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正義感で世界を嫌いにならないように

今朝は色々と用事があって朝さんぽもゴミ拾いも行かなかった。あらためて出来るときで良いよなと思う。嫌にならないことが大事。

図書館へ行くとき町を見ると、数日前にゴミ拾いした場所に新しいゴミが落ちていたりする。というか歩きながらゴミを見つけている自分がいる。
そうすると世界の悲しい面にばかり、わざわざ自分から目を向けているのと同じだ。でもそれで世界を嫌いになるようではもったいない。犯人さがしの思考にもなる。

世界は美しくて良いなと思う中で、自分に出来ることとか返せるものとしてのゴミ拾い、くらいが良いのだろう。どこを見て反応するかは自分で選ぶことができる。

そもそも「片付け」の疲れはこういうところで、元に戻すのにいったん労力を使ったのに、気付けばまた散らかっているという。
でも「片付け」というのがそもそもこういうものなんだよな。たとえば子どもが遊んだら散らかる。それを恐れると何もできない。「片付け」は初めから必要経費。

世界の良いところは沢山ある。犬を連れているおじいさんが信号が切り替わるのを見て抱えて運んであげたり、よくお世話になる図書館の若い男性職員さんが私服でお母さんと思しき方に町を案内していたり、この前ゴミを拾えなかった道をがきれいになっていたりゴミ拾いする方を見たり、そんな日常の営みは良いよな。
またゴミがあった程度のことで世界を嫌いになるのはもったいない。

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お読みいただきありがとうございます。

毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。

明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。

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