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ガザのパレスチナ人少女、イスラエルが違法占領を続けるヨルダン川西岸地区の病院で短い生涯を閉じる。イスラエルによるガザ封鎖のため、両親は娘の最期を看取ることすらできず。

昨年12月24日、25日のクリスマス・イヴ、クリスマスの 2日間にわたる投稿で紹介した(本投稿の最後にリンクを置きます)、イスラエルが長年にわたり封鎖し続け、今や「世界最大の強制収容所」とも形容されるパレスチナのガザ地区(PALESTINE, Gaza Strip)出身の 10歳の少女 Miral Abu Amsha さんが、先月、2020年2月28日金曜日の夜、入院していたパレスチナ自治区(実質的にイスラエルが違法な軍事占領を続け、ユダヤ人の新たな入植地を建設し続けているため、名ばかりの「自治区」)ヨルダン川西岸地区のナブルス(Nablus)にある病院で、闘病していた癌(血液の癌、白血病)により、その短い生涯を閉じました。

私はこの悲報を、一昨日読んだ、イスラエルの Haaretz という新聞の 3月6日付の記事で知りました(ネット上、英字紙。本投稿の最後に記事へのリンク)。

タイトル(ヘッド)とリードは、"Gazan Girl Fighting Cancer Died After Israel Denied Her Parents' Visit. She Won't Be the Last", "Miral, the 10-year-old Gazan cancer patient whose parents weren’t allowed to be with her in a Nablus hospital, died last weekend. Now Israel is keeping another young Palestinian, who has leukemia, from receiving vital treatment"

本投稿タイトルの上に掲げた写真は、左側が昨年12月に撮られた Miral さんの写真、右側は、亡くなる前日の今年 2月27日に撮られたもの。後者は、同日、イギリスのニューキャッスルに住むスーダン人の兄妹 (10歳、8歳)から昨年12月のイスラエルの Haaretz 紙の記事で世界の多くの人に知られることになった Miral さんを励ます手紙が Miral さんの手元に届き、その手紙への返事として Miral さんから彼らに送られた、その日撮られた Miral さんの写真です。それぞれの写真が、そして、2枚の写真の組み合わせが、多くを物語っていると思います。

イスラエルによるガザの封鎖は、ガザに住むパレスチナ人たち(多くはもともとパレスチナのガザ地区以外の地域から1948年のイスラエル建国当時に逃れてきた難民出身であり、その意味では今現在も難民のままであるとも言える)に対し、電気が使えるのも 1日4時間程度、水やガスなどの供給も制限されているといったことに象徴されるような過酷な日常生活を強いています。そして、物資だけでなく、人の出入りも制限されており、ガザに住むパレスチナ人は、今回のような一部のケースを除いて、ガザから出ることはできません。イスラエルの占領地ではないはずのガザ地区ですが、イスラエルが許可しない限り、出られないのです。ガザが「世界最大のゲットー」あるいは「世界最大の強制収容所」と呼ばれる所以です。

私は37年ほど前、1983年から '84年にかけてバックパックひとつで海外放浪の旅をし、その際、'83年秋に 3週間にわたってパレスチナ(本投稿で取り上げている Miral さんが入院していた病院があるナブルスやその他、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区のほか、ガザ地区にも)、イスラエル(西エルサレム、テルアビヴ、ハイファ、ナザレなど)も旅しました。ガザは 2泊3日の短い滞在でしたが、当時はイスラエルによって軍事占領されていたものの(夜間は戒厳令が敷かれていたと記憶)、現在のような完全封鎖はされておらず、ガザに住むパレスチナ人がヨルダン川西岸地区(東エルサレムを含む)や、あるいはテルアビヴなどのイスラエル国内の都市に旅行することも可能でした。

いずれにせよ、ガザはイスラエルによる度重なる爆撃で住宅だけでなく病院や学校を含む多くの建物が破壊されながら、イスラエルによる完全封鎖のために建設資材のみならず医薬品なども満足に入って来ない状況にあり、ガザに住むパレスチナ人が今回の Miral さんのように白血病、癌など高度医療が必要となる病気に罹った場合、ガザにも当然ながらパレスチナ人医師がいるにもかかわらず(医師としてそうした患者の命を救うことが困難な彼らも気の毒です)、エルサレムもしくはヨルダン川西岸地区内のその他の街にある比較的設備が整った病院に行って、化学療法などの治療を受ける他ありません。

Miral さんは昨年12月より化学療法による治療等を受けてきましたが、今年 2月28日に亡くなり、残念ながらガザに戻るまでに容態が改善されないまま、短い生涯の最後の数ヶ月を生まれ育った故郷ではなくヨルダン川西岸地区のナブルスの病院で過ごしました。

ガザを封鎖し、東エルサレムとヨルダン川西岸地区を違法占領するイスラエルは、ガザにいる Miral さんの両親が癌と闘う10歳の娘に付き添うことすら認めず、彼女の家族では祖母のみが最期を看取ることになりました。

