2006年のこと(冬)
↑ 二人で引っ越した新居の屋上から、もう1年経った冬の景色。
この頃は、まだ富士山が彼方に見えていた。
2019年7月8日月曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開18日前。
そんなことで、ちゃんと紙も出し、共同生活が始まった。
それなりに睦み合い、それなりに放っておき、
それなりに諍ったりもしながら、まあまあの距離感だったと思う。
雅子はどう思っていただろう。
思い返せば、その時期はまだ、
僕はあまり気配りができていた方では無かったかもしれない。
これからどんな生活を送る?
互いの将来に枠をつけて決め込むのは、結婚したとしてもなかなかキツい。
何とない会話の端々に、自分の希望や思いを込めて少しずつ交換する。
例えば住処。
僕は賃貸で良かった。というより、あまり頓着していなかった。
なのに、何故。
何故、僕はモデルルームにいるんだろう。
そんな風に我に返ることがしばしばあった。
振り返ると、雅子がまた賢い犬のように、ふんふんとキッチンに目を近づけて観察し、壁紙を撫で、腕を広げたり背伸びしたりして、部屋の作りを確かめている。……正直まいった。持ち家と賃貸どっちが得だなんて、大して勉強しているわけでもなかったが、住宅ローンといういかにも重そうなものに縛られるのは気が進まなかった。
そんな中、二人で駅前のスーパーから生鮮食品をそこそこの量ぶら下げて帰る途中。
「……あ、大介」
「なに」
「あれ。モデルルーム」
こんな近くにあったのか。4〜5軒見てハマった物件がなく「しばらくいいか」なんて言ってた矢先のことだった。その時の自宅から歩いてほんの3分くらいのところに、マンションのモデルルームができていたのだ。
そこは、今まで見たモデルルームの中で、広さはともかく、一番開放感があるように思えた。何故だろう?営業さんに聞いてみたら「天井高じゃないですかね」。モデルルームの部屋は、地下1階に掘り込んである部屋を模しているとのことだった。しかし掃出し窓の先は庭になっている。聞けば、城のお堀のようにマンションの周囲を掘り込んでいて、そこが庭になっている。テラコッタぽいタイルが敷かれ、幅は部屋の全幅分に奥行きもそこそこある、なかなかの広さの庭というかテラスになっているのだ。外光ももちろん入る。
その様をイメージ図や模型とモデルルームの中を見比べながら想像していた雅子の表情が「ぱぁぁぁ〜〜〜」となってきた。マズい。
「高層とか10何階とかは窓閉め切りだからちょっと」「タワマンの下の方ってのもちょっと」「一戸建てはお掃除が大変そうだからちょっと」などなど言う雅子の好みのうるささに、しばらくは逃げていられると思っていたのが、思いの外早く危機がやってきた。
「では、図面をお持ちしますね〜〜」と営業さんが軽い足取りでファイルを取りに行く。いかん。それを開いてみると、全部屋に「済」のハンコが押してある。「ああ、これは残念ですね…失礼いたしました」おし、危機一髪。「それでは……第二期が始まったところですので、こちらはいかがでしょう」と営業さんがイメージ図を指さしたのが、マンションの屋上だった。「こちら各住戸の上が、専用的にご使用になれる屋上となっておりまして」
屋上。いいじゃん。
あっいかんいかん、雅子は日焼けがアレだから屋上は、と振り返ると、
「ぱあああああ〜〜〜〜」
という表情になっていた。もうダメだ。ガックリした。
いくらすんだちくしょう。
営業さんに押し込まれるままに営業者に乗り込み、ほんの数分走る。そこに、建設中のマンションがあった。今住んでいるところからも思いの外近い。聞けば最寄り駅は世田谷線。紙を出しに行ったときにトコトコ乗った和める電車だ。
雅子はウキウキで、僕は心千々に乱れて帰宅した。雅子が食事を用意している傍らで、うーんどうすんねんマジで、と考えながら、ローンだ金利だなど何も勉強してこず、泥縄でインターネットを調べ始めた。そんなときに、リビングのテレビで「アド街ック天国」が始まった。今日のお題は。
「世田谷線タウン」!
二人で爆笑するしかなかった。
なんて偶然なんだ。
三軒茶屋から始まって、下高井戸まで。トコトコ走る電車の周りに、田舎でも郊外でも都会でもない、雅子と僕に合ったような、ちょうど良いスケールと距離感の和める町並みが紹介されて、雅子は期待で目がキラキラ、僕は苦笑いするしかなかった。「もーしょうがねえか……」と思い、次の日には、会社の厚生部に住宅ローンの相談に向かった。
しかし何というか、元々二人で住み始めたアパートと、新居にするマンションと、双方の部屋は間取りや感じがよく似ていた。玄関からはトイレとバスルームを経て直ぐリビング。家族が玄関から自分の部屋にこもってリビングに顔を出さない、ということが無い。これが良かった。南向きで風通しも日当たりも良い。二人で暮らし始めたときから、イメージがそこそこ仕上がっていたのかもしれない。
マンションが春先に仕上がるまでの間、ローンだなんだと準備を進める。家具も鍋釜も互いのものを持ち寄れば良い。デカい買い物なんだから、できるだけ有るモノで暮らす、そこは二人に異論はなかった。そんな冬のある日、雅子の実家から車で帰る最中、ふとしたことから「自分の身一本でやってる雅子さんて、正直すごいと思うわ」と告げた。合わせて、雅子の周囲で仕事するカメラマンもスタイリストもライターも、みな自分の腕一本で食っているのをすごいと思うと。しかし雅子はこう言った。
「……何言ってんの。リーマン最高じゃん。
大介は、わたしを養うんだからね」。
「ん。そうか。そうだ」と返事して、ステアリングを両手で持ち直した。
気圧されてる場合じゃない。しっかりしろ。
ちょっとアクセルを強めに踏んで、暮れる高速に乗った。