そうやって僕は、LINEで4年間働いてきた。
インタビュー取材の朝は、決まって胃が痛くなる。
もう少し場数を踏めば、緊張せずに済むようになるのだろう。
ずっとそう思ってきたが、44歳になった今もまったく改善をみない。
今回もそうだった。
しかも、取材対象は教育関係の方。慣れているスポーツ領域の取材ではない分だけ、さらにナーバスになった。
前の日の晩にリサーチを重ねたが、その程度で安心などできない。
ベッドに入っても、話が弾まないイメージばかりが湧いてくる。
しかたなく、もう一度パソコンを開き、リサーチを再開する。
その繰り返しで、まともに眠れなかった。
そうやって迎えた、取材開始の刻限。
僕を救ってくれたのは、取材対象の方のひと言だった。
「記事、読んでました」
その方は、西武ライオンズの栗山巧外野手のファンだという。
これまでに僕が書いた記事も、読んでくださっていた。
「栗山さんと同じように取材をしてもらえるなんて、本当にうれしいです」とまで言ってくれた。
僕が書く記事のタッチもご存じだった。おそらく、それにあわせて取材対応をしてくださっていたと思う。
話を聞くそばから、脳内で記事が仕上がっていく。そんな感覚になった。本当に素晴らしい取材機会だった。
取材を終えた直後。
ICレコーダーの録音内容を確認しながら、しみじみと思った。
こうして栗山さんに救ってもらうのは、もう何度目だろうか。
4年前の6月1日。
僕はLINE株式会社に入社した。大学卒業以来15年間勤めていた、スポーツ新聞社からの転職だった。
あの日もひどく胃が痛んだ。
いまをときめくIT企業。はたしてどんな職場なのか。
入社オリエンテーションを終え、配属されるフロアに到着した。
なにはともあれ、あいさつだ。勇気を振り絞って「おつかれさまです」と声をあげる。
僕の声は、清潔で広いフロアに、むなしく響いた。
「ログ化の意味もあって、やり取りは基本チャットです」
案内してくれた先輩社員が、そう教えてくれた。
気恥ずかしさで、僕の顔は真っ赤になっていたと思う。
その日は、LINEニュースの仕事の手順がまとめられたページを、ずっと読み込んでいた。
「おいおい仕事を覚えてくれればいいので」
上司はそう言ってくれた。
間違いなく、あたたかい配慮だ。だが、15年間ずっと急かされながら働いてきた僕は、どうしていいのかわからなくなってしまった。
翌日。ようやく仕事のトレーニングが始まった。
早々にミスをする。あわてて迷惑をかけた社員に謝りに行くと「それもチャットでやっていただいた方が、ここではよさそうです」と教えられた。
急いで自席に戻った。
「以後気をつけます」と入力して、エンターキーを押す。
そのタイプ音も、静かなオフィスにはやけに響いた。
ここには、馴染めないかも。そんな気持ちになってしまった。
休憩時間と言われたが、休む気にもなれなかった。
メールの画面を開く。
旧知に転職報告の連絡をしよう。そう考えたのは「前職の現場が恋しい」という後ろ向きな気持ちゆえだったと思う。
知らない人から、メールが届いていた。
アドレスを見るに、同じLINE社員からのものだった。
開いてみると、こう書かれていた。
「記事、読んでました」
数日後の夜。新宿駅近くの居酒屋。
僕は数人のLINE社員にうながされ、ビールのジョッキを掲げていた。
メールの主、緒方岳彦さんの音頭で開かれた歓迎会。参加者の所属部署はバラバラだが、全員がライオンズファンだった。
「塩畑さんの記事、読んでました。栗山選手の記事、最高でしたよ!」
記者時代、読者の方から直接感想を聞かせてもらう機会は、ほぼなかった。
くすぐったいような気持ちになったが、素直にうれしかった。
自宅の最寄駅からの帰り道。久々に口笛を吹きたい気分になったのは、お酒の力だけではなかったと思う。
僕のことを見てくれている人は、確かにいる。見知らぬ土地で覚えた疎外感のようなものが、きれいに消えていた。
この日を境に、僕は自分の部署の同僚とも気軽に話せるようになった。
みんな親切で、ものすごくいい人たちだった。自分が勝手にバリアを張っていただけだったと気づく。
とても大事な友人が、たくさんできた。
栗山選手には、この経緯を話した。
「おかげさまで、新しい会社にも居場所ができました」
そう伝えると、自分のことのように喜んでくれた。
