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たからもの

ステキな親友。二人いる。

人生も、考え方も、現在の環境も全く違う。学生時代に過ごしたメインのグループも違えば、途中疎遠になったり、大病をしたり、それぞれバラバラ。付き合いの年月だけで云えば、30年以上。

ひょんなことから、グループラインを初めて、そこでは、どんなことも自由に書いていいし、どんな思い話も過去も現在も何でも話していい。どう思われるかなんて、考えなくていい。グチでも、独り言でも何でもいい。

そんな勝手が許される「場所」。

私以外は、結婚もし子供も授かり、日々、日常生活に奮闘しながら過ごしている。仕事と家庭のストレス、子供への教育、自身の考えや行動、そんなことをイロイロ見聞きしていると、「ほー。こんなこともあるんだ」とか「そうだったんだ。」とか、自分が経験してこなかった価値観ややり方なんかも知ることができる。重たい話題ももちろんあるし、助けてあげられないことも山ほどあるし、どんなに話しても本人の人生で、本人が決めたことなら、と尊重しつつ「いつでも帰ってきていいんだよ」って言える場所。

実際に三人で揃って顔を合わせることは滅多になく、寂しいな。なんて感じることもあるけど、これだけ違う人間同士で「ありのまま」発言ができる場所ってなかなかないよね~と笑い合う。

私と違って、二人は母として子供と向き合いイロイロ感じることを私に教えてくれる。自身が人生で経験できない事柄を疑似体験させてくれる。腹の底から実感できなくても、母親というものがどうやって過ごしているのか、ものすごく勉強になる。育ってきた環境も違うから、なんなら、彼女たちのお母さまのことも分かるようになり、「母親」もそれぞれだな。とか、こんな風なお母さん素敵だな。とか、うちの母親はこんなだよ?とか。軽い関係だとなかなか言いづらいことも話せる友人。

そんな二人から言わせると、私は、「子供の心」を持っているらしい。

立場が変わらないから、そりゃそうですよ。子供のことしかわからないもんね。年の離れた妹がいるから、小さい頃から面倒見てたし、ベビーシッターっぽいこともできるけど、やっぱり産み育ててる人とは違うし。

一人は「子供の個性を尊重できて、どうしたらこの子にとっていい人生になるか」「人の心を大切にできる子供になるか」を大事にしてる。

一人は「この子が一人にならないように、寂しい想いをしなくていいように」「一緒に色んな事をやって、思い出を沢山作ってあげたい」と言っている。

すごいなー素敵だなーって。お腹で数ミリだったのを、いっちょ前の人間サイズまで育てるなんて大したもんだ。と。そしてさらに、私のちょっとしたことを褒めてくれたり。なんてありがたいことでしょう。

母になった二人が、子供への愛情と同じように沢山沢山、褒めてくれるのだ。こんな幸せなことってあるんだろうか?愛情っておすそ分けしてもらっていいのかしら?

もちろん、大人だから、案件によって、お互いに主張もするし、辛辣になることもあるけど、あくまでもこの関係だから出来ること。羨ましいや、自己嫌悪、悲しい気持ち、そんなことも率直に表現できるのだ。

別にルールにしたこともないが、基本は自分以外の頑張りを「褒める」関係なんだろうと想う。お母さん偉い!毎日ご飯作って偉い!無理しなくていいよ!でも、貴方がそうしたいならやっってみればいい!うまくいった?失敗なら次はどうしようか?参考になるねー、とか。

いつかもっと時がたち、環境が変われば離れる時期もやってくるのかもしれないが、この「心の居場所」があることに感謝してもしきれない。お互い「ここは奇跡みたいな場所だね」って言っている。

ちなみに、あまりに言葉ばかりでフォローできないときは、たまに「プレゼント」を送るようにしている。本人のその時の状況に応じて、やれる範囲で。ケーキやヘアケアセットなんか贈った。こっそり、他二名が画策するのである。そういうとこも楽しみの一つ。


世の中にはたくさんの人が居て、沢山の考え方があるし、友人が多い方が楽しみも多いけど。その分、偽って過ごすことも多いような気もするから。三人でも、総数精鋭。「三本の矢」とか言って笑ってる。


「お友達と仲良くできないまるちゃん」の記事を見て、先生に怒ってくれた友人。「そんな背景があって、今があるんだね」と心を痛めてくれた親友。


今、先生に会えるなら云いたい。


「うにゃ。親友おるしな。」

「もう少し言葉を考えてから書きなよ。」


と。笑











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