Daisuke

Daisuke 自称エロックヴォーカリスト 山形生まれ 【バンド】黒蜥蜴KURO+KA…

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Daisuke 自称エロックヴォーカリスト 山形生まれ 【バンド】黒蜥蜴KURO+KAGE、るなしぃ(LUNA SEAコピバン)THE HIGH GRIP(サポートベース) 【その他】 DJ 煩悩108

最近の記事

山形の心霊スポット(油戸トンネル)

暑ちぃんでゾゾっとする話でもするか… 俺の地元、山形には数多くの心霊スポットが存在する。 全国的に有名なスポット、地元民しか知らない様なスポット、今日は全国的に有名な「油戸トンネル」について実際の経験談を交えつつ話そうと思う。 油戸トンネルと言っても地元民とそれ以外の心霊スポットマニアの間では若干認識が違う。 と言うのもこれがかなりややこしくて油戸トンネルにも油戸トンネルと旧油戸トンネルの2つが存在する。 現在使われてる油戸トンネルは県道50号沿いにあるトンネルの事。 旧

    • シャ〇中兄ちゃん

      昔住んでたアパートの隣りのアパートにはユニークな奴がいっぱい居た。 ロシア人、創〇学会員、ゲイ、引きこもり… 学会員の奴はよく行くラーメン屋で働いてて地元も一緒ってのが判明してからよく挨拶はしてた。 ある日、選挙の時期に知らん奴数人引き連れて家を訪ねて来たので何事かと思ったらそういう事だった。 変わってる奴だったが悪い人ではなかったのでよく喋ってた。 いつの間にかラーメン屋クビになって引越してったけど。(噂では客を勧誘してたらしい) 近所に24時間営業のスーパーがあって俺

      • 生い立ち〜ヤンキー高卒業から上京〜

        高校を卒業して晴れて俺も東京へ上京出来る。 そう思っていた。 しかし現実はそう甘くない。学生時代に貯めた貯金だけでは上京資金に程足りない。 1年程延期させて俺は地元で働いた。 車の免許を取るために高3の秋に全てのバイトを辞めてたけどその時バイトしてたレストランに頼み込んで出戻りで働かせてもらったのとシルバーアクセサリーの路面店のバイトを掛け持ちした。 当時山形の最低時給が610円とかだった中、700円の時給は高額な方だった。 けど掛け持ちしないと稼げなかった。 実家に生活

        • 新プロジェクト始動とアートワークの話し

          先日発表した通りこの度、THE SOUND BEE HDのギタリスト裕-Yuu-さんと新プロジェクトのユニットVoynich Manuscript(ヴォイニッチマニュスクリプト)を始動させました。 ライブなどの予定はまだ未定ですが新たな挑戦とお互いクリエイター的な部分でも音源やアートワークなどに拘った作品を発表してく予定です。 てな訳で今回ジャケットデザインなどのアートワークは私Dさんが担当しております。 MVの編集などはギターの裕-Yuu-さんが。 まぁ全て自分達で創り

        山形の心霊スポット(油戸トンネル)

          学校の怪談

          俺が6年間を過ごした小学校は当時で120年を超える歴史があった。 山形県の立川町(現 庄内町)にある清川小学校。 新選組の隠れた重要人物、清河八郎の生まれ故郷にある小規模な小学校だった。 歴史的にもかなり重要文化財的な校舎だった。 にも関わらず老朽化、維持費をケチって取り壊してしまった。 これに関しては一生恨んでるけどバカな自治体を止める人間すら居なくなった廃れた町になってたのは事実… 現に俺も地元を出た人間。 まぁそれは置いといて… 古い歴史故に在学当時も色々と当時

          学校の怪談

          最期の花火

          夏が近付くと思い出す事がある。 これまでもSNSなどで言って来たけど改めて、俺が子供の頃の話し。 俺はよく母方のおばあちゃん家に遊びに行ってた。 実家から車で30分くらいの距離で周りが山と川、国道沿いで路線もある騒がしい環境の実家とは違って田んぼに囲まれた長閑な集落だった。 ばあちゃんとじいちゃんは畑仕事をしていて小さい頃から俺も土いじりを手伝ったりした。 少し離れた所が最上川の河口だったのでデカい堤防があってその周りに田んぼや畑がたくさんあった。 夏になると酒田市のデカ

