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学校の怪談

俺が6年間を過ごした小学校は当時で120年を超える歴史があった。



山形県の立川町(現 庄内町)にある清川小学校。
新選組の隠れた重要人物、清河八郎の生まれ故郷にある小規模な小学校だった。
歴史的にもかなり重要文化財的な校舎だった。

にも関わらず老朽化、維持費をケチって取り壊してしまった。
これに関しては一生恨んでるけどバカな自治体を止める人間すら居なくなった廃れた町になってたのは事実…
現に俺も地元を出た人間。


まぁそれは置いといて…


古い歴史故に在学当時も色々と当時の名残りが至る所に残っていた。
俺達が普段過ごしていたのが新校舎、二階建てで二階部分の長い廊下沿いに1年生から6年生までの教室が並んでいた。
一階部分には理科室、保健室、図書室、職員室、放送室などが並んでいた。

3年生と4年生の教室の間には階段があって何故かその踊り場の部分に1部屋個室があった。
そこは常に施錠されていて普段は誰も入らない部屋。
たまに掃除で入るくらいだった。
何の部屋かというと…


昭和天皇が泊まった部屋と言われていた。
作りはバロック調で記念品や歴代の天皇皇后両陛下の写真が飾られて居た。
電気も薄暗いシャンデリアしか無く俺達にとってはちょっと近寄り難い、怖い存在だった。
当時は特に違和感も感じて無かったけど今思えばかなり異質だったと思う。

怖い存在という部屋は他にもあった。
ちょうどその下の階にある和室も普段入らない特別な部屋で日本人形、いわゆるわらべ人形がガラスケースに入って飾られていた。
在り来りだが髪の毛が伸びる、夜中に勝手に動くなどという噂があった。
伸びてたかどうかは分からないけどやっぱり気味悪い部屋だった。
雛祭りに雛人形を飾ってそこでお茶と和菓子を食うというイベントで使う以外ではほぼ入る事は無かった。




そして1番怖い存在だったのが…





旧校舎。




親世代がギリギリ使っていたという旧校舎が体育館を挟んで反対側にあった。
ほぼ当時のまま残されてたけど二階部分の部屋は資料館みたいになっていた。
昔の農機具、駄菓子屋のショーケース、お金取れるくらいの資料が乱雑に展示されていた。


唯一使う部屋があった。
20畳くらいの大広間。
そこは集会や来賓を招いての授業だったり特別な用途でよく使う部屋だった。
正直、置いてある物や造り自体の古さが小学生の俺たちにとってはかなり不気味だった。
そして実際に不可解な体験もしている。
ある日、戦争の歴史を学ぶ授業で実際に戦争を経験した爺さんを招いて当時の話しを語ってもらうという授業があった。
爺さんの話を聞いてる時だった。
急に入口の扉が開いた。

もちろん誰も来ていない。
木製の引き戸で風や振動なんかじゃ開閉はしない。
建付けも悪く重い戸だったため少々の歪みくらいではビクともしない。
何度閉めてもまた開く。
気味が悪くなって怯える生徒も居た。


そして決定的だった出来事があった。


ある日の放課後、生徒達が1人、2人と帰ってく中、スクールバスを待ってる組がバスが遅れてるという事で数人残っていた。
俺はスクールバスのエリアからも洩れて居たので毎日母親が送り迎えしてくれてたんだけどその日は母親も迎えに来るのが遅かった。

いつも帰ってる時間にまだ学校に残ってたせいかみんな何処か普段と違う雰囲気にはしゃいでいた。
同級生の女の子達が体育館に向かう。
体育館で遊ぶのかなぁ?と思い俺も男友達と後を追った。

少し遅れて体育館に向かうと先に行った女の子達が顔面蒼白で引き返して来た。
1人は泣いている。


「なした?」(どうした?)


「ボールが!ボールが浮いてる!!」


「は?どういう事?」


慌てながら話す女子を横目に急いで体育館に向かった。

すると…



体育館の奥の方(旧校舎へ続く廊下)でバスケットボールが宙に浮いていてそのまま廊下に落ちた。
その瞬間を目の当たりにした。

誰かがボールを投げたのかと思ったけど俺ら以外誰も居なかったし一瞬の出来事とは言え不自然過ぎる滞空時間だった。
俺が見た瞬間は恐らく2~3秒の話しだったけど女子が目撃して引き返して来た時間を入れて考えると暫く浮いていたのかもしれない。

あまりに非現実的な光景に驚きと恐怖が入り交じった何とも言えない感覚だった。
後から来た友達は実際に見て無いから俺たちが嘘を付いてると思ってバカにしてきた。
けど紛れもなくはっきりこの目で見た。


未だにあれがなんだったのか分からないけど色んな曰くのある小学校だった故にそういう事なんだろうなって妙に腑に落ちた。
旧校舎も新校舎も無くなった今それがなんだったのか知る術は無い…

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