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休み時間のグランドピアノ

音楽室のピアノはいつも人気だ。

大抵、クラスの中でも〝ピアノが上手〟な2,3人が、代わる代わるその椅子を独占している。幼稚園の時から習っていたり、お母さんがピアノの先生だったり。
6年の時合唱の伴奏に選ばれたよ。今度の発表会の曲これやるの。そんな子たちは、暗譜しているそのレパートリーもちうたを、一曲最後まで弾き切る。隣でそわそわと待っている子の存在に、その瞬間は気づかないふりをして。でも、ピアノに合わせて歌ってくれる友だちの声はしっかりと聴こえているし、羨ましそうに見つめているクラスメイトの視線もしっかりと感じている。


自身は弾かずに端の方から音色を楽しんでいる子がいる。
遠慮がちに教室の後ろで様子を眺めている子がいる。
楽譜読めないし。うちにピアノないから。あるけど、キーボードしかないから。習わせてもらえないから。
‥いろんな理由で、本当は触りたいけれど、一度もピアノに触れない子もいる。かと思えば、小学生の低学年の時のノリのまま、ジャジャーンとデタラメに鍵盤をたたいては、「ベートーベン!」なんて笑いを誘う子もいる。

たまたま、ピアノの常連組が、まだ音楽室に到着していない時がある。体育の着替えが長引いて、あるいは先生と話していて。そんな時、いつもは鍵盤から離れたところで授業の始まりを待っている子が、1人でそっと近づいてきて、
「先生、弾いても、いい?」と問う。

「いいよ。もちろん。」

だから、私は、音楽室のグランドピアノに鍵をかけたことはなかった。


そのクラスも、いつもは何人かの女子が交互にピアノを弾いていた。皆穏やかで仲の良い学級だったから、男女問わず音楽好きな子たちがピアノに集まってきて、あれ弾ける?とか、次は○○弾いて、という具合に、授業が始まるまでのわずかな休憩時間を楽しんでいた。皆顔をくっつけるようにしてピアノを囲むから、私はいつも、バタンと倒れてこないように、グランドピアノの大きな蓋は閉めていた。


ある時、一人の男子生徒が、少し早めにやってきて、ある楽譜を差しながら言った。
「おれ、これ弾きたい。」

彼はピアノを習っていない。家にピアノがある訳ではなく、ソロ・ピアノ用の楽譜も読めない。だが楽譜の読み方は別に覚えなくていい、この曲だけが、弾ければいいのだと。

その日から、彼は音楽の授業の前は必ず、一番に音楽室にやってきて、私が一小節ずつ弾く曲を、聴き、見て、真似て練習し始めた。
彼の友人も、一緒に音楽室にやって来て、隣で眺めたり、持って来た図書室の本を読んだりしながら、練習に付き合ってくれた。

「こないだのとこまで、弾けるようになった」
「今日も続き、教えて」
少しずつ、手の形を見て、和音を覚えていく。

中学校の休憩時間は10分しかない。他のクラスメイトも、彼の真剣な様子を見てピアノを遠慮したり、応援したりしてくれていたが、幼少期から習っている人から見れば、その歩みは本当に少しずつ少しずつだ。
楽譜が読めなくても、家にピアノがなくても。その曲を自分の手で弾きたい、このメロディを、和音を自分で奏でたい、その一心で。

美しい曲だ。
そして激しい曲だとも思う。
同時に、とてもとても切ない。
年齢が違っても、立場が違っても、一つの作品を聴いて「この曲が好きだ」「この曲を弾きたい」と想う気持ち、感性というものは誰しも同じだと思った。

中学校の音楽の授業は、週1時間しかない。
私は、結局彼に、その曲を全曲覚えるところまで教えてあげることが出来なかった。
誰もが聞いたことのある導入部分、右手の小さな旋律の反復と、ほんのわずかに変化していく繊細な左手の和音とを、何度も何度も見て練習していた彼。
私は作曲家の名前を見るたびに、その生徒のことを思い出す。

彼も、一音一音確かめるようにしながら、グランドピアノで弾いていたその曲を、今日、思い出しているのではないかと思う。


「Merry Christmas, Mr.Lawrence」
#坂本龍一

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