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自分の甘やかし方を知ることは自分が窮地に陥った時の脱し方を知ることだと思う

私が入っている「コルクラボ」というオンラインコミュニティでは、毎週お題が出る。それに答えても答えなくても見ても見なくてもいいんだけど、今週のお題が「自分の甘やかし方」というテーマだったので、いくつか思うことがあり、書いてみたいと思う。

甘やかすとはネガティブなことなのか?

私にとって「甘やかす」という単語は、日本語だとなんだか少しワガママな印象を受ける。「しちゃダメだけどしちゃうよ」みたいな印象を受ける単語だ。

英語で考えてみると、「甘やかす」にもいくつか言い方があって、
「Spoil myself」だと少しネガティブな意味で自分を甘やかすという時に使うけど、「Treat myself」だと違ってくる。

「Treat meself」も「自分にご褒美を送る」というような意味だけど、「Spoil」と「Treat」だと単語の持つ意味合いが少し違って、Treatのほうがポジティブな意味を持つ単語だと思う。

Treat myselfの意味で「自分を甘やかす」ことが出来るかどうかは、世知辛いこの社会を生きる上でとても大切なことだと思う

髪の毛だってトリートメントをしたら生き返るように、心にだってトリートメントが必要なのだ。

現代社会をノーストレスで生きていこうと思うとなかなか難しい。
どんなに疲れてても眠くても泣きたくても、ほとんどの人は自分が持っている役割をこなさないといけないし、役割が全く無かったとしたらそれはそれで感じるストレスがあると思う

個人主義がもたらした厄介なもの


「個人主義」が叫ばれ始めたのは、19世紀〜20世紀にかけてで、歴史の中で見ると極めて最近のことらしい。
(200年前が最近なのかと聞かれるとなんとも言えないけれど、地球が出来たのは46億年前なのだ。46億年という果てしない歴史の中から考えると200年はちょっと前と捉えてもいいのじゃないかと思う)

西欧でルソーやカント、J.S.ミル、ホッブス、マルクスなどが考え抜いた「個人主義」という概念が日本でも知られるようになったのは夏目漱石の功績だそうだ。(私は専門家や研究者では無く、ネットや本から読んでの知識なので、違ってたらごめんなさい…)

それまでは「個人」という概念が存在し無かったところに「個人主義概念」がやってきた。これは人々を解放もしただろうけど、それによって苦しめることにもなっただろうと思う。

集団として生きるのでは無く、「かけがえのない一人一人」という考え方は、同時に「『私』の社会での役割は何だろうか?」と自問自答しなければならないことに繋がると思う

そしてそれは時にしんどいことでもある。

欧米では「個」として生きることを小さい頃から徹底して教えられる。「個」に対して意識高い系だ。

だけど日本は集団からはみ出ないことが結構重要なこととされている。
我が子達が受けている教育(それぞれ公立小学校、私立幼稚園、保育園)を見ても、「個性を大事に」と謳われながらも、現状ではあくまで集団・調和ありきな教育だと思う。

今はインターネットにより他国の慣習にアクセスしやすくなったから、個の概念が浸透してきているけれど、完全に教育にまで落としこまれるには時間がかかる。そしてどちらがいいかと綺麗に白黒つけられるような問題では無い。個人主義の権威のような米国だって、自殺率は結構高いし、ヨーロッパ諸国だって同じくだ。

「個」として生きなければならない故に「孤」を感じやすいジレンマ…

社会的な生き物である人間


私はこの半年でいくつか取材をさせて頂けるようになり、取材先の精神科医の先生や社会学や心理学、教育学の専門家に「孤独」や「社会」について質問をしている。

先生方が口を揃えて言うのが、

人間は社会的な生き物である

ということだ。

社会との繋がりを大切にしながら、尚且つ「個」を大切にしなければならない
妻として、夫として、彼氏として、彼女として、子供として、親として、部下として、上司として、友人として、それぞれの役割をそれぞれに果たしながら「個」も大切にする。

