daily-sumus note

画家、著述家、装幀家、古本憑き。著書に『喫茶店の時代』『ふるほんのほこり』『古本屋を怒…

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画家、著述家、装幀家、古本憑き。著書に『喫茶店の時代』『ふるほんのほこり』『古本屋を怒らせる方法』『本のリストの本』『本の虫の本』など。編著に『喫茶店文学傑作選』。装幀本に『書影でたどる関西の出版100』『花森安治装釘集成』他多数。

最近の記事

何気なしに中を覗いて見たのだが、筋のよさゝうな染付の壺や、餅花手の大皿などが飾つてある

押入れの片付けをしていて見つけた雑誌『手帖』。発行人は矢倉年で発行所住所は京都市左京区下鴨泉川町六。甲鳥書林と同じ住所である。それもそのはず、甲鳥書林は矢倉と中市弘の兄弟(実の兄弟のようです)が戦前に経営していた出版社だった。戦後、二人は別々の道を歩むことになり、書林新甲鳥を中市が、甲文社を矢倉が発行人となって再出発している。 『手帖』は昭和21年に第一冊が出て、これで三冊目。中谷宇吉郎、鈴木高成、佐々木惣一、泉井久之助、伊東静雄、水原秋桜子、大山定一、三宅周太郎の執筆。1

    • 非常に斬新なサウンドにもかかわらず、レトロ感たっぷりのメロディが流れ、たちまち身も心も陶然となってしまったのだ

      『SIESTE』第3号の巻頭、松本完治「黒い太陽ーーハリー・クロスビーの計画された自殺」で書き出しにこのアルバムへの賛辞が連ねられている。   中略 一枚のアルバムから全てがはじまることもある。たしかに、金子國義のジャケットアートに痺れます。 午睡書架 https://x.com/gosuishoka

      • 店員さんにもお客さんにも、それぞれの人生がある。

        こんな文庫が出ているのをホホホ座で見つけて、さっそく買って帰った。一応、小生も喫茶店文学のアンソロジーを編んでいるので、参考にさせてもらおうとも思い、また、重複しないようにとも思ったのである。 《古今東西の作家がつづった、私だけが知る喫茶店の魅力、40篇。》という説明がカバー裏面にある(本投稿のタイトルもそこからです)。古今東西と言っても日本人だけで近代以降だけ(喫茶店が明治以降のものですから当たり前ですが)。 エッセイおよび小説について誰の何が選ばれているかは、実物なり

        • いま、僕にできることは、自分の好む詩について、極めて個人的に語ることだけである

          京都の四条寺町にある藤井大丸の地下で古本市があった。ときどきいい本が見つかるので出かけるようにしている。今回はこの『荒地詩集』をもとめた。少し汚れていて帯もない。ただし見たことのないレッテル(書店票)が後見返しに貼付されていたのが魅力的だった(あかつき書房は知ってます)。値段は高くも安くもなかった。 『荒地詩集』は1951年から1958年までの9冊と『詩と詩論』1と2の2冊、および『荒地詩選』の合計12冊で一揃いである(復刻版も出ている)。三篇ほど引用してみる。やはりまだま

        何気なしに中を覗いて見たのだが、筋のよさゝうな染付の壺や、餅花手の大皿などが飾つてある

        • 非常に斬新なサウンドにもかかわらず、レトロ感たっぷりのメロディが流れ、たちまち身も心も陶然となってしまったのだ

        • 店員さんにもお客さんにも、それぞれの人生がある。

        • いま、僕にできることは、自分の好む詩について、極めて個人的に語ることだけである

          「アカシア」の中に音楽がかかっていた。自分の体の中にぽっかりと穴があき、そこに血のようなもの、黒い液体のようなものがつまっていた。

          いつもの均一コーナーにて『枯木灘』初版を発見。少し汚れてはいるが、函、帯、グラシン、栞も揃っている。お買い得だった。 中上健次でまず思い出すのはその自筆原稿である。たしか京都の丸善だったような気がするのだが、著名作家たちの自筆原稿の展示会があった。そこに並んでいた字間も行間もなくビッシリと文字の連なりが紙(原稿用紙でさえなかった)を埋めている中上の原稿には唖然とした。もうアート作品としか見えなかった。 中上は喫茶店で執筆することで知られており、新宿中央公園前の「珈琲ブラジ

