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【グラフ大大阪】 〜特集・大大阪の街並み〜

【2023年8月1日/大阪歴史倶楽部】

大阪歴史倶楽部です。今月は大阪市が「大大阪だいおおさか」と呼ばれ、繁栄を極めていた大正時代の後半から昭和の初め頃の大阪市の街並みを撮影した写真を多数ご紹介したいと思います。

「1.大大阪の街並み」「2.大大阪の交通」「3.大大阪の暮らし」「4.大大阪の楽しみ・憩い」そして「5.大阪の父」という5つのテーマに分けて、写真をメインに所々に数行の簡単な解説文をつけてご紹介したいと思います。

掲載した写真の数は全部で63点あります。すべて大阪歴史倶楽部の(代表である九條正博が個人で)所蔵している資料の写真です。その出典は文末にまとめて列挙いたします。

※なお写真のキャプションに記載の住所は基本的に現在の住居表示に従っています。


【第一章】大大阪の街並み

大正時代の後半から昭和の初め頃の大阪市内のビルや街並みを撮影した写真をご紹介いたします。

大大阪時代の雰囲気、その時代の空気感などを感じていただければ有り難く思います。

01-大阪の中心部 中之島付近
(北区中之島/大正14年頃の写真)

この写真に写っている中之島付近は、第7代大阪市長であった関一せきはじめさんの時代(在任期間:大正12年〜昭和10年)に、パリのセーヌ河畔をモデルとして整備されました。当時としては日本一(東洋一)美しいと言われたエリアです。

画面右側やや上の遠くに煉瓦造りの四角い高い塔を持つ大阪控訴院(現在の大阪地方・高等裁判所)が、画面中央やや上に大阪市中央公会堂が、そしてその中央公会堂の奥に大阪府立図書館(中之島図書館)、さらにその奥に旧大阪市庁舎が見えます。中央公会堂の手前は西洋式の庭園となっています。

02-北浜から南を望む
(中央区北浜/大正14年頃の写真)

この写真は、北浜交差点の北東角(現在の大阪取引所の北向かい)から南側の街並みを写した写真です。路面電車(大阪市電)が走っているのが当時のメインストリートだった堺筋さかいすじです。

一番手前の左側に写っている煉瓦造りの建物は、明治時代に建てられた先代の大阪取引所(大阪証券取引所)のビルで、そこから少し奥(南)へ行ったところにある、ひときわ大きなビルは三越百貨店です。

03-完成した御堂筋
(北区中之島 大阪市役所前/昭和3年頃の写真)

御堂筋みどうすじは1927(昭和2年)に開通しました。この写真は開通翌年の写真と思われます。写真右側(御堂筋東側)の特徴的な塔を持った大きな建物は旧大阪市庁舎(大阪市役所)です。

それでは、以下、大大阪時代の名建築や街並みを大阪市内の北から南へと順番に見て行きたいと思います。

04-大阪市立北市民館
(北区天神橋筋六丁目/大正14年頃の写真)
05-大阪市立工業研究所
(北区扇町/大正14年頃の写真)
06-大阪市立衛生試験所
(北区扇町/大正14年頃の写真)
07-大阪商工会議所
(北区堂島/昭和3年頃の写真)
08-大阪毎日新聞社
(北区堂島/昭和3年頃の写真)
09-大阪中央電信局
(北区堂島/昭和3年頃の写真)
10-堂島ビルヂング
(北区堂島/昭和3年頃の写真)
11-大阪ビルヂング(ダイビル)
(北区中之島/昭和3年頃の写真)
12-日本銀行大阪支店
(北区中之島/大正3年頃の写真)
13-大阪控訴院
(北区西天満/現在の大阪地方・高等裁判所)
(昭和3年頃の写真)
14-大阪府立図書館(中之島図書館)
(北区中之島/昭和3年頃の写真)
15-大阪市中央公会堂
(北区中之島/昭和3年頃の写真)
16-大阪朝日新聞社
(北区中之島/昭和3年頃の写真)
17-大同ビルヂング
(西区江戸堀/昭和元年頃の写真)
18-渡辺橋
(昭和3年頃の写真)
19-肥後橋付近か?
(昭和3年頃の写真)
20-肥後橋
(昭和3年頃の写真)
21-難波橋(通称:ライオン橋)
(昭和3年頃の写真)
22-三越百貨店
(中央区北浜/昭和元年頃の写真)
23-日本生命保険株式会社社屋
(中央区今橋/昭和元年頃の写真)
24-第三十四銀行
(中央区高麗橋/昭和元年頃の写真)
25-大丸百貨店
(中央区心斎橋/昭和元年頃の写真)
26-長堀橋にあった頃の旧高島屋大阪店
(中央区島之内/昭和元年頃の写真)
27-大阪府立商品陳列所
(中央区本町橋/昭和3年頃の写真)
28-南海ビルヂング(高島屋大阪店)
(中央区難波/昭和11年頃の写真)
29-日赤大阪支部病院
(天王寺区筆ケ先/大正3年頃の写真)
30-大阪市立高等商業学校(大阪商科大学)
(天王寺区烏ヶ辻/大正14年頃の写真)
31-大軌停車場ビル(現在の近鉄上本町駅)
(天王寺区上本町六丁目/昭和3年頃の写真)
32-天王寺区上本町六丁目交差点付近
(昭和3年頃の写真)
33-大阪市立市民病院
(阿倍野区旭町/大正14年頃の写真)
34-新世界入口
(浪速区恵美須東/大正3年頃の写真)
35-大阪弘済病院
(生野区生野東/昭和3年頃の写真)


