自己紹介
はじめまして、エムボックスの金澤大介です。
私のnoteにご興味を持っていただき、誠にありがとうございます。
個人としては初めてのブログです。
そして最初に打ち明けると、「発信ベタ」です。
Facebook乗っとりにあってからは、SNSでの発信もほとんどしてきませんでした。スタートアップの経営者としてはあまりよくないかもです。
*今は正常ですので、繋がってる皆さまはご安心ください(笑
そんな私にとっての初noteでは、これまでの人生を振り返り、なぜ私が起業家、経営者としての道を歩んでいるのか?、事業活動を通じて何を目指しているのか?について自己紹介と共に綴らせていただきます。
いきなり長文になりましたが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
クスリ屋の息子として育った学生時代
1979年、東京都中野区で生まれ、両親ともに医薬品関係の職業に就いている普通の家庭で育ちました。
幼少期、父親は元・製薬会社の研究者、母親は西新宿にある調剤薬局の薬剤師でした。
高校時代、私の人生に大きな影響を与える出来事が起きました。
母親が起業したのです。
母はそれまで調剤薬局の薬剤師として、いくつかの会社・薬局で働いていたのですが、私や弟の学費を稼ぐためなのか、ある年、自分で小さな調剤薬局を開業しました。
最初は法人化もせず、個人事業としてスタートし、店舗はとても小さく、事務も雇わず、母1人で運営していました。
ところが1~2年経つと、その小さな薬局には毎日多くの患者さんが来局するようになりました。
小さな店舗なので待合室には椅子が5、6脚しかありませんでしたが、たまに行くと、いつも待合室は一杯でした。
創業から3年を過ぎた頃、今度は店舗数が増えていきました。
2店舗、3店舗と増えていき、従業員の数も増えていきました。
そして遂には父親も脱サラして法人化し、社長に就任しました。
母親は取締役兼薬剤師として現場をしきる、今っぽく言えばCOO的な立場となりました。
創業から10年を経った頃、私は既に社会人となっていましたが、母がたった1人で開業した小さな小さな薬局は、店舗数が8店舗、従業員数十名の「企業」へと進化していました。
今思えば、1990年代はまだ政府が医薬分業政策を推し進めている真っ最中で、全国の薬局数も右肩上がりに増えている時代でしたので、10数年間で8店舗という出店ペースは業界の中ではそれほど速いものではなかったのかもしれません。
それでも、私にとっては思春期を通して身近で見てきた母親の「起業物語」は、私自身が「起業」や「経営」への興味を持つのに十分過ぎる出来事でした。
起業家への「野心」を抱いた私は薬学部時代、著名な経営者の自己啓発本を読み漁りました。
本田宗一郎、稲盛和夫、井深大、、、戦後の高度経済成長期に生まれた偉大な起業家達の成功ストーリーに多いに触発され、未来の偉大な起業家となるであろう自分に自己陶酔していた私は、学生ビジネスプランコンテストに出場して「起業家きどり」をし、時には入賞して更に「自信」を深めていきました。入賞といっても8チーム中の4チームに入っただけ、ビジネスプランも恥ずかしくて書けないレベルの内容です。
ですが、学生時代のこうした体験を通じて、「起業家精神」は着実に自分の中に染み付いていたのだと思います。
大企業を退職し、起業家として歩みだした30代
この流れからすると、「大学を卒業してすぐ起業」となりそうですが、社会人としてのキャリアのスタートは、武田薬品工業(タケダ)という国内最大手の製薬会社、ゴリゴリの大企業でした。昭和生まれ&サラリーマン家庭で幼少期を過ごしてきた私には「将来起業するためにも、まずは大企業に入って社会人としての礎をつくった方がいい」という昭和的な思考が身についていました。
そして、「まずは国内トップの製薬会社で3年以内にトップセールスとなり、退社して起業するぞ」という心意気でタケダに入社しました。
入社して最初の1~2年は営業成績は鳴かず飛ばずのくせに、「根拠のない自信」と「気合い」だけを持つイタイ新人でしたが、数年ほど営業職を経験した頃、上司や同僚、運にも恵まれ、社内ではトップクラスの営業成績を残せるようになりました。その成果を認められたからか、東京本社マーケティング部門へ異動となり、糖尿病治療薬のプロダクトマーケティングに従事することになりました。