          最期の花火

          山と爺ちゃんとマリファナと

          うちの爺さんは81歳で死んだ。 どんな爺さんだったか? 典型的な昭和のクソジジイだった。 亭主関白バリバリ、煙草はチェーンスモーク、ニコチン中毒のパチンコ中毒。 おまけに酒を煽っては暴れてた。 「クソジジイ!ぶっ殺すぞ!」 思春期の俺が何度言ったセリフか。 親父との関係も悪かった。 物心付いた頃から親父と爺さんはトゲトゲしい言葉のやり取りで、取っ組み合いの喧嘩になる事もあった。 何故そんな険悪なのか? 親父は3人兄弟の真ん中で長男は早々に実家を離れ東京へ、下の弟も親父よ

          山と爺ちゃんとマリファナと

          ヤクザマンションとムショ上がりのオッサン

          2006年の春、俺は上京した。 夢も希望も気合いもあった。 無かったのは金だけ。 高校出てすぐ上京する予定だったが上京資金が足りなかった。 時給700円、当時の山形県のアルバイトの時給にしてはいい方だったけどその稼ぎで上京資金貯めるのは苦労した。 1年弱でやっと30万くらい貯まったので1ルーム5万円の部屋を契約した。 初期費用諸々で20万くらい、そこから家財道具など買い揃えて新生活がスタートした時点で手元には6万くらいしか無かった。 けどその当時はまだ派遣会社が多くて仕事

          ヤクザマンションとムショ上がりのオッサン

          ある日、山の中。熊さんに…

          出会った〜♪ なんて愉快な歌の様にはいかないのが現実… というお話し。 あれは小学校4年生くらいだったか。 山形の田舎に生まれた俺は日常的に遊んでいたフィールドが山、川、海だった。 生まれ育った家の周りは山に囲まれた最上川の中流域地点。 とは言え、観光地だったので両隣りは旅館とホテル。 ちょっと歩けばドライブインが2箇所。 舟下りで有名な戸沢村という場所で行楽シーズンは人で賑わっていた。 国道沿いというのもあり常に車が行き来してるし家の裏には最上川と白糸の滝という日本の滝

          ある日、山の中。熊さんに…

          生い立ち~暗黒時代からヤンキー高校へ~

          暗黒の中学生活だったけど学校生活がクソだっただけで学校以外では普通だった。 故に昔からの仲間や先輩達は俺の学校での振舞いに違和感を感じる人が多かった。 なんでお前学校だと喋んないの?お前そんなキャラじゃねぇじゃん。大丈夫か? そんな声をよくかけられた。 俺もわかんねぇよ…としか答えられなかった。 普段の俺を知らない、所謂中学で出会った奴らからは大人しい、暗い子に見えて居ただろうしそのすかした態度が気に食わない連中からはイジメにもあった。 昔からの付き合いの先輩からはお前イ

          生い立ち~暗黒時代からヤンキー高校へ~

          生い立ち ~幼少期から暗黒時代~

          時はバブル真っ只中、日本の経済は希望に満ちていたであろう頃。後に泡沫の夢であった事など知る由もない、浮かれまくっていた日本のとある地に生まれた男が居た。 Daisuke a.k.a 佐藤大介 つまりこの俺だ。 山形の雪深い片田舎。 最上川の真横、川のせせらぎ、白糸の滝の打ち付ける音、舟下りの船頭が唄う民謡を聞きながら育ったロックとは無縁の幼少期。 トラック乗りの親父は演歌好き、トラック野郎の親父はよくデコトラのイベントに連れてってくれた。 と言うより自分が行きたかっただ

          生い立ち ~幼少期から暗黒時代~

          ブログ的なアレで…

          noteっての初めてみました。 アメブロも数年更新してないので続くかわかりませんが書きたいこと書きます。多分。メイビー。 Twitterばかりやってますがなんか思い出話とか際どい話とかアレな話とか、まぁ気ままに更新しますよ。 アレな話とかは有料記事とかにするかもなんで物好きな方は読んでください。 逆にこんな話し聞きたいとかあれば言ってください。 NG無しで話します。多分…メイビー… いや、話せる範囲で。 まぁそんな感じで(どんな感じ) よろしく(๑˙³˙)و

          ブログ的なアレで…