          「アカシア」の中に音楽がかかっていた。自分の体の中にぽっかりと穴があき、そこに血のようなもの、黒い液体のようなものがつまっていた。

          結果として家具であるような家具に興味をもっている

          京都国立近代美術館で開催されている「倉俣史朗のデザインーー記憶のなかの小宇宙」を見た。 倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙 一階ホールから階段を上がって行くと、途中に設けられた踊り場に網状の金属だけで作られた椅子「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」(1986)が据えられていた。ご自由にお座りくださいというので座ってみた。座り心地は悪くない。と言って、ずっと座っていたいというほどでもない。 オブジェの風貌でありながら家具としての機能性を備えている、これは綱渡りである。例えば、倉

          結果として家具であるような家具に興味をもっている

          どんな些細な一篇にも露伴その人の特色は濃く、それを見つけた時のよろこびは何にも増してうれしいことであつた

          岩波書店の『露伴全集』(昭和33年完結)から洩れた露伴の文章を肥田晧三がコツコツと蒐集した三十二篇を収録している。 この露伴佚文蒐集について湯川書房の『季刊湯川』に執筆したところ、書房主の湯川成一が「是非ともその本を作りましよう」と申し出てこの本が出来上がった。 お二人ともすでに故人となられたが、小生は生前のお二人と親しくさせていただいた一時期があった。これまでに個人的に知り合った本好き(本狂い)は少なくないのだが、それらのなかでもとびきりの本好きでありながら嫌味なところ

          どんな些細な一篇にも露伴その人の特色は濃く、それを見つけた時のよろこびは何にも増してうれしいことであつた

          デスノスは、言わなければならないことのために、命を投げ出したのだ

          シュルレアリスム好きには逃せない書物を次々と刊行しているエディション・イレーヌ。先日紹介したアンドレ・ブルトン『時計の中のランプ』と同日発売の本書『神秘の女へ』も愛蔵に値する美しい一冊である。 アンドレ・ブルトン『時計の中のランプ』 最近のエディション・イレーヌの造本意匠を担当しているのは佐野裕哉氏。余白と文字の扱いなどに戸田ツトムの影響を感じさせながらも、隅々まで独自の叙情的な甘美さを備えており異彩を放っている。それらがエディション・イレーヌの息遣いとぴったり寄り添って

          デスノスは、言わなければならないことのために、命を投げ出したのだ

          大海に帰す、これが私の散書の総てである

          青山毅は読んだことがなかった。本書略歴と検索でヒットした情報を引いておく。 収録エッセイ「総ては蒐書に始まる」(初出『国文学 解釈と鑑賞』1980/10/1)と「総ては散書に終わる」(書き下ろし)から少しばかり紹介してみる。 1950年代後半に高校生活を送った。医師を目指して理科系の進路を選択していたのだが、突然、肺結核に襲われ休学そして留年を余儀なくされた。その療養期間中に退屈にまかせて家にあった『現代日本文学全集』(円本)を読み始め文庫本で現代文学に親しむようになった

          大海に帰す、これが私の散書の総てである

          文学と喫茶店との関係は、それほどまでに深いのである

          ある方より《kotoba という季刊雑誌今号の特集は「喫茶店と本」でした。頁を捲ると冒頭から貴兄の『喫茶店文学傑作選』の表紙が見えました。仲俣暁生という文芸評論家の方の文章でした。》というメールを頂戴したので、さっそく誠光社に駆けつけて購入する。ちょうど原稿料代わりにもらった図書カードが2枚あったので使ってしまう。 新刊書はだいたい誠光社で買うようにしている。『洲之内徹ベスト・エッセイ1』(椹木野衣編、ちくま文庫、2024)も併せてもとめる(こちらの感想はまたいずれ)。『佐

          文学と喫茶店との関係は、それほどまでに深いのである

          私は死ぬまで本を読む。それだけのことだ。

          岡崎武志『ふくらむ読書』をいつものことながら面白く読了。本の読み方のポイントをとらえていることは当然として、その表現のテクニックがもう円熟の境地に達している。 買うものが見当たらないときはともかくとして、《あるいは少し買いすぎたとき、そこに詩集を一冊でいいから混ぜることをよくする》はその道の達人の名言だ。どのくらい達人かというと、こんなことも書かれている。 私も一度、まだそこまで本に埋もれていないときに岡崎邸を訪れたことがある(というか泊まらせてもらいました)。書斎は地下

