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ヤクザマンションとムショ上がりのオッサン

2006年の春、俺は上京した。
夢も希望も気合いもあった。
無かったのは金だけ。

高校出てすぐ上京する予定だったが上京資金が足りなかった。
時給700円、当時の山形県のアルバイトの時給にしてはいい方だったけどその稼ぎで上京資金貯めるのは苦労した。
1年弱でやっと30万くらい貯まったので1ルーム5万円の部屋を契約した。
初期費用諸々で20万くらい、そこから家財道具など買い揃えて新生活がスタートした時点で手元には6万くらいしか無かった。

けどその当時はまだ派遣会社が多くて仕事さえ選ばなければその日暮らしが全然出来た。
登録して行きたい仕事だけ、行きたい日だけ行けば手取で金が貰えた。
それで何とか生きては行ける。
日給も当時は結構良くて1万円の案件もいっぱいあった。
力仕事ばかりかと思ったらそうでもなかった。
勿論、力仕事系の方が多い。
現場の資材運び、オフィス移転、引越し、解体現場の雑用。
ウシジマくんでしか見た事無い人も居るだろうけどマジでこき使われる現場仕事も多い。

色んな派遣会社に登録しては案件見て極力楽そうな仕事選んで行ってた。
1番続いたのが某コインパーキングでポイントカード作らせる仕事。
毎朝五反田の事務所に行ってその日の現場を振り当てられる。
遠い現場だと横浜や埼玉、直行直帰が出来ないので現場の振り分けは運次第。
一日中コインパーキングに居て入って来る車に声掛けてポイントカードを作って貰うようお願いをする。
それで1日1万円貰えたからまぁ楽なもんだ。
ただクソほどつまらなかった。
広いとこだと2人1組で回れるから気が合う奴と一緒だったら退屈しなかったけど1人の現場だとずっと孤独。
金も無いから外食は抑えて毎回作って来た弁当を近くの公園とか適当なベンチ見つけてそこで食ってた。
他の案件が無いか派遣会社に相談に行った。
その派遣会社は立ち上げたばかりの小さい会社で社員と登録スタッフとの距離も近かった。
新宿の事務所にお金を取りに行くといつも社員の人と雑談をしたり時には飯も奢ってくれたり飲みに連れてってくれたり、東京に来て仲間とか知り合いみたいなのが無かった俺は居心地が良かった。
当時の派遣会社はそれこそ登録スタッフを奴隷の様に扱う会社が殆どでクソみたいな奴等しか居ない印象だった。だから余計この会社は凄くいい人達ばかりで一緒に過ごす時間が楽しかった。

ある日いつものように事務所で仕事の相談してるとアンケート調査の案件を振られた。
某コピー機メーカーの案件でコンビニでコピー機を使った人にアンケートを取ってお礼にボールペンを渡す。
ただそれだけで日給1万円。
まぁつまらないのに変わりは無いがポイントカードって言葉聞くだけで、黄色い看板見るだけでイラッとしてたので気分転換にもちょうどいいと思ってその仕事を引き受けた。


場所は新宿の歌舞伎町。
事務所からもほど近いし帰りにお金受け取るのも楽でいいやぁ〜なんて思っていた。
前日に宅配便で調査の用紙とノベルティのボールペン、しょぼいナイロン製のスタジャンが届いた。
詳細が載ったメールも届いて場所も記されていた。
歌舞伎町のローソン、まぁ行けば分かんだろってノリで当日集合時間ギリギリで向かった。
上京したて、土地勘も無い歌舞伎町で彷徨いローソンを探すもいっぱいあってどの店舗か分からない。
やっとの思いで辿り着いたローソンは違うローソンだった。
先方に連絡し、誘導してもらいやっと辿り着いた。


「すみません、場所迷ってしまいました。」


「9:00の集合ですよね?」

「すみません、土地勘無くて…」


「とりあえず準備してください、説明するんで。あ、あと髪の色ダメですからねそれ。言ってたのになぁ…」


俺が悪いのは100も承知だけど先方の態度にかなりムカついていた。
適当に説明を終えるとそいつは去って行った。
店内には居れないので外で様子を伺って出てきたところを声かけろとの事だった。
コピー機を利用した客がコンビニを出たところいきなり声をかけられたら警戒もするし急いでるんでって軽くあしらわれる。
何だよクソかったりぃじゃねぇか!と思いながら仕事を続けてたら少し様子がおかしい事に気付く。