同時に入社当初に抱いていた起業意欲は年々に薄れていて、「このままタケダにいて医療業界を変えられるような大きな仕事に関わり続けたい」とすら思い始めていました。当時の自分にとって起業よりタケダでのキャリアアップが魅力的かも?と思った理由が2つありました。1つは会社や上司が自分のキャリア目標を汲んでくださり、様々な成長機会や新しい職種を次々と経験させてもらえたというキャリアへの満足感、もう1つはタケダのグローバル化が急激に進んでいたことで、今後世界をまたにかけた更に大きな仕事ができるんじゃないか?という期待感でした。また入社以来ずっと周りの人々に恵まれ、好きな仲間達に囲まれた居心地の良いこの会社で働きつづけたいという帰属意識の高さもありました。
「起業したい」「自分で事業を始めてみたい」という気持ちは失っていなかったですが、中々一歩を踏み出せずにいました。
そんな中、退職のきっかけとなったのは、ある大型新製品の上市プロジェクトの解散でした。そのプロジェクトは大型新製品を国内とグローバルで同時展開していくことを目指しており、私は国内マーケティング部門のメイン担当をしていました。ところが、発売直前の治験結果により、その新製品の上市は中止、プロジェクトが解散になってしまうという出来事がありました。
かなり熱量を込めてやっていた仕事ではあったのでショックと言えばショックでしたが、自分の中では、その出来事が一つの転機の様に思え、「(起業するには)きっとこのタイミングなんだろう」と思い、会社を辞める決断をしました。
そしてもう1つ、最終的に起業を決意するに至った気づきがありました。それはタケダでの仕事環境が自分にとってComfort zoneになってしまっていたことです。慣れ親しんだ環境で、信頼関係のある仲間がいて、新しい業務でもこれまでの経験やスキルである程度対応することができる。当時の状況が自分の将来にとってリスクだなと思ったのです。
退社を決めた後、何人かの同僚から「起業はリスクもあるから怖くないの?」というご心配をいただきました。でも、自分にとってのリスクとは「成長が止まること、鈍化すること」だと思っています。
クスリとそれを使う人の関係性をより良くしたい
タケダを退職してから約5年経った現在、私はエムボックスの他にも、薬局や介護施設など複数の法人を創業、経営しています。また短期間ながら、DTxを開発するキュアアップで禁煙支援アプリの法人向けサービス立ち上げに携わりました。
この辺の経緯や細かい話はまた別の機会にさせていただきたいと思いますが、自分の中では「1つの軸」を持って事業活動を行っています。それは、「クスリとそれ使う人の関係性をより良くしたい」という想いです。
現在の医学では病気を治すメジャーソリューションは間違いなく医薬品であり、人々にとって健康で充実した人生を送るための大事なツールです。人生で一度も薬を飲んだことがない人は殆どいないのではないでしょうか?
でも一方で、医薬品は本来のポテンシャルをまだ100%発揮しきれていないと思っています。これには様々な課題があると思っていますが、その課題をテクノロジーやデジタルを活用して解決していこうとしているのがエムボックスです。
これついてはエムボックスを創業した理由でお話させていただいてますのでご興味のある方はぜひお読みいただけると嬉しいです。
「クスリとそれ使う人の関係性をより良くしたい」
この自分の強い想いがどこから湧き出ているのか、それは正直私自身もよく分かりませんが、クスリ屋の息子として生まれ育ち、薬学部を出て、製薬企業や薬局で働いてきた自分のアイデンティティなのだと思っています。
(巨人や阪神ファンの子供に、「なんで巨人や阪神が好きなの?」と聞くのと同じだと思ってます笑)
そして、せっかく持った自分の想いを、アイデンティティを自分自身が大切にしながら、事業活動を通じて、病気や症状に苦しむ人や世の中に少しでも貢献できるようにこれからも経営者として1歩1歩成長していきたいと思っています。
最後まで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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