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桜餅

 大人になってから、大人になることとはどんなことなのだろうかと考えた時、なかなか思いつかないことが多い。
 子供の頃は、大人になるということは去年よりも背が伸びたとか、知らなかった漢字が書けるようになったとか、逆上がりができるようになったとか、二重跳びができるようになったとか、それは色々なことで大人になったことを実感できたものだが、大人になってしまった今となっては、そうはいかない。
 しかし、枯れて行く楽しみとでも言うのだろうか、子供の頃は苦手だった食べ物が、知らず知らずのうちに食べられるようになったりした時は、やはりこれが生きてる甲斐というのか、大人になったということなのかと少なからず思ったりする。

 三月三日といえばひな祭りである。日本女性たちのお祭りである。これに欠かせないのが桜餅である。
 私も女性たちのおこぼれに預かり、子供の頃、桜餅を振る舞われたことがあった。幼い頃から「におい」に敏感だった私は、あの何とも言えない、独特な桜の匂いがどうしても好きになれなかった。
 せっかく私のためにと、主役の女子たちから気を利かせて一つばかり、私のためにとっておいてくれたそれを、祭りの後、膳にそのまま手つけずに置いておくわけにもいかず、私は息を吐きながら桜餅を口に含んだ。何とも言えない匂いが私の口の中に広がり、鼻の穴から抜けていった。急いで緑茶を飲み、桜餅を飲み下した。
 こんなふうに書いては、なんだか桜餅を振る舞ってくれた相手にも桜餅にも非常に申し訳ないのだが、私は桜餅が好きではなかった。

 大人になってから、母が自分で食べようと桜餅を家族の人数分買ってきていたが、私は食べることはなかった。それから、ぼやぼやしている間に私はすっかり大人になり、また今年も桜餅を「あなたの分よ」と母が一つだけ私にとっておいた。
 夕食を食べ終えてからデザートとして、久しぶりに桜餅を食べた。相変わらず、桜の匂いが鼻についたが、子供の頃よりこの桜の匂いが嫌いではないのに気がついた。それと同時に、いつも思うことだったのだが、この塩漬けされた桜の葉は食べるべきか食べざるべきか、いつも判断に迷ったものだった。今はありがたいことに、すぐにどうすれば良いか、問題を解決してくれるスマートフォンというものがあるから、私はそれで調べてみた。すると、それはどちらでも間違いではなかった。食べて腹を壊すこともない、好きでなければ食べなければいい、そんなことが書かれてあった。
 私は思い切って葉をつけたまま、桜餅を口にした。桜の葉がパリパリと気持ちのいい音がした次の瞬間、桜の葉から少しの塩気が口の中に広がり、こしあんとピンクの皮の甘みを引き立てるように、うまい具合に口の中で一体となった。
 桜の葉の塩漬けがこんなにも美味しいものだったのかと、私は生まれて初めて思った。
 私はまた少し大人になったと思った。なんてことはない、桜餅を食べられるようになったというだけの話である。しかし、その長い人生で何でも美味しく食べることができる時期は、残念なことにそう長くはないのである。

 あれも食べたい、これも食べたいと、好きなだけたらふく食べられることができるのは、せいぜい二十代の頃までである。
 何でも好きなだけ食べられるように、お金の自由が利くようになった頃には残念ながら、人はもうそれほど若くはないのである。
 あれも嫌い、これも嫌いではなく、一口でもいいから食べられるうちに、色々なものを食べておきたいと、桜餅を食べて思ったのだった。
 もし、私に娘でもいて、家にお雛様が飾ってあったら、きっとお内裏様もお雛様も、私をその肌よりも白い目で、呆れた顔をして睨みつけたことだろう。

すっかり大人になった今、
桜餅食べられるようになったとて誉めてくれる人も居やせぬ 
である。

 



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