          私は死ぬまで本を読む。それだけのことだ。

          トマト、チーズ、肉、アンチョビーなどをパン粉にまぜ、香料で香りをつけて焼いた、平たい大型のタルト

          『遠いアメリカ』は古書店と喫茶店がふんだんに登場する小生がもっとも好きなタイプの自伝的小説。久しぶりに読み直した。やっぱり面白い。 主人公は大学を出ても定職に就かず英文学の翻訳家を目指している重吉。恋人ができ、先輩の好意もあって、小説の翻訳がようやく出版社に認められ、最後はそこに就職が決まって彼女と結婚できる……とこう書いてしまうと身も蓋も味もそっけもないが、これがなかなか苦難の道なのである。その叙述にあからさまな自虐的なぶざまさがかえってスマートに見えたりするところが常盤

          トマト、チーズ、肉、アンチョビーなどをパン粉にまぜ、香料で香りをつけて焼いた、平たい大型のタルト

          ねぢれた椅子にもたれ パインアツプルを喰ひ GOTHAM BOOK MART の 厚いカタログを読む

          新装版『記号説 北園克衛詩集 1924-1941』、『単調な空間 北園克衛詩集 1949-1978』が届く。戦前と戦後で二分冊になった北園克衛詩作品のアンソロジーである。旧版が出たのは2014年だったから、早いもので、もう十年が流れ去った。北園克衛はさらに新しく、いよいよ大きくなっている。すでに紹介したようにフランス語のモノグラフィが刊行されるほどにも。 Kitasono Katué 1902-1978 旧版が出たときブログに書いた感想の一部を引用しておく。 ざっと読み

          ねぢれた椅子にもたれ パインアツプルを喰ひ GOTHAM BOOK MART の 厚いカタログを読む

          佐野繁次郎装幀集成 西村コレクションを中心として 増補版 出来!

          ようやく完成しました! 本書は2008年にみずのわ出版から刊行された『佐野繁次郎装幀集成 西村コレクションを中心として』の増補版です。ページ数で言えば初版が111ページなのに対して増補版は143ページ。図版はざっと600点だったものが900点ほどに増えています。おおよそ3割増しと思っていただければいいでしょう。 佐野繁次郎は大阪船場生まれの洋画家。デビュー時代の小林秀雄や横光利一の書物を飾った華々しいスタートから戦後は多くのベストセラー作家の装幀を手がけたことで知られていま

          佐野繁次郎装幀集成 西村コレクションを中心として 増補版 出来!

          フョードルもミハイルもありふれた名なので、ロシアには大量のフョードル・ミハイロヴィチがいる

          フョードル・ミハイロヴィチを主人公とした「公園」「食堂車」「精神科医の診察室」「トルコ式浴場」の四篇が収められている。主人公と言っても、普通の意味での主人公ではなく、それぞれの物語にも直接の繋がりはない。それはどういうことか、ここで説明してしまうとネタバレになってしまうので省略。本作は直に読み始めるのがベスト。 と言いつつ、タイトルについてだけ書き留めておく。「フョードル・ミハイロヴィチ」は作家ドストエフスキーの「名前+父称」である。ロシア語では、親しい間柄ではない相手に対

          フョードルもミハイルもありふれた名なので、ロシアには大量のフョードル・ミハイロヴィチがいる

          詩集を読む者は、それこそ詩集の一部として編み込まれている

          時里二郎『名井島』(思潮社、2018年)の感想をかつてブログに書いたことがある。現代詩文庫の『時里二郎詩集』が届いて改めてその記事を読み返してみたのだが、時里作品の斬新なる虚構性についてそれなりにうまく表現しているように思えた。よって、ここにふたたび引用しておきたい。なお『名井島』については全篇が本文庫に収録されている。 *** 時里二郎『名井島』(思潮社、二〇一八年九月二五日、装幀・装画=望月通陽)読了。実は、この作品を繙く直前、『フィリップ・K・ディックの世界 消える

          詩集を読む者は、それこそ詩集の一部として編み込まれている