そしてその年のオフ、この社内の仲間との食事会に、サプライズで登場してくれた。
その時のことは、以前にもnoteで書かせてもらった。
実はもうひとり、この「社内ライオンズファンの会」に来てくれた選手がいた。
ある日の夕食会。
宴もたけなわのころ、西武ライオンズの武隈祥太投手がふらりとあらわれた。特に何も言わず、空いている席に座る。
当然だが、参加者は色めき立った。
「いつもお世話になってます!」。そんなよくわからないあいさつをする同僚に、武隈投手はいつもの仏頂面で応じている。
1軒目を出た。
これで帰ると思いきや、彼は2軒目に向かう隊列の先頭を歩いている。
ふと、こちらを振り返って、僕にだけ聞こえるようにポツリと言う。
「こういうのも、社内の人間関係に少しはプラスになるんでしょ」
それからも僕は、新聞記者時代からのご縁に救われ続けることになる。
LINEニュースでは当初、提携媒体さんの記事に見出しを付け、トップページに掲載していく仕事をしていた。
記事はまったく書かなくなった。それでいいと思っての転職だった。
実際、ネットでの記事の読まれ方について、とてもいい勉強をさせてもらっていた。特に「いい記事が読まれるとは限らない」という学びは、自分の生き方を変えるものだったと思っている。
それが入社半年くらいたったころに、LINEニュースでも記事を自主制作するという話が持ち上がった。
社内に記者出身者はあまりいなかったこともあり、僕が取材し、記事を書くことになった。
とはいえ、日々現場に出ているわけではない。
LINEニュース自体に、コンテンツ制作の実績があるわけでもない。
とにかく、取材を申し込んだ先に片っ端から断られた。
「ネット媒体の個別取材は受けられない」。そんな反応もまだ多かった。
そんな中、チャンスをくれたのは、昔からご縁がある取材先だった。
ある日、サッカー選手を手掛けるマネジメント事務所の社長である、秋山祐輔さんから電話があった。
「LINEニュースでなんかやるんでしょ?アツトなら、インタビュー取材を受けさせてもらえますよ」
あの内田篤人さんのことだった。
「そのかわり、5日後の月曜日しかあいてないんですよね。もちろん、ベルリンで」
あわてて社内調整をして、僕はドイツに飛んだ。
LINEニュース初のオリジナルコンテンツ企画「LINEニュースプレミアム」は、こうしてスタートした。
企画を軌道に乗せるまでには、さらに紆余曲折があった。
LINEニュースでは「長い記事は読まれない」というのが定説だった。
提携媒体さんの記事も、そのまま転載するのではなく、かなり短く要約して掲載していた。
それに対し、LINEニュースプレミアムの記事は、数千文字の長編だった。
プラットフォーム上では、読者と記事の題材は一期一会。
だから、1本の記事で強いインパクトを与え切らないと、本当の意味での「読者の態度変容」は生まれない。そういう考えから、長編の形をとった。
数本を掲載したところで、社内から「もうやめさせた方がいい」という意見が出てきた。
ちょうど、元日本代表監督のイビチャ・オシムさんと浦和レッズ・阿部勇樹選手の再会の機会をつくらせてもらう、という企画を準備しているところだった。
オシムさんが住むボスニア・ヘルツェゴヴィナまで片道26時間。
阿部選手には5日間もスケジュールをとってもらって、いよいよ実施というところで、上長から「できれば中止にしてほしい」と言われた。
あらゆる関係先に、無理な調整をしてもらった。
だから、いまさら中止にはできない。そう伝えた。
さすがにそこは理解してもらえた。なんとか実施の運びとなった。
でも間違いなく、次はない。僕はそう感じていた。
そんな流れが、記事公開後に変わった。
記事の内容が、とても大きな反響を呼んだからだ。
Twitterのトレンドの上位には「イビチャ・オシム」「阿部勇樹」が同時に並んだ。
反響が大きかった企画の例として、のちにLINE株式会社の事業戦略発表会「LINE CONFERENCE 2018」でも言及された。「企画の即中止」という方針も、自然と立ち消えになった。
現地でのロケが終わった後、別れ際にオシムさんは「いい夜だった。企画してくれてありがとう」と言ってくれていた。
お礼を言うべきはこちらだ。本当に素晴らしい取材をさせていただいた。
それから僕は「LINEニュースプレミアム」の記事を50本ほど書いた。