歌舞伎町という場所柄、いくら上京したての田舎モンでもなんとなくどんな場所かは想像していた。
ちょうどその頃やっていたゲーム、龍が如くの世界観は盛ってる訳でもなんでも無く当時の歌舞伎町そのものだった。
にしても先程から行き交う人々の人種がことごとく普通じゃない。
スーツを着たオジサンの後ろにセットアップジャージの厳つい2人組。
デジャブかと思うほど同じ光景が繰り返す。
黒塗りの高級車が路駐すると狙ってたかのように何処からともなく警察が現われて職質をしてる。
そう、俺がアンケート調査をしていた場所はかの有名な通称ヤクザマンションの前。
殺し屋1のモデルになってたりアウトローな世界に興味がある人なら1度は聞いた事があるだろう。
俺は当時何も知らなくて行き交う人達がカタギでは無いという現実をただ受け入れるしか無かった。

当時、暴排法だなんだで警察と暴力団の間はかなりピリついていた時期、今でこそそういった反社の人達は3人以上で出歩いてはいけないとか色々ルールがあるけど当時はまだバリバリその辺をうろついてた。
そんな時期だったからヤクザも警戒してるし一日中マンションの前に突っ立ってる俺を気にしない筈がない。
何度か通り過ぎた人が気にかけている。
いわゆる叔父貴であろう人が声をかけて来た。


「お兄ちゃん何やってんだこんなところで?」

「あ、アンケート調査のバイトで…」

そう説明すると意外と優しく接してくれた。

「そうか、大変だなぁ。頑張れよ!」


そんな感じで何人か俺に声を掛けてくる人が居た。
気さくな感じで声を掛けて来る人ばかりで中には世間話までしてくる人も居た。


「お兄ちゃん国はどこだ?」


「あ、あの東北の方です。」


「東北のどこだ?」


「あ、いや、あの青森です。」


何故かそこで変な嘘を付いてしまった。
別に出身地を誤魔化した所でなんも無いんだけどテンパったのか微妙な嘘を付いてしまった。

「やっぱりな!青森か!青森っぽいもんな。青森のどこだ?」


結構掘り下げてくんじゃん…
と思いつつ適当に浮かんだ地名を答えた。


「八戸です。」


「八戸か!お前もその辺だったよな?」


そう舎弟に話しを振った。


…やべぇ…


しかし舎弟は軽く頷いただけで早くこの場を切り上げたい感じだった。
そんなとくに中身の無い会話をしてマンションの中へ消えてゆく。


俺は早く終わんねぇかなぁって思いながら時間が過ぎるのを待った。
仕事どころじゃない。てかなんだこのクソみてぇな仕事は!と適当に済ませた。
次の日も同じ現場…
仕事は案の定誰からも相手にされない。
もう声を掛けるのすら諦めてただ時間が過ぎるのを待った。
相変わらず行き交う人々はソッチ系の方々、隣の喫茶店に出入りするヤクザ、コンビニで謎の小包を梱包してるヤクザ、黒塗りの高級車を横付けし警察と小競り合いをするヤクザ、次から次へとマンションに出入りするヤクザ。


ここはヤクザマンションかよっ!


そう心の中でつっこんだけど正にヤクザマンションだったとはこの時は知らず。
するとまた昨日の世間話をした叔父貴が声を掛けてきた。


「おぅまだやってんのか?」


「あ、はい。3日間くらいはここなんです…」


「そうか、お前ホントにバイトか?」


「はい。アンケート調査のバイトです。これがアンケート用紙で…」


変に疑われるのもめんどくさいと思いアンケート用紙を見せた。
その場はそれで済んだけどその後暫くするとあの青森出身の舎弟だけ戻って来た。


「オイっ!お前警察じゃねぇだろうなぁ?」


金髪ロン毛の警察が何処にいんだよ!と心の中で思いつつ否定すると執拗にあれこれ聞いて来る。
遂にはマンションの中に連れてかれそうになったので急いでその場を離れた。
派遣会社に電話を入れて状況を説明するとすぐ戻って来るように言われた。

「いや、マジあそこヤバいすよ!」


「大変だったね(笑)」


いや、笑い事じゃねぇし!と思いながらもちゃんと日給分はくれたからまぁ良かったんだけど…
それから数年経ってあそこがそういう場所だと知った。
ルポライターの鈴木智彦さんの著者「潜入ルポ ヤクザの修羅場」に実際そこに住んでた時の話が詳しく載ってるので興味ある方は是非!


