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命は

ミョウ

この三連休は、比較的お天気に恵まれよかったね。充実してたかな?おれの三連休は大阪と京都を行ったり来たり。金曜日は職場から直接京都に戻り、土曜は大阪の実家へ。日曜にはまた京都に戻って、本日月曜さらにまた大阪です。京都と大阪の往復には京阪電車を使ってるんだけど、淀屋橋-出町柳の一時間をどう過ごすかは、今の自分のバロメーターになってます。読みかけの本に没頭するときもあれば、一時間寝て過ごすときもあるし、外を見ながら考え事をしたり、じっくり計画を立てるときもある。体や脳が、今何をしたがっているかがよくわかります。ちなみに今日はあれこれ情報収集の一時間でした。


さて、前回「どういうプロセスを経て今回の決断に至った?」という質問をいただきましたね。まあ表面的な決断の経緯はこちらの記事にまとめてるけど、さらにここに至るまでの話となればちょっと複雑で。うまく伝わるかわかりませんが、がんばって書いてみます。

まず脳梗塞になってからというもの、「命」ということがとても気になるようになりました。生きてるってなんだろうとか、自分ってなんだろうとか、そういうヤツ。そんなことを考えれば考えるほど、自分(個)という概念そのものが実はイリュージョン(幻想)で、命は他者とつながっているんだという事実が自分の中で鮮明になってきました。
それで、おれにとっての幸せな人生ってなんだ?と問うたとき、命のつながりを大切に、丁寧に生きることだという結論にいきつきました。若いころは成功しているかどうかが人生の主な問題でした。おれの給料や役職は同級生より上なのか?とか、同期入社の仲間の中で出世の早さはどうだ?とか。こういうのって行動の原動力になるし、今でもやっぱり気にはなるよね。でも今は一番大切なことじゃなく、二の次、三の次の話。命のつながりを大切に、丁寧に生きた結果としての産物でいいと思っています。

命のつながりを大切に生きることを第一優先にしたいと強く思うようになったのは、木下のことがあったのも大きいな。ぼーっと生きてたらだめだな、自分の命をちゃんと使わないといけないなと、木下の葬儀の帰りのあの阪急電車の中で、京都の街を見ながら考えました。命のつながりとして一番大切にしたい家族の存在を正面から受け止めよう、そしてお義母さんが今丁寧につないでいる家族の会社のバトンを自分自身が受け取りたいと、そう思うようになりました。

とにかくミョウが書いてくれた通りです。おれにとって、会社=家族=自分の仕事と繋がっていることが一番幸せな状態だと気づき、それを実践することにしました。もう一歩進めると、「命って、つながってるよな」ということをじんわり感じられる世の中にしたい。自らの事業を通じてそんな世の中を実現できたら、亡くなった木下にも胸を張って会えるなと思うようになりました。
こんなことを書いてはいますが、実際今は現場で技術指導を受けながら、木を削っては失敗し、職人さんに怒られ、自分のどんくささに辟易してるんだけどね。まだまだ理想には程遠い。焦らずじっくり進めます。


ふう。夜書く文章はいけませんね。今回は話が重くなりました。ミョウであれば朝読み直すのだろうけど、おれはハイボールで酔った勢いで投稿するよ。


出口庸平

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