム人からすると私の下の名前が発音しにくいらしく、しかし是が非でも名前を発音しようとしてくれるその姿勢に感銘を受けた私はとりあえずもう一度「ぞ」と言ってグラスをぶつけておいた。

実は私はこのベトナム人にも見覚えがあった。
この男は家の近くのコンビニの店員であり、基本お昼はコンビニ食の私は度々見かけたことがあったのだ。
その旨を伝えると「エー、ウソヤン」と驚いて見せた。別に謝ってくれなくてもよかったが、律儀に申し訳なさそうな感じをやってくれ、そして「日本人みんなおんなじような顔だから」という、たぶん言わない方が良かったような弁明をしてみせた。

「あんたご飯食べてきたん?」

のぶこが割って入る。出会ったばかりでこの実家のオカンのようなフランクで温かな気遣い。さすがはその道のプロである。残業終わりそのままの足でこのスナックに来ている私は夕食を食べるタイミングを逃していたのだった。

「食べてへんのですよ〜」

精一杯困った顔をしてみた。

「ほなこれ食べ。これ。」

そう言って差し出されたビニール袋の中を見ると、スーパーでよく惣菜を詰めてあるタイプの容器が二つ、片方は山ほどの白米の上に半分はキムチ、半分は昆布が乗せられていて、もう一方のパックにはエビフライと唐揚げと生姜焼きと大マカロニサラダ。聞くと、さっき帰った客が置いて行ったようなことを言っていた。

「大丈夫、誰も手つけてへんねん。綺麗やねん」

私が怪訝そうな顔をしたのを読み取ったのか、衛生的には問題ないことをのぶこは説明した。健康的な成人男性は空腹にめっぽう弱い。私は平気な顔をして平らげた。部活の合宿で食べさせられるくらいの量だったが、私が頑張って食べ終えると、

「もずく、もうええ?」

もずくはもうええのである。酸味をすごい取らせようとしてくるなこいつ。

「気持ちいい食べっぷりやわあ」

もう何をしても褒めてもらえるゾーンに入っていた。私はその時点からのぶこのことはのんちゃんと呼ぶことにした。私はこの手の女性に何故かやたらにウケがいい。

そんな感じでのんちゃんと食堂のおばちゃんと高校生みたいなショートコントをしていると、おっきなギャルとベトナム人と友人が何やら面白そうな話をしている。

「こいつ、はじめての時、うちの店のイートインで、酒飲んでた。こわいかった。」

どうやらそのおっきなギャルとベトナム人の初めての出会いは、ギャルがベトナム人の働くコンビニのイートインスペースで缶チューハイをかきこんでいたらしいのだ。大きなギャルがコンビニのイートインで酒を飲んでいる場に遭遇したら、そらこわいに決まっている。イートインスペースで酒は飲むべきでない。

その後、ギャルと友人のエレファントカシマシ・宮本浩次の「冬の花」のデュエットを聞かされ、それが終わるなり、のんちゃんが店を閉めたいオーラを出し始めたので、ようやく帰路についた。どうやら大きなギャルもベトナム人もついてくるとのこと。

「うちの店、寄る」

とベトナム人が言うので、早く風呂に入らせて欲しい気持ちをグッとこらえてコンビニへ向かった。きっと酒でも買いたいのだろう。別にいいけど私は寝るからな、と思いながらついていくと、レジにはこれまたベトナム人がいて、顔を合わせるなり、二人で何やら談笑が始まってしまった。

友人とギャルと「先家帰っとくか」となり、友人の住むマンションへ向かった。ものの1分でそのマンションはあり、エレベーターを待っていたら、駆け足でベトナム人が戻ってきた。小脇にスニーカーの箱を抱えている。どうやら今買ったらしいことを言っているが、コンビニでスニーカー買うたの?どゆこと?と思う気持ちを堪え、きっと彼も説明しきれないだろうから、そっとしておいた。するとおもむろにスニーカーを見せてくれたが、びっくりするくらい見たことないデザインの見たことないメーカーの製品だった。

「びしょびしょになった段ボールってこんな色やんな」

とギャルが例えると、ベトナム人が

「エー、ウソヤン」

と何やらケタケタ笑っている。楽しそうで何よりだ。

友人の家についてからというもの、結局飲み直す流れになってしまった。常温のマッコリを楽しそうに飲むギャルと世間話をしながら私は私で常温の麦焼酎の水割りを嗜んだ。ギャルに風呂を覗かれたり、ベトナム人に「これシャンプーだからね」と言って猫用のシャンプーを差し出されたり、猫に頭を踏まれたりしながら、なんだかんだあって、最終的に雑魚寝状態になった。明け方に目を覚ますと四人分の布団が全部ギャルの元へ集合していたり、私は私でアベンジャーズのバスタオル一枚で夜を明かすことになったり、一晩のうちにいろいろあったが、それはそれで変な絆のようなものも生まれて良かったように思う。中華料理屋の店長(友人)と大きなギャルと細いベトナム人と猫、と私。さながらアベンジャーズ、という感じだ。

「突然人の家に泊めてもらうこと」
とかけまして
「知らんベトナム人とめちゃくちゃ大きいギャルがクダを巻くわけわからんスナックへ呼ばれる」
とときます。その心はどちらも、

さけないといけないでしょう。

(避けないといけない・酒無いと行けない)

お後がよろしいようで。

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