見出し画像

ゴリゴリの理系人間が芸大を卒業した雑感

思い立って2021年4月に大阪芸術大学の3年生に編入し、早いもので3年が経ち、2024年3月末に無事に大阪芸術大学を卒業することになりました。

ちなみに、1年目の雑感はこちら。2年目の雑感はこちら。卒業制作の雑感はこちら

芸大に行ってどうだったのか?

芸大に行ったことで、ゴリゴリの理系(ロジック/左脳)人間にどのような変化があったのかについて、記載したいと思います。
今回は大阪芸術大学通信部美術学部美術学科に入学したわけですが、通信といっても、レポートやオンラインだけではなく、夏休み、冬休みや春休みを利用したスクーリングがあります。他の芸術大学ではオンラインのみのところもあるようですが、大阪芸大はスクーリングがマストになります。まあ、美術(油画)なので、スクーリングなくして卒業できるのもおかしなことです。

ちなみに、3年間でどのくらいスクーリングに通ったかと言うと、私の場合は、97日間です。ざっと年間30日となります。まあ、そこそこの日程ですね。ちなみに、スクーリングの日は朝9時30分から夕方18時30分まであります。科目によっては18時前に終わることもありましたが、一日仕事になります。3年編入でなければもっと単位を取得する必要がありますので、スクーリングも長くなると思います。取得科目数は21科目になります。私の場合はこれ以外に学芸員の資格も取得しましたので、別途7日間のスクーリングと、9科目の単位を取得しました。

さて、当初の目的は物事をロジカルだけで考えると、他社との差別化が難しく、今後、必要なスキルである「創造性」を身に着けるために、芸大に通うことにしたのですが、その「創造性」が身に付いたのかどうかで言えば、元を0として、創造性がある状態を10としたら、正直現状は2~3ぐらいかなと思います。しかし、0から1にするところが最も困難であることを考えると、芸大に行ったことは大きな成果だったと思います。

芸大で得られたこと

大きくは4つほどあるのかなと思います。1つ目は当初の目的である「創造性」のきっかけを体感できたこと。2つ目は絵を描くスキルを身に着けたこと。3つ目は新しいコミュニティを手に入れたこと。4つ目は人生100年時代に即した新しい肩書を手に入れたことです。

1.「創造性」のきっかけを体感できたこと

「創造性」を発揮するのに必要なことは身も蓋もないことですが、本人(アートの場合は作家)のこだわりであると言えます。本人のこだわりが創造性の正体と言っても過言ではないでしょう。とにかく本人に発想力があると言ってしまえばそうなのかもしれませんが、「創造性」に富んだ作品を生み出す作家さんはとにかくこだわりが強く、いつまでも考え抜こうとします。今から思うと、コンサルタントにおいても、今までの発想ではなかった資料をつくるコンサルタントの方はとにかくむっちゃ考えていたように思います。それはただ単にロジカルに考えるということだけではなく、論理的思考も含めて考える、むしろ、論理や過去の事例などに捕らわれず考え抜いていたように思います。そのため、ロジカルに考える他のコンサルタントからすると、そのアイディアや資料は大丈夫かということもありました。

そのように考えると、私の場合は、今あるものを改善するのが得意だったように思います。そのため、作品作りのために構図などを考える際に、どうしても過去の経験や他の事例などを頼りがちで、何もない空白の状態で考えるのが苦手であることがよく分かりました。このことに気付けただけでも大きな成果だったと思います。まあ、私の場合はそういった思考のパターンがあるので、「創造性」を発揮する場合は、そのような思考のパターンに捕らわれないことが必要です。
今後もアーティスト活動(作品を公募展に出展したり、個展等で作品を販売していく活動)は続けていきますので、その中でより「創造性」を身に着けることを今後期待したいと思います。何か訓練すれば、芸大で出会った「創造性」豊かな知人らに近づけるような気がしました(笑)

2.絵を描くスキルを身に着けたこと

芸大に通うまでは油絵などの絵画を描くことすらできませんし、油絵に関する知識もありませんでした。このような知識やスキルはカルチャーセンターでも身に付けられそうですが、まず基本的なこととして身に着けることができたのはアーティストとして良かったことです。今ではキャンバスも自分で作ることができますし、油絵具、アクリルなどの特性も理解した上で、作品がつくることができます。

3.新しいコミュニティを手に入れたこと

これまで私の身の回りにはいない(少ない)特性をもった方々(アーティストの卵さんら)と知り合いになれたことも大きな成果になりました。創造性を理解するとか、アーティスト活動を継続していくとしても、知識やスキルだけあっても難しく、どのようにモチベーションを維持するのかということも大切で、その際、仲間がいるかどうかは大きなことだと思います。これにはスクーリングが役立ちました。1科目が前半と後半に分かれており、それぞれが連続3日間の講座のために、受講生と3日間(もしくは6日間)一緒になることで仲良くなれるので良かったです。また、卒業制作は10日間あるので、ここでも作品をつくるという共通の目標に向かって進むので、お互いに切磋琢磨できました。
生徒といえども既にアーティストとしてグループ展や個展を開催している人もいて、そういった人たちやその友人らと展覧会でたまたま会うこともあって、その場もコミュニティにも参加することができ、いろいろなことを教えてもらったり、体感できることも大きな糧となります。

4.人生100年時代に即した新しい肩書を手に入れたこと

本業としては今度も経営コンサルタントとして活動していくのですが、経営コンサルタントとしては70歳ぐらいまでの活動になると思います。また、それまで肩書として経営コンサルタントだけでは寂しいものです。
芸大に行ったことで新たにアーティストとしての肩書が増え、アーティストであれば死ぬまで活動できるので、今後、アーティストとしてのスキルアップも目指していきます。70歳以降はアーティスト専業です(笑)
アーティストの活動として昨年は2つの公募展に出展して、1つは一次審査を通過しましたが入選できませんでした。入選したら美術雑誌に作品が顔写真と共に掲載されていたのに残念です。今年は既に2つの公募展に出展して、1つは無事に入選し、入賞するかはこれからです。もう1つは一次審査待ちです。幸先の良いスタートになりました。

結局芸大に行ってどうなのか?

結論から言えば芸大に行って良かったと思います。本来であれば大学院に進学しても良かったと思いますが、とりあえず、しばらくは作品づくりに専念したいと考えています。ある程度自分の型ができてから、京都市立芸術大学か、好きな沖縄の沖縄県立芸術大学に行こうかと目論んでています。50歳ぐらいになってから、沖縄県立芸術大学の大学院に入学し、大学院は1~2週間連続の集中授業のようなので、ゆっくりと沖縄生活とアート活動を堪能するのもまた豊かな人生ではないかと思う今日この頃です(笑)

しばらくは経営コンサルタントと、アーティストの卵のニ足の草鞋で活動していきます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?