『ムショ上がりのオッサン達』

それから程なくして夏を迎えようとしてた頃、地元のツレから連絡があった。
盆過ぎ地元の仲間でBBQするぞ!
上京してこっちで出会った仲間なんて居なかった俺は同じく上京組の地元の仲間としょっちゅう遊んでた。
そいつらは俺と違って就職だったり進学だったりで上京してたから金もあったし盆正月は地元に帰る。そんくらいの余裕があるやつばかりだった。
俺はただ1人東京で夏を過ごすのかと想像すると堪らなく辛かった。
ホームシックとはまた違う感情、多分俺だけハブられてみんな楽しい夏を地元で過ごすのか…って疎外感と孤独感だったのかも。

肝心のバンド活動もメンバー募集を出したり地元居た頃に出会った音楽の先輩、俺の音楽の師匠のライブやレコーディングに顔出したり行動はしてたけどなかなか上手くは行ってなかった。
そんな事もあり1度地元に帰省して気持ちをリセットしたいと言うか、地元の空気を吸わないと東京という狂った街の圧に押し潰されて窒息しそうだった。


よし、夏は絶対帰るぞ!!


そう心に決め現場の安定した仕事を探した。
居心地の良かった派遣会社は仕事の現場が安定しなく、案件も毎日ある訳じゃなかった。
その頃体たらくな生活になっていて家賃分稼いだら後は気分で仕事へ行くみたいなのを繰り返してた。
そんなんだから貯金も出来てないし遂には家賃も滞納し始めていた。
地元に帰るには1番安い夜行バスで片道¥8,000の往復で¥16,000、地元で遊ぶ金¥30,000くらい、それプラス滞納した家賃¥50,000の2ヶ月分、水道、光熱費…

約1ヶ月弱でそれくらい稼がないといけない。
俺はタウンワークやらネットやらですぐに稼げそうなバイトを探した。
夜勤で日当¥8,000の倉庫のバイトがあった。
早速応募すると面談したいということで埼玉県の朝霞台にある事務所に行った。
どうやらここも派遣会社で倉庫作業の派遣や建設現場への派遣をやってる会社だった。
履歴書も必要なく、ただいつから働けるかとだけ聞かれ俺はすぐにでも働きたいというと次の日から行く事になった。

作業しやすい格好で、ラバー付き軍手と倉庫の周りはコンビニすらないから弁当などは予め用意してくれとの事だった。
次の日、ニッカポッカにTシャツという動きやすい格好で集合場所に行くと50代くらいのオッサン2人と俺と同世代くらいの大学生っぽい兄ちゃんが居た。
オッサン2人組は作業ズボンにTシャツ姿、先輩と後輩みたいな感じで先輩らしきオッサンは割と気さくな感じ、後輩のオッサンは愛想は無かったが悪い人では無さそうだった。
大学生っぽい兄ちゃんはその辺に遊びに行くような格好で終始携帯をいじってる。
コイツナメてんな…そう思いつつ軽く挨拶をして迎えの車を待ってる間先輩のオッサンが声をかけてくれた。


「今日から?」


「はい。よろしくお願いします。」


「今からワゴンが迎えに来るからそれに乗って20分くらいかな?弁当は買った?」


「はい。持って来ました。」


「そっか。俺はそこのオリジンで買った。」

そんな会話をしてるとハイエースが目の前に止まった。
俺たちはそれに乗り込むと20分弱車に揺られ周りが田んぼしかない場所にある倉庫に連れてかれた。
着いてからの流れを先輩のオッサンは俺ともう1人の子に丁寧に教えてくれた。
倉庫には食料品などが積まれておりそれを朝、配送のトラックが来るまで仕分ける作業が基本。
まだ19歳の俺は体力もあったし元々力仕事系ばかりやってたので割と楽な作業だった。
重いものでも一斗缶くらいで、ただ出来たてホヤホヤの一斗缶(中身は油)だったので熱々だった。

休憩時間になってオッサン達に着いて行くとだだっ広い休憩室があった。
長テーブルとパイプ椅子が並べられていて自販機と電子レンジ、それからポットにお湯が用意されてる十分なスペース。
休憩中の作業員は結構歳のいった中国人、日本人でも50代〜60代の人が多かった。
オッサン達と世間話しをしながら弁当を平らげ1時間の休憩は終わった。
大学生っぽい奴は終始1人で居る。
多分コイツもう来ないな…
そう思いながら作業を再開した。
後半の作業はより細かく積むトラック事に仕分けした物をパレットに置いていく。

パレット
フォークリフトで荷物を運ぶ為の木製やプラスチック製の台座

朝6時くらいになると次々とトラックが来た。
トラックの運ちゃんと一緒に積み込んで粗方の作業は終わる。
そしてまたハイエースが迎えに来て倉庫の最寄りの駅に降ろされて終わり。
給料は次の日車で手渡しされるシステムだった。
難しい作業は無い、力仕事が多いけど今までやった資材運びや解体現場の作業に比べたら楽だった。
次の日もまた同じ時間に集合。昨日の大学生っぽい奴はやっぱり居ない。
オッサン達2人とまた新たに若い奴が1人。
先輩の方のオッサンはタケオさんって名前だった。
後輩の方はマツモトさん、マツモトさんがそう呼んでたから俺もそう呼ぶ様にした。