【第二章】大大阪の交通

当時の交通についてご紹介いたします。

36-大阪駅(2代目大阪駅舎)
(昭和3年頃の写真)

この立派な石造りの大阪駅舎は2代目の駅舎で、1901(明治34)年に完成しました。現在(2023年現在)の大阪駅舎は5代目にあたります。

37-阪堺電車旧社屋
(浪速区恵美須東/昭和11年頃の写真)

この阪堺電車の旧社屋は、新世界北西の入口角にありました。トンガリ屋根の特徴的な洋館で、南海食堂を併設していました。

38-大阪市電
(昭和3年頃の写真)
39-大阪市営バス
(昭和3年頃の写真)

当時の大阪市内のメインの公共交通機関は市電で、バスはその補助的な役割をしていました。

ですから市電の車両は明治時代の開業期からどんどんと大型化して行きましたが、バスはずっと今のバスの半分くらいの長さのままでした。

40-大阪築港
(大正14年頃の写真)
41-阪急電鉄の高架線
(昭和3年頃の写真)


【第三章】大大阪の暮らし

大大阪時代の人々の暮らしの一端を覗いてみたいと思います。

42-大阪市営住宅
(大正14年頃の写真)
43-大阪市営浴場
(昭和3年頃の写真)
44-食品市場の賑わい
(大正14年頃の写真)
45-大阪市営小売市場の賑わい
(大正14年頃の写真)
46-大阪市立産院の内部
(大正14年頃の写真)
47-大阪市立乳児院
(昭和3年頃の写真)
48-大阪市立託児所
(大正14年頃の写真)
49-大阪市立図書館内部
(大正14年頃の写真)
50-大阪市営質舗
(大正14年頃の写真)
51-大阪市立職業紹介所
(昭和3年頃の写真)
52-大阪市立労働紹介所の内部
(大正14年頃の写真)


【第四章】大大阪の楽しみ・憩い

当時の大阪市民の楽しみや憩いの場所を訪ねてみたいと思います。

53-大阪松竹座
(中央区道頓堀/昭和3年頃の写真)
54-道頓堀
(大正3年頃の写真)
55-道頓堀の夜景
(昭和3年頃の写真)
56-上本町小公園
(天王寺区上本町/昭和3年頃の写真)
57-大阪市立天王寺公園
(天王寺区茶臼山町/大正14年頃の写真)
58-大阪市立天王寺公園の旧美術館と植物温室
(大正3年頃の写真)

これは1914(大正3)年頃の天王寺公園の写真です。奥の洋館が旧美術館で、右側のドーム屋根が当時日本初だった全面ガラス張りの植物温室です。その前方には美しい西洋式の庭園が広がっていました。

59-大阪市立動物園
(昭和3年頃の写真)
60-初代通天閣
(大正10年頃の写真)

この写真の初代通天閣は、1912(明治45)年に新世界の中心部に完成しました。パリの凱旋門がいせんもんの上にエッフェル塔を載せたようなユニークなデザインで、その高さは300尺(91m)で当時「東洋一」と宣伝されていましたが実際には250尺(75mほど)だったと言われています。75mだったとしても、当時まちがいなく「東洋一」の展望塔で、開業当初よりエレベータが設置されていました。

しかしこの初代通天閣は、1943(昭和18)年に足元にあった劇場から出火して消失。戦後の1956(昭和31)年に現在の2代目通天閣が30mほど北へ移転して再建されました。

61-大阪市立運動場
(港区田中/大正14年頃の写真)


【終章】大阪の父

大正時代の終わり頃から昭和のはじめ頃の大阪市は、首都東京よりも人口が多く経済規模も東京を遥かに凌いでいて日本一(東洋一)の大都市、当時の世界から見ても6番目の規模を誇る大都市へと成長していました。

それまで(明治〜大正時代前半)の大阪市は「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、ひたすら工業生産に邁進していたのですが、いっぽうで公害(おもに煤煙)や労働者の住環境の悪さ、そして失業率の高さなど大きな都市問題を抱えていました。

しかし大正時代の後半になると、いまでも多くの大阪市民から「大阪の父」「大阪の大恩人」として愛され尊敬され続けている第7代大阪市長の関一せきはじめさんの時代に、そうした山積していた都市問題を解決へと導き、街を大改造してその中心部はパリのセーヌ河畔をモデルに美しく整備しました。

