新しい一歩
退職を決意
2002年に新卒で入社した会社を、この度辞める決意をしました。今の会社には、心から感謝しています。私は2011年に脳梗塞になり、仕事に復帰できる見込みが立たず長期間休職した経験があります。その期間会社は、私の回復の状況に合わせた仕事や働き方を準備してくれました。「脳梗塞の経験があるなんて信じられない!」と言ってもらえるほど今では回復し、バンバン外回りの仕事ができているのも、私の身体とじっくり向き合ってくれた会社のおかげ。いくら感謝をしてもしきることができないほどの気持ちです。
それに働いている人も大好き。みんな思いやりにあふれてる。いつも相手のことを気にかけながら、仕事に対し、お客様に対し、真摯に向き合い、どうすれば相手が喜んでくれるかを考え、行動できるメンバーばかり。会社のミッションに心から共感している社員が多いのも特徴。「持続可能社会を実現する」「関係性豊かな社会をつくる」という、ミッションを掲げる会社ですが、いろんなところで、あらゆる階層で、ミッションに関する議論をしてる。そんな環境で仕事ができて、私は幸せでした。
そんな会社を退職する決意をするまでは、本当にたくさん悩みました。今まで育ててくれた上司、苦楽を共にした同僚、可愛い部下や後輩たち…今までお世話になった人たちの顔が浮かぶと今でも決意が揺らぎます。それでも新しい道を選んだのは、「周囲からの全ての期待に答えることは不可能で、時には誰かからの期待を裏切る勇気が必要」と思ったから。人間社会は“期待値”の投げかけ合いで成り立っていて、道徳の原理もこの期待値に基づいてる。他人へ期待もするし、自身も他者からの期待に精一杯答える。この関係が成立しているからこそ社会が安定するわけで、私もこれまで他者からの期待に答える続ける人生でした。しかし大きな決断をするときは、この原理原則から逸脱する勇気が必要で、常識を乗り越えたり、自身に嘘偽りない人生を歩むためには期待を裏切る覚悟で行動することが必要と決意しました。
そんな大好きな人たちからの期待を裏切ってまで、何をしたいのか。
何をするのか。またその理由
7月からは妻の実家の家業である、木材加工の仕事に就きます。妻の祖父が立ち上げた、60年以上続く会社で、大阪市住之江区に工場とオフィスがあります。会社の名前は大信製材株式会社。妻の祖父→父→母とつないできた、社員三名の小さな組織。戦後復興期に創業し、日本の高度成長を住宅用建材を提供することで支え、従業員が150名を超える時期もあったとか。しかし今は当時ほどの木材需要が国内になく、大規模化・集積化が進む業界。状況としては大変厳しいところではありますが、これからも会社が続いて欲しいと、一緒に挑戦することにしました。
高校の同級生でもある妻。その父は、私たちがまだ若い頃に癌で亡くなっています。存命だった頃少しだけお話しする機会がありましたが、私はその人柄に触れることはできませんでした。当時主婦だったお義母さんは、闘病中の病院に通いながらお義父さんから大信製材の経営を引き継ぎました。それが20年前の出来事。そしてお義母さんは今でも必死に、丁寧に、事業をつなぎ、私たち家族を支えてくれました。仕事をする意味は人それぞれだけれど、改めて考え尽くした結果、私にとっての仕事の意味は、“家族を支えてくれた会社を、今の世の中に役立てながら存続させること”に行き着きました。現在40歳。人生の折り返し地点でもあります。これまで私を育ててくれた社会に対し、自身の存在を通じて恩返しがしたいと考えています。
冒頭の写真は、新しい挑戦の舞台となる大信製材2019年1月の様子。木材加工の仕事なんて全くやったことのない私にとって、これからの航海は本当に予測不可能。不安とわくわくが折り重なり、計画が立たないもどかしさ、情報を集めなきゃという焦り、やるしかないという熱意…感情がもうめちゃくちゃです。そんな状況ではありますが、お義母さんや社員の皆さん、(そして家族!)と一緒に、一歩一歩着実に進んでいくしかありません。
こんな私ですが、皆さんこれからもどうぞよろしくお願いします!