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自己紹介〜僕といえば② 野球

自己紹介シリーズ第4弾
ボクといえば「野球」です。

そうー!
最近出会う人には、サッカーの人だと思われてますが、実は野球部⚾️

●はじまり

完全に父の影響。
父が会社で朝野球をやっていたのに連れて行かれたのが原体験だったと思われます。

父はぼく1人をどこかに連れて行くことはほとんどなく、姉と一緒だったりすることがほとんど。

でも野球だけは違った。
父の会社が何かの小さな大会に勝ち抜いて、北海道大会ようなところまで勝ち進んだ時は、大会がある室蘭まで一緒に行ってくれたのだ。

室蘭は、地元の旭川からだとJR特急で札幌乗り継ぎで4時間以上かかる!
東京から仙台くらい行けちゃうくらいの距離だ。

はっきり覚えているわけじゃないけど、たぶん嬉しかった。
小学校1年生くらいから、気がついたら家の前で父とキャッチボールしたり、家の塀に向かってボールを投げ込んだりしていた。

●本格スタート

小学校3年生から地元の少年団に入る。
公式戦に出れるのは4年生からだったけど、夢中になってやってきた。

4年生の時から6年生カテゴリーでセカンドでデビュー、
5年生カテゴリーではショートでレギュラー、
自分たちの代ではピッチャーをしていた。

決してぼくが天才だったわけじゃない!
単に、上級生の人数が少なかったのだ。

これだけだと聞いてるととても人気者っぽい。
それとは裏腹に人間関係に悩む小学生だった。

●チームメイトとの関係

当時のボクは、同級生の中でも背は小さい方でひょろひょろで貧相な身体。
野球の道具もお下がりをたくさんもらって、なんとかやれる状態。
名探偵コナンくんばりのまーるいメガネ👓をかけていて、勉強もできる方だったので「ガリ」と呼ばれていた。

野球仲間や先輩には、半分イジメとも受け取れるイジられ方をしていて、一緒に頑張る仲間ではあるけど、そこまで仲良しになれたら感じがしない。

中学生になっても、高校になってもその傾向は変わらなかった。
3年生の世代の試合に1年生で最初にデビュー、
2年生からレギュラー。
だけど、先輩たちや同級生とはうまくやれてる感じがしない。
一応つるむチームメイトはいるけど、そのチームメイトも先輩たちと一緒にいるときには、そっち側に回るので、どっちが本当なんだろう?

悩んでも答えが出せず
「でも野球には関係ないから、野球やるか!」
で結論づける。

一番酷かったのは高校の時、ボクの知らないところで、ぼくのコードネームがついてたのだ。
ボクのいる場でもお構いなしで話していて、ボクも自分のことだと気づいてない。
それが何かの遠征の時のだれかの失言で発覚!
今度はオープンに話すようになった。

嫌ならやめるようにいえばよかったなとも、今なら思うけど、その当時は我慢することを選んだ。
先輩と同学年でのいじりは、2学年下の後輩まで伝わっていった。

●自分を支えるもの

ぼくが自分を保つには、成績を残すしかない!
高校2年生夏には、先輩の代役で出場、10打数5安打3打点で北北海道大会の進出に貢献。


秋の新人戦では「今日の敗因のひとつは山下」と監督に名指して言われたことから奮起、冬場の自主トレーニングに成功し、高校3年の夏は4番を務めるようになった。
通算打率は3割は超えていて、おそらくチーム最高打率だろう。

ただ、成績が上がればそのいじりがなくなるわけはなかった。
それはそれ、これはこれ。

高校3年生の夏、一回戦コールド負けで不完全燃焼で終わった。
自分自身に対する悔しさはあったけど、この仲間でなんとかしたかった!という思いは薄かったように思う。
卒業式に野球部の後輩からもらったはなむけの言葉はとても残念なものだった。

●今だからわかること

今思えば、その当時のボクはとても生意気だったし、配慮もなく、言動も行動も可愛くなかったから原因はぼくにもあったと思う。

ただその当時の僕には、
「気がおけないのは、限られた少数の友人のみ。信じられるのは自分だけ」


少なくとも「仲間と一緒に成功したい!」という概念はそのときにはありえなかった。

書いてみて気づいたけど、
ぼくが野球の話をしたがらないのは、こういう現体験からきてるのかもしれない。

今はチームビルディングをベースに事業展開をしている。

それまでの生き方とは真逆な方向!

そう考えると人生どう転ぶかわからない。


積み上げて
また叩き壊して
今僕が立ってる居場所を
嫌いながら
愛していく
ここにある景色を讃えたい

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