作業は相変わらずの単純作業。
こうして何日か通った。
毎回新しいスタッフが来るけど大体1日で来なくなる。
レギュラーメンバーは俺とタケオさんとマツモトさんの3人だけだった。
何日か通って気付いたのが倉庫に居る従業員は大体日本語が喋れない中国人とちょっと変わった日本人。
若い人は倉庫責任者の人。
言っちゃ悪いけどまともに話しが通じるのはその人だけだった。
注意力散漫なオッサンが山積みのパレットをフォークリフトで引っ掛けて真横に倒された事もあった。
反射的に殺す気かよ!って声を荒げたけど当の本人は謝るどころか何やら1人でブツブツ喋ってる。
あぁ…なるほど…こっちが気を付けよ。俺はそう思った。

派遣組の俺らは日を増す毎に仲良くなって仕事帰り駅で降ろされてからコンビニで缶ビールとホットスナックを買って1杯やりながら電車を待つというのがルーティンになってた。

あまり詮索もせず会話の中でなんとなくどんな人達なのか分かった。
住んでるのは寮と言っていて毎日作業日記を付けて誰かに提出していた。
あぁこの人達はシャバに出たばかりで職業訓練中なんだなって。
ある日、酒好きというのもあって仕事帰り飲みに行く事になった。

「朝霞台に朝からやってる居酒屋があんだよ。」


場所柄、労働者も多いのか同じ様な夜勤の人やタクシーの運ちゃん達が御用達の安い居酒屋が何軒かあった。
そのうちのタケオさん達が行きつけの店に行った。
そこで初めてムショ上がりだって話しをしてくれた。
何で捕まったかまでは聞かなかったけど何年か入ってたみたいだ。
タケオさんはムショの中での話しをし始めた。
自分の罪を悔い改め更生した事、ムショの中で熟読した聖書に涙した事、自分が生まれた時の話しや名前の由来まで話してた。
そこでずっと名前だと思ってた「タケオ」が苗字だった事を知る。
時に涙を流しながら話していたのが印象的だったがずっと「何やったんだろこの人達?」って疑問は拭えなかった。
マツモトさんも同じく職業訓練中で同じ刑務所だったらしい。

刑務所仲間の結構エグい話しも聞いた。
クスリ関係でパクられた奴とか人殺してパクられた奴とか胸糞悪い話しも聞いたけどこのオッサン達はその中でもまだ人としての心はあるんだなって思った。
根は多分真面目で優しさのある人なんだろう。
たった1度過ちを犯してしまった。
それは許される事では無いがその事実を受け入れて、反省して、その罪を償おうと今必死で生きている。
こうなっちゃダメだという反面教師にしつつ、今を必死で生きてる姿は輝いてすら見えた。
人は誰でも過ちを犯す、過ちを繰り返す人間にならないよう事実を受け入れ、認め、反省して成長していかなきゃいけない。

俺は約1ヶ月働き続け必要な金が貯まった。
若い奴が1日で辞める理由も分かる。決して楽しい仕事では無いし派遣会社の俺らに対する扱いもクソみたいだった。
仕事の予約をして集合場所に行ったのにも関わらず、「あれ?今日予約入れてた?今日人足りてっから帰っていいよ。」と言われ給料を宛にして行った俺は帰りの電車賃すらなく2時間かけて歩いて帰った事もあった。
そんな理不尽な事も平気でするようなとこ長く続ける理由なんて無い。

オッサン達みたいに「理由」が無ければ、俺みたいに一時的な「理由」が無ければ、こんなとこでこき使われて働く必要は無い。
もちろん倉庫で働く作業員が居るから俺たちは普段不便なく生活が出来る。その仕事に対してのリスペクトはある。むしろ経験して余計有難いと思う様になった。
途中、倉庫の責任者に派遣抜けて社員にならない?と言われた。
派遣会社通さないから給料も全然上がるし仕事出来る若い人が居なくて困ってたって。
有難い話しだったけど俺は「理由」があって働いてた訳でその目的が達成されたら辞めるつもりで居たから断った。

無事滞納してた家賃も払い終え、必要最低限の金も出来たので俺はその派遣会社を去った。
タケオさんとマツモトさんにはちゃんと挨拶したかったが辞める時派遣会社と軽く揉めて辞めたのでそれ以降会うことはなかった。

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