データを使っての検証も重ねたことで、長編でも読まれるロジックのようなものがある程度見えてきた。
そこで、同じようなLINEニュースでの長編記事企画を、提携媒体の皆さんにご提案する形に切り替えた。
「もともとお持ちの特別な取材成果を、LINEニュースに最適化した形で発信してみませんか。きっと『取材の力』というものを、より多くのユーザーに知ってもらう機会になると思うんです」
そう呼びかけさせていただいた。
多くの媒体の皆さんが、賛同をしてくださった。
LINEのユーザー層に合わせた接点の作り方、スマホ上で記事面の見せ方…。
議論を重ねて書き上げられた特別な記事には、毎回のように「プレミアム」以上の反響が集まった。
その数は、僕がお手伝いをしただけでも200本ほどになった。
旧知の皆さんに助けていただいたことは、ほかにもたくさんある。
Jリーグの広報担当・吉田国夫さんは「プレミアム」のために、久保竜彦さんとジーコさんの12年ぶりの再会を演出してくださった。
この様子を書いた記事には、特別に大きな反響があった。
「プレミアム」から派生する形で、スポーツの試合をライブ配信で解説する、というアイデアも生まれた。これには企画段階から、元日本代表DFの岩政大樹さんが協力してくれた。
サッカー日本代表の試合をテレビ中継で、あるいは現地で観戦しながら、スマホで岩政さんのリアルタイム解説動画を楽しむ。そんな配信企画は、多い時には数万人に視聴いただいた。
浦和レッズさんはプロスポーツクラブとして初めて、LINEメッセージにニュース一覧が届く「アカウントメディア」に参画くださった。
さらには、スタジアム観戦の際に自席からLINEアプリで食事が注文できる仕組みも、先んじて導入いただいた。
どちらの企画も、僕がスポーツ紙の記者をしていたころに広報担当をされていた高野和也さんとのご縁で実現した。
今はメジャーリーグでプレーする秋山翔吾選手は「カンボジアで野球教室をしてみる」という途方もないアイデアに賛同してくれた。
前例を見ないような企画だったが、西武ライオンズの球団スタッフの皆さんが全面的に協力してくださったおかげで形になった。これも、番記者をさせていただいていたご縁があってこそ、だった。
現地でのロケ中に秋山選手がつぶやいた「この記事をカンボジアの人にも読んでもらえたらいいのに」という言葉は、次の企画につながった。
2020年1月。乃木坂46の台湾公演の様子を密着取材させてもらった。
「プレミアム」の記事として仕上げつつ、それを中国語に翻訳。LINEが台湾でも普及していることを生かして、台湾でも記事を配信した。
この企画は、現地でもかなりのPVを稼いだそうだ。
市場の大きさが日本のだいたい5分の1ということを考えると、日本における100万PV以上の反響、という見立てを聞かせてもらった。
そうやって僕は、LINEで4年間働いてきた。
教育関係者の方のインタビュー取材を終えた後、僕は栗山選手にLINEを送った。
「また助けていただきました」
その日の試合が終わってすぐに、返信があった。
「そうなんですね!偶然にもお役に立ててうれしいです!」
お役に立ててうれしい、か…。いかにも栗山選手らしいと感じた。
こういう感じで、この人は社内の食事会にまで顔を出してくれたんだよな。
懐かしく思い返しながら、僕はメッセージを返した。
「今日を最終出社日として、LINEを退社することになります。4年間、勤め上げることができたのは、栗山さんのおかげです。本当にありがとうございました」
◇ ◇ ◇
1か月ほど個人的な活動をさせていただいてから、僕は次の仕事に移ることになる。
4年前、LINEに転職した当時は、畑違いの業界に移る不安で胃が痛かった。だが、今回は平気だ。僕にはこの4年間で得た確信がある。
苦しい時こそ。大事な時こそ。
これまでのご縁が、きっと自分を救ってくれる。誇りに思ってやってきた仕事が、必ず自分を助けてくれる。
LINEでの4年間で、新しいご縁にも恵まれてきた。
誇りに思える仕事も重ねてこられた。
どこに行っても、人はひとりではない。丸腰でもない。
今は強く、そう思う。
新しいチャレンジをさせてもらうのが、今から本当に楽しみだ。
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