それは心身を病んでもなんらおかしくない壮大なtoo much workだ。

そんなover taskを日々こなさなければならない現状にいる私たちは、自分がいっぱいいっぱいになった時に自分が癒される方法を知っているといい。

自分を落ち着かせる方法=自分の甘やかし方


「信頼している誰かと話す」はとても有効だと思うけれど、その誰かも社会的役割を負っているためにすぐに掴まる状態じゃないかもしれない

だから、人がいて初めて成立する何かの他に、自分一人で簡単に出来る方法を数種類知っておくといいと思う

私の場合、とにかく本が好きだから、洗面所やリビング、寝室、トイレ、キッチンなど、家のあちらこちらに本を置いている。そして自分が疲れてきたなと感じたらすぐに本を開く。

子供達にキーっとなりそうな時や、目の前に溜まる家事タスクの山に立ちすくむ時にまず一旦本を開く。読む時間は細切れでそれぞれ短くても、一瞬で別の世界に入り込めるから自分を落ち着けられる。字を追う力すらない場合には、漫画を開く。(旦那が漫画狂なので漫画も大量にある)外にいる時にはなんらかのweb記事を読んだりTwitterを読む。

それプラス、チョコレートがあれば最高だ。
(私は小さい頃からチョコレートが大好きで、あまりに好きだから幼少期父から「チョコ」と呼ばれていた程。それを幼稚園の園バスの中で幼馴染にバラされて、なんだかすごく恥ずかしい思いをしたのを覚えている。一番好きなチョコは、「アポロ」と「グミチョコ」)

チョコ食べて本開いてないで、目の前のお皿洗わねば、目の前の洗濯の山を畳まねば、目の前の末っ子オムツを取り替えねば、という状況においても、一旦自分を落ち着かせる。その数秒の自分への甘やかし行為によって、その後の役割遂行が円滑になるならば、その時間のロスは安いもんだ。むしろロスでは無く有効な時間の使い方だと自分を納得させている。

ただ、末子が彼の要求を即座に通したい時に私がこれをしだすと
「本読むな〜!!!!」と逆上するが、こちらがそれに逆上しないように、「はーい、ちょっと待ってね」と言って、スルーして数秒間読みふける。

それをすると、「ごめんごめん、なんだっけ?」と一旦リセットして始められるから日々これの繰り返しだ。

自分の甘やかし方を知ることは世知辛い世を生き抜いていく知恵


それぞれの社会での役割を担いながらも「個」として生きなきゃいけないことはとてもじゃないが容易ではない

私は「生きるのって大変だ」と物心ついた頃からずっと感じていたので、生きているだけでみんなすごいし立派だと心底思っている。

そんな大変な生活・人生の中で自分の甘やかし方、「how you treat yourself」を知っておくことは自分が窮地に陥った時の脱し方を知ることだと思う


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今日の推薦図書

今日の一冊はこちら↓

Twitterでもなんども呟いているけれど、「野の医者は笑う」の著者の東畑開人さんの新著。私は元々臨床心理学やメンタルヘルスについて、すごく興味があったから、コルクラボのゲストで生トークを聞けて以来東畑さんの記事なども読んでいて、待望の新著。


「いる」ためにはその場に慣れ、そこにいる人達に安心して、身を委ねられないといけない。

本当に「いる」が脅かされているときには、それをうまく人に話すことができない。つらいときほど、自分のことを恥ずかしくかんじてしまうから、自分のことを隠してしまいたくなる。頼れなくなってしまう。

「居場所」とは、とりあえず座っていられる場所。自分の弱みを不安にならずに委ねていられる場所

などが描かれていて読めてよかった一冊。
学術書でありながらも、東畑さんの文章力やご自身へのツッコミ力により笑いながら読み進められる。
東畑さんの文章ってなんでこんなに面白いんだろうか?と思って、コルクラボにゲストでいらした時に「どんな作家さんが好きでしたか?」と聞いたら、「椎名誠が好きでめちゃくちゃ読んでました」と仰っていた。

東畑さんのご著書からは、この人はどれだけの本を読んできたんだろうか…ということが伝わってくるのも好きな点。学びどころが多い上にとても面白いのでオススメの一冊!

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書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)