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政治は誰のためにあるの?


今月末、衆議院選挙の投開票がある。
未来の宝である子どもたちを育む環境に対する政策をよく耳にする。
子どもがいる家庭は一時的にだが幾分か助かるだろう。
どうあっても、子どもたちには明るい未来を、希望溢れる未来を、夢が持てる未来を、作り残してあげたい。
子どもたちの持つ、生命本来の自由闊達さはとても愛しい。この世に生まれて、同じ時代を何十年か長く生きる者として、彼らの個々を認め、彼らの良いところを抜群に伸ばす言葉を、惜しみなく隣でかけ続けたいとさえ思う。泣いているなら涙が止むまで話を聞いて涙を拭ってあげたい。子どもたちには一人として漏れることなく、輝く瞳で、安心した心と体で、すくすくとのびのびと育ってもらいたいと、幸福を心から願う。


その上で、政治は誰のためにあるのだろう。
コロナ禍で救うべき多くの人たちは、子どもを持つ世帯だけではないことは確かだ。

子どもを持たない人たちは?
子どもがもう手を離れた人たちは?
中高年の独身者は?
就職氷河期を生き、何とか職に就けた、結婚も子どももない人たちは?
高齢者と言われる人たちは?

少子化が進む中で、子どもがいるという家庭も国民の比率からすればどれくらいなのだろう。
満遍なく救いの手が必要だと思うのは私だけだろうか。
何の助成金や補助金の対象者でもない人には、冷遇された世の中のように思える。


長寿大国となった日本が、喜ばしいはずである長寿がもたらす、
日々巨大化する老齢化に伴う問題、介護の問題に、どれだけ直視しているのだろうか。


少なくとも、
介護施設での虐待や、
自宅での介護で起こった痛ましい事件、
行政の相談窓口の限界もあり、もう相談する先がなく、各家庭に委ねられ閉ざされてしまっているかもしれない状況は、
テレビ報道や新聞への投稿、そして筆者の友人たちの身にも起こっている重要な問題である。


歌人・永田和宏さんの書も数冊購入して読んだ。肉親を失う悲しみ、最愛の人との別れが綴られた書を読むにつれ、私は思った。
人は最期の瞬間まで、尊厳を持って生き抜きたいと願うであろうに、その変わりゆく様に本人も家族も疲弊していく。ましてや他人からの有り難いサポートであるはずの介護施設で虐待を受けていれば、胸の潰れる思いになり、自宅へ引き取り、仕事との両立の難しさ、周囲の理解の乏しさからますます介護する一人が抱え込み、疲弊がさらに増していく。最悪の場合は「一緒に死のう」とまでの選択に至ってしまう……。


これは他人事だろうか…。


総務省が今年9月20日の敬老の日を前にまとめた推計がある。

総人口が減少する中で、高齢者人口は3640 万人と過去最多
総人口に占める割合は29.1%と過去最高
我が国の総人口(2021年9月15日現在推計)は、前年に比べ51万人減少している一方、65歳以上の高齢者(以下「高齢者」といいます。)人口は、3640万人と、前年(3618万人)に比べ22万人増加し、過去最多となりました。総人口に占める割合は29.1%と、前年(28.8%)に比べ0.3ポイント上昇し、過去最高となりました。

(総務省統計局のHPよりhttp://www.stat.go.jp/data/topics/topi1291.html)


おおよそ3人に1人が、65歳以上の日本だ。
筆者は中年に入り、自身のそう遠くない未来にも思える。自分のことだけを思うと、その頃の年金制度にも不安が拭い去れない。かといって投資にかけるだけの資金にも恵まれていない。この長引くコロナ禍で預貯金を切り崩しながら、コツコツ働こうと決意するしかないのだ。
それよりも差し迫るは、筆者の両親も高齢者の域に入ったばかりだ。今は健在とはいえ、これからの一年一年、どのような健康状態になるのかなんて誰にも分からない。筆者自身もだ。病気というのはある日突然の宣告でやって来る場合もあるからだ。
これは、不安ばかりの想定ではなく、来るべき時に備えるということを、決して忘れずにいようという筆者の思いだ。

生老病死があっての人生だ。

この問題に真摯に向き合う政治家なら、その演説に足を止めても良い。
この問題を抱えながら、自分が当事者として疲弊しながらも乗り越えてきた政治家なら、正面を向いて話を聞く耳を持とう。
この問題に涙し、心を痛め、寄り添おうとする政治家なら、日本の政治も捨てたもんじゃないと思う。
たった一人の生命に優劣を付けず大切に守ろうとする政党なら、間違いなく一票を投じよう。


各政党や、選挙区における立候補者たちが、
日本国民の全ての世代、全ての人たちの救済のために、何を訴えているのかよく知り、
今月末の衆議院選挙の投票日を迎えていきたいと思う。


〈写真・文 ©︎2021 大山鳥子〉

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