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【世間体を脱したいあなたへ】 深い悩みこそ人生きり拓く力に

この2週間で泉谷閑示さんの5冊ほど没頭して読んだ。今回は特に印象深く読んだ1冊「『普通がいい』という病」をご紹介したい。

深い悩みは切実に人生を生きたい気持ちの現れ

私なりにこの本から受け取ったメッセージは、メンタル面で悩み苦しむ人ほど、切実に自分の人生を生きたいという思いを持っているということだ。同時に、その深い悩みこそ、その人らしい人生をきり拓く原動力になることを知った。

泉谷さんは精神科医としてメンタル面で悩みを抱える多くの人をカウンセリングを通して診てきた。この本では患者との対話を通して考えてきた、精神面で苦しみを抱える人がどうして増えているのか、という問題意識が語られている。心理学の決まり決まった説に当てはめて考えるのではなく、音楽や詩、演劇など人間の深みを描く分野も取り入れた観点で、真因に迫ろうという、凄みのある一冊だと感じた。発行は15年前だが、何ら色あせたものはない。

ここから私なりの解釈も加えて書いていきたい。

なぜメンタルで病むのか。それは多数派の人の価値観に合わないからだ。タイトルにある「普通」というのは、世間のいわゆる常識と思われていることをさしている。それは、幼い時から親や学校教育などから植え付けられたもので、世の中の多くの人が疑問に感じず「当たり前」と思っているものだ。他にも、マスコミや政治家、大学教授、自己PRに長けた大企業など、社会的にリッパそうに見せるのがお上手な人からもたらされる空気のことでもある。

その空気に何か違和感を感じ続けている人は、どこかでそれに衝突したり、または我慢がこらえきれなくなったりするのだと思う。その時に「メンタルを病む」という表立ったことが起きるのだと思う。人によってその時期は異なり、子供時代であったり、または社会人になってからかもしれない。

それは、私なりの理解では「自分自身の人生を生きたいという切実な心の発露」なのではないかと思う。世間にもう合わせられないという思い。例えば、もはや古くなりつつあるのかもしれないが、有名な大学に行って、そしてもてはやされるような大企業や組織の一員になるという、社会がなんとなく「成功した人生」とみなすような生き方に対し、どうしてもおかしなものを感じることなのではないかと思い始めた人なのでないかと思う。私はそうした人こそ、実はとても賢明で世の中に新たな価値をもたらすことのできる人なのではないかと思う。

「不幸」に包まれた贈り物の中身は・・・・

この本で、それを象徴的に描いた簡潔なイラストがある。ぜひ見ていただきたい。

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(p.35から抜粋)

人生に病むことは本当に辛い。できれば避けたい。ただ著者はその苦しみが、「不幸(FUKOU)」という包み紙に包まれた、贈り物なのだという。つまり、表面上は不幸に見えるし、受け取りたくすらないが、包み紙を勇気を出して引き剝がし、中を開けるとそれはその人にとっての「自分が自分らしく生きていくための大切なメッセージ」が入っているかもしれないということだ。

逆に表面の「不幸」という文字に恐れ、贈り物をきちんと受け取らずに突き返してい続けては、決してその大事なメッセージを知ることはできないということでもある。うつなどの精神面の不安定さが、いったいなぜ、どこから来るのかを、真正面から掘り下げて、自分自身で納得できるまで知る大切さをいっているのだと思う。

著者は精神科医として、メンタルを病んだことをきっかけに、人生を生き直し、まるで別人のように新たな道を進んでいる人を、数多く見てきたのだという。それは「人間その底力にただただ驚嘆」する姿なのだという。具体的にはどんな姿なのか。著者の一節をひとつ引用する。

本人の基本的な価値観のところに革命的と言えるほどの大きな変化が起こり、そして、生き方が見直され人生も変わっていった(p.34,35)

大通りを外れ、マイノリティーとして小径を進む

どうすれば、「世間の普通」を超えて、自分の人生を歩んでいけるのか。それは、「マイノリティーで生きる覚悟」だそうだ。皆々がいく「世間体の大通り」を外れ、オリジナルな小径を進む決意こそ、自分の手足で生きるということにほかならないという。

あえて大通りをいかず、自ら見出した小径を歩んでいくことにこそ、生きている実感にあふれた何にも変えがたい人生があるのだろうと思う。私は著者の作品も読み進める中で、メンタル面で葛藤を抱えている人こそ、自分オリジナルの人生を切り拓き、創り上げることのできる力を秘めているのではないかという思いに至った。

私自身、大学以降、ずっと違和感を覚え続けてきた。なんの違和感かといえば、自分自身への違和感だ。自分が自分でないような思い。どこか別人を演じているようなよそよそしさ。学生時代、所属していた部活の人からふと「ニセモノっぽい」と言われたことがある。その時には、意味がよくわからないなと思いつつも、心に刺さるような痛みを感じた。どうしてそう言われたのか、わからなかった。いや、本当はわかっていた。私は、別の誰かになろうとしていた。バカだった。

別人になどなれようもないし、それは自分を殺すことと同じだ。私はどうやらその「偽り」を多少うまく演じられるようで、社会人になれ、そして違和感を抱え続けながらも、その別人と同じ仕事をしてきた。しかし、それがとうとう完全に行き詰まったのが、昨年の出来事だった。

1年弱、生きているのか死んでいるのかわからない精神状態をさまよった。燃えかすようのように灰の身になっていた今年3月、ワラをもすがる思いで自分を根底から知るプログラムを見つけて、それにとりかかった。全く自分自身を知らなかったということにがく然としながらも、日に日に、新たな自分を立ち上げていくような感覚だった。自分ではない誰かになるのではなく、自分の中にあるものを見つけて確かめていくこと。それが何より、自分自身の人生の基盤になることを知った。

とても興味深く感じているのは、同じプログラムを受けている方々は、皆どこかで、なんらかの形で人生に行き詰まった経験を持っているということだ。著書の内容からいえば「不幸印のギフト」をきちんと受け取り、勇気を出して中を開けてみた人だと思う。私と同じようなメンタル面の不調がきっかけになっている方も少なくないようだ。ただ各々が自分自身を見つめ直し、根底から築き直し、それまでと異なる人生を歩もうとしている。それは単に熱意があるというものを超えて、美しさすら感じる。人が自分自身を生きるということは、こういうことなのではないかと思っている。自然な心に従って生きる姿は清々しい。

この本には生きづらさを抱えている人が、その辛さを捉え直すことのできる手がかりが数多く、かつ深く紹介されている。10のエピソードそれぞれが、学問の理論などという死んだような公式ではなく、身に迫るような生々しい著者のメッセージとして伝わってくる内容だ。人生に何か違和感を抱えていたり、行き詰まりを感じていたりする方に、生きるヒントを届けてくれる本だと思う。




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