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大山移住記録|vol.1|はじめに

しつこいようだが、私は兵庫県明石市で生まれ育った。
2023年4月、結婚を機に大山町で暮らすことになった。

はじめにことわっておくと
「結婚を機に」というと地元の方には「よくまぁこんな田舎に」と言われがちだが(みんな「ようこそ」とも言ってくれる優しさ)
こんな田舎に「しかたがなく」来たわけではない。
切望して、念願かなって、やっとここにきたのだ。

8年前に大山で夫と出会ったころには
明石市のアパートでひとりで暮らしていたのだが
その後の転職や進学を機に、
・山梨県北杜市の清里高原では、標高1,400mの元馬小屋社員寮(部屋の変なところに馬をつなぎとめておく柱がポツンと残っているし、風呂トイレキッチンは共有、冬はトイレに氷柱ができる)、夏の2ヶ月間は会社が借りていた?別荘暮らし(個室なし完全共同生活は同期4人の絆を深めてくれた)、途中から一軒家の寮の一室(壁4面中3面が窓、風呂トイレキッチンは共有)
・宮崎県宮崎市の大学近くの集落内にある私と同い年の古アパート(目の前は畑、ベランダで星空観察ができるほど展けていて、鶏舎が近くてたまにものすごく臭いという畜産大国・宮崎み?もあり、静かでとても気に入っていた)
・大学院修了後地元明石市に戻ってからは、海岸の目の前のこれまた私と同い年で古いけれど広くて眺望抜群のアパート(阪神淡路大震災前に建てられたが生き残ったので丈夫な建物だ、とのこと)

振り返ってみれば、暮らす地域や住まいはけっこう点々としてきた。
どこも古くて田舎で、お世辞にもめちゃくちゃ綺麗!とは言い難い家だったけれど、極寒の山の上から南国まで、それぞれの場所・地域でつくる暮らしはけっこう気に入っていた。

この8年間、正確に言うとコロナ禍の宮崎時代2年間を除く6年間、大山町には結構な頻度で通い詰めた。
正確に計算したわけではないが、その合計移動距離たるや。
まあまあ貧乏だったので、できるだけ下道を使ったりして。

それほど、大山が好きだった。
景観や自然はもちろんだけど、ここの人たちのお人柄や考え方、生き様、暮らしぶりなんかには特に憧れた。
だからやっと、ここで暮らすことができるのは、本当にありがたく、嬉しいことだ。

めでたし、めでたし。

で、終わらないのが人生である。
わたしどもがどんなふうに移住してきて、どんなことを考えてきたのか
だれの参考になるわけでもないと思うけれど、いちにちでも記憶の新しいうちに、文章に興してみたいと思う。

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