(イスラエルによる占領は、1967年11月に採択された、イスラエルが同年6月に占領した土地から撤退することを要求する国連安保理決議242号を始め、数々の国連安保理決議並びに国連総会決議に違反し続けています。ガザ地区もその時の占領地の一つであり、ガザ封鎖も決議違反もしくは国際法違反と言ってよいものです。)

Miral さんは、上述の通りイスラエルが封鎖するガザ地区では化学療法などの十分な治療を受けることができないため、家族がイスラエルから何とか許可を取りナブルスの病院に転院して治療を受けていたわけですが、ガザからナブルスへの移動の際は祖母のみ同伴を許可され、両親に関しては、化学療法による治療が始まる前に一時的に母親が娘を見舞うことができただけでした。母親についてはその一時期のみで、父親はと言えば、10歳の娘が治療を受けるために自身の元を離れて以来、ついに最後までガザを出ることができず、亡くなるその日まで、娘の顔を見ることもできませんでした。

Miral さんのことは昨年12月に Haaretz が記事として取り上げましたが(本投稿の最後に記事へのリンク)、その記事と、彼女が亡くなったことをリポートした記事の 2つは、Gideon Levy という名の、パレスチナ人の人権のために多くの時間を割き、記事を書く、講演するといった活動をし続けているイスラエル人のジャーナリスト兼作家が執筆しました。

Gideon Levy は今回の記事の中で、次のように書いています。

Miral is not the last child from Gaza who will die without both parents at her side. Perhaps she is also not the last who will die because her parents were not allowed to be with her in her time of torment. Being cut off from parents has a serious mental and physical impact on a child with cancer.

ざっくり訳せば、以下のような意味になると思います。

Miral は、両親に看取られないままに亡くなるガザ出身の最後の子どもではない。おそらく彼女は、(今回のような激しい身体的・精神的な)痛みに苦しまなければならない時に両親が付き添うことを許されないが為に亡くなる、そんな境遇を強いられるガザの最後の子どもでもないだろう。両親が寄り添うことすら認められないことは、癌と闘う小さな子どもに対して、深刻な精神的及び身体的な影響(悪影響)を与えるはずである。

つまり、悲しむべきことに、そしてイスラエルの占領政策とガザ封鎖政策を憎むべきことに、同じような悲劇を経験するガザのパレスチナ人は、Miral さんとその家族が(初めての例でもないですが)最後の例にはならない、ということです。

今回の Gideon Levy による記事中の取材で判明しているだけで、今現在も、ガザ地区の3人の癌闘病中の子どもたちの家族が、より高度な医療が可能なヨルダン川西岸地区(東エルサレムを含む)の病院で子どもたちが治療を受けることを希望していますが、うち、共に 2歳の子ども 2人のケースでは、ガザ地区を出てヨルダン川西岸地区に入る許可が下りていません(どちらも本来パレスチナの領土です)。

唯一、4歳の男の子は、昨年12月に一旦、その子の両親ではなく辛うじて父親の伯父(もしくは叔父)の妻が同伴を認められ、ナブルスの病院に転院して46日間にわたる化学療法による治療を受けました。治療を終えてガザ地区に戻った後、再びナブルスの病院で治療を受けることが必要になったため、繰り返し申請を出し、ようやく 3月15日にナブルスに向かう許可が下りましたが、今回も両親は同伴することができません。

記事はこう締め括られています。

At the moment, then, Yassin Razaka is in Rantisi Hospital. His parents, who do not leave his bedside, report that he barely eats and when he does, he can’t keep the food down. He is suffering from extreme weakness, incontinence and severe stress. No one else is allowed to visit, due to his precarious condition. “It’s not only us,” Ibrahim told us from the hospital, “the whole of Gaza is imprisoned.”

直訳的な拙い訳ですが、これも以下に(2段落に分けて)日本語にしておきます。

いま現在、Yassin Razaka(上記の 4歳の男の子)は Rantisi 病院(記事の前の方で出て来る病院で、"Rantisi Children’s Hospital in Gaza", ガザ地区にある小児科専門病院のこと)にいる。両親が Yassin に付き添いながら(Skype を使った取材に対し)応えてくれたところによれば、Yassin は食べるのがやっとで、食べられた時には胃が受け付けず戻してしまうし(吐かないでいることができない)、衰弱状態にあって、失禁と重度のストレス(精神的・身体的なストレスの意でしょう)に苦しんでいる。非常に不安定な状態にあり、病室に見舞うことを許可されているのは彼ら、Yassin の両親だけである。

「こんな境遇にあるのは我々(Yassin とその家族)だけではない」と、父親の Ibrahim は病院(息子の病室)から我々に訴え、こう加えた。「ガザ全体が、巨大な牢獄なのだ。」

今日の投稿はこれで終わりにしますが、最後に、Harrez の 12月22日付の記事と今回の本年 3月6日付の記事へのリンク、そして、私が Miral さんを投稿の中で取り上げた note 2本へのリンクを付けておきます。時間のある方は、ご覧になっていただければと思います。


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