親の私のできること day30
4/12 (Fri.)
#66日ライラン day30
長男が、百人一首カルタで「札流し」の練習をしていた。
分かるでしょうか‥
百人一首の、ひらがなで書かれた下の句の札。あれを順々に見ながら、上の句の決まり字「ここまで読まれたらこの歌しかないと分かる」ところまでの字を、ブツブツと唱えていかに早く分かるか確認する、という練習らしい。
漫画には、1分以内で読み上げれば初段クラス、とある。
長男は5分50秒かかったらしい。
本人曰く、自分でやってるからちょっと間違ってるとこもあるかも、とのこと。
私は、‥もう意味が分からなくて、はなからやろうともしてない。
実家で、母が暇つぶしに作っていた、単語カードの表と裏に上の句と下の句を書いて練習するやつ を作りたいから、単語カードを買ってきてくれ、と言う。
お安い御用だ。
つい2時間前まで、YouTubeを見せろ!と言い張って私とケンカしていたとは思えない。
それだって、前日に、1日に決めた時間を越えて延々と動画ばかり見ていたから、もう明日は見ないこと!と約束したにも関わらず、いざ次の日になると見たくて見たくて、でも自分でも決まりが悪くて、私に悪態をつきまくり、弟にすねて八つ当たり。
諦めた末に、「やることないから漫画読む」と開いた『ちはやふる』で〝札流し〟を発見し。
「おれこの練習してみよっかな」と、いつもより遅く帰宅したパパがご飯を食べている横で札を手に読み始めた。
長男には、ちょっとそういう、はまり込むところがある。
百人一首では、百首に振られた時代順の番号と、その歌を見て覚える。
低学年の時はパパが持っていたドラクエの『モンスター図鑑』を気に入って読み込み、どのモンスターが何ページに載っているかを覚えていた。
割と最近では、ゼルダの伝説 (ブレワイ)の攻略本を読み込み過ぎて、最初の一文字を言うとその文字から始まる祠の名前とその内容をそらで教えてくれた。
私にはまったく意味の分からない世界。
でも、ちょっとすごいな、と思う。
私にはできないし、できなかった。
最近、テレビや新聞で「教育虐待」のニュースをよく見ている。
親が子どもに、勉強しろという。それ自体は何も珍しいことじゃない。
でも、子どもの意思や能力を無視して過度の期待をかけたり、子どもの成績や受験結果がまるで親自身の評価のような認識で、子どもにそれを強制すると、それは虐待になる。
たまたまNHKで、この特集を見つけた夫は、興味深くその番組を見ていた。
小4から塾に通い、時には勉強合宿にも行き。中高一貫の私立に通った自分はこれに近いものがあったと言いながら。
だから夫は、子どもたちには、今、塾なんて通わせなくてもいい、と言い切る。
自分はもっと遊びたかった、日曜日に、塾にじゃなくて、公園に行って友だちとサッカーがしたかったと言う。
私立高校から国立大に通り、結果としてその大学で素晴らしい部活仲間と出会って、今でもそのメンバーと交流が続いているのだから、その当時の集中的な勉強に、夫にとってメリットはなかったとは、言い切れないと思うのだが。
だから難しい。
誰にも子どもの将来の姿なんて分からない。
孫のことはあんたたちに任せるから、と言いつつ、自分が信じてきた教育方針を捨てきれない義母は、高学年になった長男に会うたびいつも、塾に行かんでいいのか、いい学校に行かなあかんで、と声をかける。長男はそれをどこまで聞いているのか分からないが、とりあえずうんうんと返事をする。そしておばあちゃんが帰ると、さ、今日のYouTube見ーようっと、とテレビの前に移動する。
見過ぎて私にリモコンを取り上げられる。
ママはきびしい!クラスの友だちなんかゲームもYouTubeもオレよりもっと長いことやってるけど何も言われへんって言ってたで!と反抗する。
そんなん、一日にダラダラダラダラ、次はこれ、次はこれって何も考えへんと動画ばっかり見てて、頭にも体にもいい訳ないやんか!と私が言い返す。
義母も私も誰も、子どもたちに虐待だなんて思ってない。
子どもの好きなことを、伸ばしてやりたい、
子どもの持っている力を、伸ばしてやりたい。
長男の能力を、次男の関心意欲を、幼い頃の夫の真面目な気質を。親の私だから分かる(と信じ込んでいる)子どもの力を、何とか活かしてやれないかと思っている。
自分もまだ経験していない将来の社会で、出来るだけ子どもが困らないように、苦しまないように、親ができることをしてやりたい。そう思っている。
でも、親も間違う。やり過ぎる。やらずに後悔することだってある。矛盾ばっかりだ。
今日私のすることは、100均に行って単語カードを買ってくること。
それがもし、(彼自身ではなく)私が、彼にカルタ「名人」になって欲しいと思って毎日暗記のテストをし出したり、遠方の教室を探してきて毎週通わせたりし始めたら、それは虐待へと急に舵を切るのかも知れない。
子どものためだと、それができるのは親だけだと、思い込むのが虐待の始まりかも知れない。長男も次男も、黙っておとなしく過干渉を受けているタイプではなさそうだから大丈夫だとは思うものの、親の私も、子どもを人生の目標にするのではなく、私は私の好きなことをもち続けようと、子育ての最中にnoteをしながら思う。
今日この記事を書いたのは、先日ある方の記事で、子どもの持つ興味や、親の関わり方について考えたのがキッカケだった。
在間 ミツルさん。在間さんも毎朝記事を投稿されている方だ。在間さんの記事には、最近から過去のことまでいろんなエピソードが出てくるが、どの出来事もとても詳しくセリフや当時の心境が描かれていて、スッと目の前に情景が浮かぶ。
人間をよく見る、物事を観察するということが、その人の書くものに圧倒的な説得力を持たせるのだなぁと、私は在間さんの文章を読むたびに思う。
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