この頃になると、大阪市では工業のみならずあらゆる分野の産業が発展し、様々な文化が花開いて栄光と繁栄の時代を迎えていました。

62-旧大阪市庁舎
(大正14年頃の写真)

この市庁舎は3代目の市庁舎で、1921(大正10)年に完成し、1982(昭和57年)まで使われていました。現在はその跡地に4代目の市庁舎が建っています。

63-第7代大阪市長 関一氏
(昭和11年頃撮影)

当時の大阪市民はこの大阪市の飛躍的な発展と美しく整備された街をたいへん誇りに思い「大大阪だいおおさか」「モダン大阪」「モダン都市大大阪だいおおさか」などと呼びました。

この大正時代後半から昭和の初め頃(昭和10年代前半頃)の時代がいわゆる「大大阪時代だいおおさかじだい」なのです。

しかしこの栄光の「大大阪時代」は束の間でした。その後の太平洋戦争の開戦そして戦争末期の大阪大空襲によって、街も、経済も、そして大阪の人々の心の中(誇り)も、何もかもが滅茶苦茶に破壊し尽くされてしまったのでした。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


【謝辞】
大阪市立工業研究所および大阪市立衛生試験所については、その詳細が分かりませんでしたので(大阪市立工業研究所の)後身組織にあたる一般社団法人大阪工研協会さまへ問い合わせを致しましたところ、事務局長さまからその沿革や写真の建物について非常に親切・丁寧なる御教示を賜りました。末筆ながらここに記して感謝の意を表します。誠にありがとうございました。


◎写真の出典
【第一章】大大阪の街並み
01-大阪の中心部 中ノ島付近
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
02-北浜から南を望む
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
03-完成した御堂筋
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
04-大阪市立市民館
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
05-大阪市立工業研究所
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
06-大阪市立衛生試験所
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
07-大阪商工会議所
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
08-大阪毎日新聞社
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
09-大阪中央電信局
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
10-堂島ビルヂング
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
11-大阪ビルヂング
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
12-日本銀行大阪支店
『大阪府写真帖』1914年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
13-大阪控訴院
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
14-大阪府立図書館
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
15-大阪市中央公会堂
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
16-大阪朝日新聞社
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
17-大同ビルヂング
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
18-渡辺橋
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
19-肥後橋付近か?
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
20-肥後橋
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
21-難波橋
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
22-三越百貨店
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
23-日本生命保険株式会社社屋
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
24-第三十四銀行
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
25-大丸百貨店
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
26-長堀橋にあった頃の旧高島屋百貨店
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
27-大阪府立商品陳列所
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
28-南海ビルヂング(中央区難波/高島屋大阪店)
南海鉄道『開通50年』1936年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
29-日赤大阪支部病院
『大阪府写真帖』1914年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
30-大阪市立高等商業学校
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
31-大軌停車場
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
32-上本町六丁目付近
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
33-大阪市立市民病院
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
34-新世界入口
『大阪府写真帖』1914年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
35-大阪弘済病院
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン


【第二章】大大阪の交通
36-大阪駅舎
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
37-阪堺電車旧社屋
南海鉄道『開通50年』1936年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
38-大阪市電
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
39-大阪市営バス
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
40-大阪築港(大正14年頃)
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
41-阪急電鉄の高架線
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン


【第三章】大大阪の暮らし
42-大阪市営住宅
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
43-大阪市営浴場
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
44-食品市場の賑わい
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
45-大阪市営小売市場
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
46-大阪市立産院
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
47-大阪市立乳児院
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
48-大阪市立託児所
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
49-大阪市立図書館
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
50-大阪市営質舗
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
51-大阪市立職業紹介所
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
52-大阪市立労働紹介所
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン

【第四章】大大阪の楽しみ・憩い
53-大阪松竹座
『大大阪独案内』1926年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
54-道頓堀
『大阪府写真帖』1914年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
55-道頓堀の夜景
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年九條正博 蔵/パブリックドメイン
56-上本町小公園
『大大阪画報』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
57-大阪市立天王寺公園
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
58-大阪市立天王寺公園の旧美術館と植物温室
『大阪府写真帖』1914年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
59-大阪市立動物園
『大阪案内記 御大典記念 大阪市街地図附』1928年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
60-初代通天閣
『建築写真類聚』「第1期24 特殊建築巻1」1921年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
61-大阪市立運動場
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン

【終章】大阪の父
62-旧大阪市庁舎
『大阪市大観』1925年/九條正博 蔵/パブリックドメイン
63-第7代大阪市長・関一氏
『故大阪市長関一市葬誌』1936年/九條正博 蔵/パブリックドメイン


(『大阪歴史倶楽部』第2巻 第8号 通巻16号 2023年8月1日)


©2023 大阪歴史倶楽部 (Osaka Historical Club)
剽窃・無断引用・無断転載等を禁じます。

※次号は2023年9月1日に投稿する予定です。

《次号予告》
【文化財紹介】
(内容未定)
いつものように近代の文化財をご紹介させていただきたいと考えています。

※予告内容は変更する場合があります。ご了承ください。

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